第一話『どうか心の片隅に』第三章
とうとう犯人を突き止めた千夜。嘘をついていたのは誰なのか…。
第三章
日曜日、電車で一駅のところにある水族館で高石は待っていた。
「やあ、高石君」
時間ぴったりにやってきた千夜はニットワンピにタイツ、そしてキャスケットという格好。
いつもの制服とは違うその姿に、高石は鼓動が高鳴るのを感じた。
「お、おう」
「待った?」
「いや、今来たところだ」
実際は三十分前についていたのである。
「そっか、じゃあ入ろうか」
中に入ると、最初に大小様々な魚が泳ぐ大水槽がある。
薄暗い館内で青い光を放つ水槽は、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「これ好きなんだよね。凄くきれい!」
千夜はそれを見ると目を輝かせる。
「ああ、きれいだよな」
「鮫もいるよ、おっきいねー」
子供のようにはしゃぐ千夜に、高石は小さく笑ってしまう。。
「次はクラゲ見たいなー」
千夜は館内の奥にあるクラゲのコーナーへと駆けていく。
「おーい、走んなって」
「はーい」
千夜はキャスケットを押さえ、くるりと高石の方を振り返った。
その後ろには光の中を揺らめくクラゲがいて、どこか不思議な光景に高石は不安になった。
まるで千夜が、同じ次元の生き物ではないようで。
このまま、自分の前から姿を消してしまいそうで……。
「あ、そうだ、不死のクラゲもいるんだよね」
「え?」
高石は問いかけられて我に返る。
「ベニクラゲってやつ。年取っては若返っての繰り返しで、死なないんだって」
そう言いながらクラゲの水槽を見て回る千夜の博識っぷりに、高石は感嘆の声を上げる。
「お前って色々知ってるよな。どこで覚えてくるんだ?」
「本読んでたら覚えてた」
そんな時、後ろから「あっ」と声がした。
「ん?」
聞き覚えのある声に千夜が振り返ると、ルカがこちらを見ている。
眼鏡はそのままだが、解かれた長い黒髪がウェーブしている。花柄のワンピースが似合っており、学校で会った時と違う印象だ。
「誰?」
「図書委員の子」
「鈴村ルカです」
ルカはじっとりとした目で二人を見る。
「デートですか? 先輩たちは」
「えっ!」
高石は慌てるが、千夜は「ははは」と笑う。
「違うよ、彼は友達。君こそデートじゃないの? お洒落してるし」
「私の隣に誰か見えますか?」
「いや、相手がお手洗いにでも行ってるのかと」
「私は一人で来たんです」
その態度から察するに、誰かと来ようとしたが断られたとかであろうか、と千夜は推理する。
「あの、海戸先輩」
ルカは真剣な表情で千夜を見る。
「デート中申し訳ないんですが」
「デートじゃないって」
「ちょっと、いいですか?」
尋ねられ、千夜はちらりと高石の方を向いた。
彼は察したように腹を押さえると、
「俺、腹痛くなってきたからトイレに行ってくる!」
と、駆け出していった。
――空気読めるなあ……。
千夜は肩を竦め、「どうしたの?」と尋ねた。
「海戸先輩は、何のために香川先輩のことを調べてるんですか?」
「あー、そうだね。ある人に頼まれて、とか?」
そう言いながら、ルカの鋭い視線から目を逸らす。
「自分の意思じゃ、ないんですか?」
「うーん、まあ」
千夜が取り繕うように苦笑すると、ルカは苛立ったように拳を握り締めた。
「香川先輩は、貴女に憧れてました」
「え?」
「海戸先輩の貸し出しカードを見て、凄いって言ってたんです」
週に三回ほど図書室で本を借りているが、自分は何か特別なことをしただろうかと首を傾げる。
「海戸さんはこんな難しい本をハイペースで読んでて凄いとか、かっこいいとか、言ってました」
千夜はどう返していいのか分からなかった。
――だから私に、何て言えっていうんだ。
その言葉を飲み込んで、千夜は「そっか」とだけ言った。
「先輩が自分の意思で犯人探しをしてくれてるのかなって、私、ほんとは少しだけ嬉しかったんです。――でも、人に頼まれたからだったんですね」
ルカは肩を落とし、
「香川先輩が、かわいそう」
と、言ってから首を振った。
「すみません、先輩を責めるつもりはなかったんです」
「いいよ、気にしないで」
「わ、私、もう行きます。デートの邪魔をしてすみませんでした」
ルカはワンピースの裾を翻し、駆けていった。
「デートじゃないのに」
千夜は頬を掻き、溜め息をついた。
――憧れてたって言われても……。
「そんな人間じゃないよ、私は」
「もう話、終わったか?」
その声に振り返る。高石が戻ってきたのだ。
「ああ、うん。終わったよ」
「そっか」
高石は「あ、これ」と言って売店の小袋を千夜に渡す。
「ん、なに?」
「いや、クラゲ好きみてえだし」
開けてみると、クラゲのキーホルダーが入っていた。プラスチック製で青く透き通っており、千夜好みのものだ。
「君も、こういうテクニック持ってたんだね」
「は?」
「いや、ありがとう。大事にするよ」
千夜は微笑み、それをバッグに付けた。
その後はペンギンを見たりイルカショーを見たり、と楽しい時を過ごした。
その後はペンギンを見たりイルカショーを見たり、と本当にデートのような時間を過ごした。
そして千夜は、夕方の帰り道を歩いていた。
夕方の街は夜とは違う淋しさを感じさせた。
「帰ったら一人かー、つまんないなー」
小さく呟く。
「それなら、俺と一緒にドライブでもするか?」
その声に、はっと車道を見る。
黒い軽自動車の窓から、水上が顔を出していた。
「結構です」
殺人鬼の車に乗るなど、さすがの千夜も恐ろしくてできない。
「そうかい。じゃあ、とりあえずこれだけ」
彼は大判の封筒を千夜に手渡す。
「何ですか?」
「俺なりに調べた、香川弓子のことをまとめといた」
「香川さんの……」
「ああ、ヒントになりゃあいいと思ってな」
「あ、ありがとうございます」
千夜は一応礼を言うと、パラパラと中の書類を確かめた。
「へえ、香川さんって中高一貫校に通ってたんだ。何でそれがわざわざうちの高校に……」
そこには、弓子が中学時代に起こした『問題行動』について書かれていた。
「そうか、それで……」
――死んでまで迷惑をかけて、だったのか……。
その夜、千夜は夢を見た。
じっとこちらを見ている少女がいる。
――香川さんだ。
千夜はどこか後ろめたくて目を逸らした。
――私は、水上さんに頼まれて犯人探しをしてるだけなのに。
それでも弓子は、ただ千夜を見つめている。
――香川さんがかわいそう、か……。
ルカの言葉を思い出す。
「あんまりさあ、見ないでよ。私は君のために何かしてるわけじゃないんだ」
突き放すような言葉を口にして、千夜は頭を掻いた。
「誰かのために、何かできるような人間じゃあないんだよ……」
でも……。
――目を、逸らしてはいけない。
水上はそう言った。闇に、飲まれると。
そう、この弓子は千夜の中にある闇だ。
目を逸らしたら、自覚しないまま闇に飲まれる。
千夜は弓子に目をやった。
きっと、助けを求めている人間はこういう目をするのだろう。
――あの時のキスは……。
やっと、気付けた。
――君は、私に……。
千夜は拳を握り締めた。
「大丈夫、この事件は、私が解決するから」
月曜日の放課後、生物室での授業が終わると千夜は平静を装って立ち上がった。
これから自分はきっと恐ろしいものを見ることになるのだろうと思いながら。
「あ、千夜」
高石の声に振り返る。
「ん、何?」
「教室、戻らねえの? 荷物置いてきてるだろ」
千夜はにっこりと笑った。
「先生に質問があるから、先に戻ってて」
「おう」
生物室から生徒たちが出て行くと、千夜は教卓で教科書などをまとめている国本に声をかけた。
「先生、あの……」
「何かね」
「先日使っていたハンカチを返してください。あれは私が香川さんに貸したものです」
国本は一瞬固まった。
だが、ぎこちない笑顔を浮かべ、ポケットからハンカチを取り出す。
「ああ、君のだったのか。弓子に借りていてね……」
千夜はそれを受け取り、息をついた。
「先生が香川さんと愛し合っていたというのは、嘘ですよね」
国本の顔が、歪む。
「何を言っているんだ、私たちは確かに愛し合っていたんだよ。その証拠に……」
「香川さんは、同性愛者だったんです」
千夜はそのまま言葉を続けた。
「中学時代、校内で女子生徒とキスしていたのを教師が見付けて、問題になったそうです」
「それは、中学生の時のことだろう。高校生にもなれば、それが間違いだったと分かる」
「同性愛を間違いと言っていいのかは知りませんが、彼女は私にキスをしました。それが、彼女が今も女性を愛している証拠です。愛し合っていたというのは、先生の嘘か妄想……」
国本は千夜の腕を掴んだ。そして引きずるように準備室へ押し込む。
「わっ!」
床に尻餅をついた千夜を見下ろす国本。
「君に見せてあげよう。私と弓子の愛の結晶を」
準備室にはホルマリン漬けの生物標本が置いてある。
国本はその一つを取ると、千夜に見えるよう目の高さに下げた。
――胎児だ……。
千夜の予想は当たっていた。彼が弓子の腹を裂いたのは、胎児を取り出すためだったのだ。
「この子が、私と弓子の愛の証だ!」
国本は狂ったように笑う。
「彼女はこの子を堕ろすと言ったから殺した。そして、この子を『保存』した。――いやいや、しかし何故彼女が私を拒んだのかと思ったが、そうか、君が彼女を、唆したのか」
「唆した?」
千夜は国本を睨み付ける。
「彼女は、助けを求めていたんです! 貴方に犯されて妊娠しても、両親には言えない。一人で抱え込んで……、それが、あのキスだったんだ」
今思えば、弓子はすがるような目をしていた。助けを求めていたのだ、他ならぬ自分が憧憬を覚えた千夜に。
「それこそ、妄想だ!」
「確かに、私の想像です。でも、貴方が香川さんを殺したのは、紛れもない事実です」
千夜はポケットからスマートフォンを取り出した。それは録音状態になっている。
「確かに言いましたよね、殺したと」
「この……」
国本はホルマリン漬けを置くと、千夜の胸倉を掴んだ。
「きゃっ!」
「千夜!」
準備室のドアが開く。
入ってきた高石が、国本を千夜から引き離すと投げ飛ばした。
「うっ」
国本は棚に体を打ち付け、呻き声を上げる。
高石は千夜の手を掴んだ。
「大丈夫か!」
「うん、ありがと」
千夜は微笑む。
「一人でこんなことしたら危ないだろ!」
「うう……、私と、弓子は……」
国本の声に、はっとする二人。
だが、彼は項垂れたままただ呟く。
「愛し合っていたんだ。弓子は私に微笑みかけて、訊いたんだ。愛とは何かと……。それは、私に愛情を教えてほしかったからだろう……」
「ええ、教えて欲しかったんでしょうね。生物学的に、自分が抱く愛は間違っているのか」
千夜は、答えた。
その後、警察に連絡した千夜は署で話を聞かれた。
彼女はただ、見て聞いたことを話した。――水上のこと以外。
千夜が解放された時、外は暗くなりかけていた。高石も別室で話を聞かれていたが、さすがに千夜ほど長くはかからず、一旦学校に寄って帰るとメールがあった。
「やれやれ、図らずも名探偵になっちゃったよ」
千夜が一人で呟き、警察署を出ると一台の車が止まった。
「よお、家まで送るぜ?」
「お願いします」
疲れていた千夜は、殺人鬼の申し出を断らなかった。
「でも、大丈夫なんですか? 現代の切り裂きジャックがこんなところに来て」
「証拠とか残してねえから」
「それならいいんですけど」
水上は運転をしながら話し始める。
「事件を解決した気分はどうだ?」
「不思議な感じです。まるで……」
千夜は胸を押さえる。
「犯人の殺意と狂気が、私の中に流れ込んでくるような感覚でした」
「そうだ、やっぱりお前には素質がある」
「素質?」
「人を殺す――殺人鬼になる素質だ」
丁度車が赤信号で止まった。
水上は千夜の方を向き、笑う。
「これからたくさんの事件に関わってって、どんどん殺意と狂気を吸収してけ。それで答えを出しゃあいい。殺すか、殺さねえか」
信号が青になり、水上は前を向いた。
「だったら貴方の生き様も見せてください。人を殺す者の末路が、どんなものになるのか」
水上は「ははは」と笑った。
「ああ、存分に見てくれ。どうか心の片隅に、俺の殺意と狂気を留めておいてくれ」
千夜は黙って頷く。
「さあ、着いたぜ」
車が止まる。もう千夜のマンションに着いていた。
降りようとした千夜に、水上は微笑みかけた。
「俺たちは長い付き合いになるぜ。きっとな」




