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撮影会

作者: あき

 目覚めると、肌寒さを覚える。

 寒い。

 草色のアーミーコートを手に取るとカレンダーの日付が目に入った。

 ……そうか、今日から11月か。

 大学に入り親元を離れて一人暮らしをはじめて、2年目の冬がくる。

 押入にあるコタツもそろそろ準備をしなくてはいけないのだが、多忙なため未だに出せずにいる。

 俺、橘椎名は入学して間もなくできた友人から強引に写真部に入部させられ、今月の学祭の準備で冬支度をする暇もない。まったく遺憾である。

 ふと、玄関の新聞受けを見ると、紙が丸めて入っていた。

 丸めた紙を広げると、字が書き殴ってあった。

『お菓子をくれなかったから悪戯しちゃった』

 差出人は書いてなかったが、速攻で紙を丸めてポケットに入れる。

 文字通り悪戯なので気にせず、俺は身支度を整えた。

 欠伸を噛み潰しながら、ワンルームの我が城を出る。

 鍵をポケットしまうと、視線を感じて振り返る。

 そこにはパンの耳の色をしたダッフルコートを羽織ったロングヘアの女の子が顔を真っ赤にして待っていた。

 同じ写真部の斉藤ゆかりだ。

 俺はゆかりにぶっきらぼうに朝の挨拶をする。

「よう、ストーカー」

「誰がストーカーよ!」

 鋭い目つきをした彼女が叫ぶ。

「特定の誰かの自宅前に息を潜めて待っている奴はストーカーだろ」

「椎名が待ち合わせの時間になっても来ないから来たのよ!」

 腕時計を見るが、約束の時間にはまだ30分以上時間がある。

「ゆかり、約束の時間は?」

「10時」

「今の時間は?」

「10時30分」

 携帯を確認しながら、彼女が呟く。

 自分の腕時計と携帯の時間を確認して改めて、俺は尋ねる。

「どうして電話しなかった?」

「何度も電話したけど、電源が切れて繋がらなかったから……」

 俺の携帯に着信履歴はない。

「ゆかり、携帯貸して」

 戸惑いながらも、最近少なくなったガラケーを差し出す。

 俺はガラケーを操作しながら尋ねる。

「昨日の夜、佐久間と会ったか?」

「え? あっ、うん」

 少し驚きながら、彼女は頷く。

「あいつ、その時変な格好していなかった?」

「うん、してた。カボチャの仮面をつけて『トリックアトリート!』って叫んでた」

 あいつらしい。

 佐久間というのは俺が大学に入って始めてできた友人であるが、頭のネジが数本緩んでいるようで時々このような奇行を行うことがある。

「それでゆかりはどうした?」

「無視した」

 正しい対応だ。

「その後、学祭のディスプレイの準備をしてたから話してない」

「その後、携帯を使ったか?」

「ないよ。夜遅くまで準備してたから疲れてすぐ帰って寝ちゃった」

 大体事情は分かった。

「ところで、朝、俺の自宅の新聞受けにこんなのが入っていたんだが」

 そう言ってポケットからくしゃくしゃに丸めた紙を差し出す。

「これは?」

「おそらく佐久間が昨日の夜に入れていったんだろうな」

「どういうこと?」

「今日、俺とゆかりが会うことを知っていた佐久間が、お前の携帯をいじって1時間時計を早めていたんだろうな。おまけに俺の携帯番号も変えてあったぞ」

 そう言って、俺の正しい番号を入力し直した携帯をゆかりに返す。

「なんでそんなことを?」

「文字通り、悪戯だろ」

 その言葉を聞いて、ゆかりは更に顔を真っ赤にした。

「あいつ、本当に今日という今日はっ!!」

 彼女の顔とは対照的に真っ白になっている手を見つめて、俺はため息を吐いた。

「ゆかり、お前いつから待っていたんだ」

「えっ!?」

 彼女が驚いてこちらを見つめてくる。

「15分前か?」

 うつむいて、彼女が首を横に振った。

「……前」

 蚊の泣くような声でよく聞こえない。

「ん?」

「い、一時間前から……」

 待ち合わせ場所は今日、撮影する川沿いの大きな公園の入り口。

 朝の8時から待っていれば、身体だって冷えただろう。

「ばかやろう」

 俺がそう言うと、彼女はビクッと身体を震わせた。

「佐久間は俺が後で叱っとくから」

 そう言って、俺は彼女の後ろに回り込む。

「まずは近くの喫茶店であったかいもんでも飲もうな」

 彼女はこちらを驚いたように見上げて、心底嬉しそうに笑った。 

「うん!」

 彼女の笑顔を見て、俺もほんの少しだけ心が温かくなるのを感じる。

 そして、俺は彼女が座っている車いすのハンドルを握った。

 彼女は障がい者。

 彼女の両足は動くことはない。


 

 間もなく、よく利用する喫茶店で朝食を取る。ゆかりはミルクティーを飲みながら佐久間の奴をとっちめてやると、大変ご立腹な様子であった。

 身体を暖めた後は、公園での撮影会を開始する。

 被写体はゆかり。

 公園の芝生の上を進むゆかりは、居心地悪そうに何度も「どうして私が」と呟いていた。モデルの経験がないと言っていた彼女にカメラを向けるとぎこちない笑みを浮かべる。

「怖いな」

「うっ、うるさいよ」

「スマイル」

「にぃー」

 目がいっさい笑っていない。

「もっと自然に笑って欲しいんだが」

「努力する」

 カメラのレンズを向ける。

 唇の端を上げる、口元がヒクヒクッと震えている。

 ……なかなかおぞましい。

 そう思いながらも、シャッターを切っていく。

 彼女も時間が経つにつれて、慣れてきたのか表情が和らいできた。

「おっ、かわいいワンコ発見!」

 そう言ってレトリバーを撫でるゆかり。かわいいワンコというのは小型犬のイメージであったが、嬉しそうに微笑むゆかりに思わずシャッターを切る。

「ところで椎名」

「なんだ?」

「君は犬派かな、猫派かな?」

 少し考えて、俺は答える。

「どちからと言えば猫かな」

「ふ~ん、好きな猫の種類は?」

「アメショ」

「うわっ、コイツ面食いだ」

 俺は無言で睨みつけると、彼女は更に嬉しそうに笑った。

「あはは、椎名が怒った、怒った」

 俺が一言言ってやろうと歩み寄ると、彼女が車いすを軽やかな動作で動かす。

「怖い、怖い。逃げようっと」

 声をかける前に走り出すゆかり。

 俺も走り出すが、スピードが出た車いすにはなかなか追いつけない。

 やっと追いつく頃には俺の息も上がっていた。

「椎名、もっと運動しないとダメダメだね」

「はぁ、はぁ……うるさい」

 彼女はまたおかしそうに笑った。

 俺は震える膝を我慢しながらカメラのシャッターを切った。

 その時、サッカーボールが転がってきた。

 ボールは彼女の足下で止まる。

「すみませーん」 

 小学生ぐらいの男の子達二人が走り寄ってくる。

「お姉さん、ボール取ってくださーい……あっ」

 罰の悪そうな顔をした男の子達。

 俺は急いでボールを蹴ろうとしたが。

 それよりも先に彼女がボールを拾い上げて、大声を張り上げた。

「いっくよー!!」

 そのかけ声とともにサッカーボールを思いっきり放り投げられる。そのサッカーボールは男の子たちの頭上を大きく通り越し、遙か向こうまで行ってしまった。

「すっげー」

 男の子達は予想以上に遠投となったボールに驚いて、ボールを追いかけ始める。

「どうだ、まいったか!」

 彼女は勝ち誇ったように笑う。

 その顔ももちろんシャッターで収めておいた。

 

 楽しかった撮影会はあっという間に終わり、気がつくと日が沈みかけ、オレンジの光と闇が辺りを包みこもうとしていた。

 川沿いに車いすを押していた俺にゆかりはまっすぐ前を見つめながら尋ねてきた。

「ねぇ、椎名」

「ん?」

「……私でいいの?」

「なにが?」

 ゆかりが口ごもる。

 川の匂いが冷たくなった風によって運ばれる。

 耐えられなくなったのか、ゆかりが車いすを走らせて距離を取る。

「今日の撮影って、次の学祭の写真でしょう」

「そうだが」

 彼女が器用に車いすを反転させてこちらに向き直る。

 真剣な表情だが、不安そうに瞳が揺らぐ。

「写真のテーマ『私の宝物』でしょ」

「そうだな」

 その答えにも彼女はなおも苛立つように尋ねる。

「椎名の宝物、私でいいの?」

「いいよ」

 俺はあっさりと答える。

 その答えが予想外だったのか、彼女が動揺したように早口になる。

「……わ、私、面倒だよ。嫉妬深いし」

「他の女なんてみねーよ」

「童顔だし、スタイルだってよくないし」

「むしろ好みだ」

「それに……」

 彼女が一瞬そこで言葉を切る。

「わ、私、歩けないんだよ。一緒に並んで歩く事できないんだよ」

 彼女の瞳から涙がポロポロと溢れてくる。

「同情で付き合おうとしているんだったらやめて……」

 そう言って俯いた彼女。

 俺は歩み出す。

「前向きなところ」

 また一歩踏み出す。

「バカ正直で真面目なところ」

 もう一歩踏み出す。

「思いやりのあるところ」

 気がつくと彼女の目の前に立っていた。

「俺はお前のそういうところ、好きだよ」

 彼女の右手に俺の右手を乗せて彼女の顔をのぞき込む。

「障がいなんて関係ない、俺が一緒にいたいんだ」

 彼女の顔がぐちゃぐちゃにゆがむ。

「好きだよ、ゆかり」

「うん……うん……」

 彼女が何度も頷いていた。

「それに――」

 俺は涙するゆかりの肩に手を回し両足を抱える。

「並んで歩けないなら、抱えて歩けばいいんだろう」

 お姫様抱っこをされた彼女は思わぬことだったのか一瞬驚いたが、すぐさま大声で怒鳴り散らした。

「バカ! 恥ずかしいから下ろせ! 下ろせー!」

 俺の腕の中でジタバタ暴れる彼女が愛おしくて、俺は微笑んでいた。



 学祭、当日。

 写真部の壁には大きく引き延ばされた満面の笑顔の彼女と、その隣に似合わない笑顔を浮かべる男が仲良く並んでいた。

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