転生者の帰還
異世界ウーリ=ボウ。
ちょくちょく日本人が流れ着く異世界大陸の端っこに奇妙な石造りの建物があった。
元は倉庫だったものを改造したその建物の中は雑然としており、中央に注連縄じみた太縄で吊るされた二台の四脚の乗り物がひと際異質な気配を放っていた。
二台の片方は厳つい体躯を艶消しされたパープルブラックに染め上げられた重量型、もう片方は黒紫とは対照的に直線を多く配したスマートな形状をライトグリーンに輝かせる軽量型だ。
そして、一人乗り用と思しきその二台は、魔物の革をなめした揃いのライダースーツを着た男がそれぞれ整備を続けていた。
一見して、二人は整備士であると同時に騎手でもあることが窺える。
「なあ、さすがに厳しいんじゃねえか?」
黙々と黒紫の機体の底面に潜って作業する老人に、同じようにライトグリーンの自機を整備している青年が気遣わしげに声をかけた。
「異世界から日本に戻るには速度が大事だって言われただろう? 何で重量級の“馬”にしてんだよ。耄碌したんじゃねえのか?」
ぶっきらぼうな口調の中にも老人を心配する色が窺える。
それはそうだろう。青年が日本でトラックに轢かれてから早5年。右も左もわからない異世界でその命を繋いだのは間違いなくこの老人なのだ。
転生一筋50年、最早、異世界に在住していた期間の方が長いこの老人が今さら逆トリップに協力しているのも、ひとえに青年を日本に還してやる為に他ならない。
「今の時期の“魂魄脈流”はこっちからむこうに流れてる追い波だ。下手に安定性を重視すると支流への切り替えに遅れちまうぞ」
「……んなことは言われんでもわかっとるわい」
ようやく最後の調整が終わった老人が機体の下から這いだし、のそりと立ち上がった。
ゴキゴキと背骨を鳴らす動きに遅滞はなく、70歳近くなっても腰も曲がっていないかくしゃくとした姿だ。
成程、顔の皺こそ深いが、特注のライダースーツから覗く手足についている筋肉はよく絞られており、初めて会う人は50歳そこらに見間違えるだろう。
実際、平均年齢が40を切る異世界でよくもった方だろう。
青年は老人の頭から爪先を見回し、ひとつ溜め息を吐いた。
「……やっぱ体がキツいのか」
青年は僅かに悔しさを滲ませながら云った。
重量級の“馬”がアストラルの波に乗って泳ぐ機体なのに対し、軽量級の“馬”は文字通り波の上を走る機体だ。
当然、安定性は重量級に比べて大きく落ちる。体への負担も大きい。
いくら老人の体が年齢不相応に頑強でも、軽量級に乗っては日本に流れ着くまで体力がもたないだろう。
「寄る年波には勝てんさ。だが、もう一度白米が食えるのならできるだけのことはするべきだろう」
「そうかい。けったいな年の食い方してるよな、ジイさん」
「うっさいわ。儂は生涯現役よ」
「へいへい。……時差を計算すると出発は明日だ。精々老骨を労わってやれよ」
「小僧がいらん気を回すな。自分のことだけ考えておれ」
最後まで減らず口を叩き合いながら二人は石造りのガレージから出ていった。
後には、明日の活躍を控えて沈黙する対照的な二台の機体だけが残されていた。
◇
明くる日、珍しくからっと晴れた秋空の下、二人はガレージから自機を搬出した。
土の見える地面に四脚をつけ、まるで生きているかの如き半生体装甲を陽の下に晒す。
二人は胴体部に騎乗したまま待機し、幾人かの現地人の見送りに手を振り返しながら、異世界の天蓋を睨む。
この時期の、この場所にのみ、“魂魄脈流”に至る門が開かれる。
奇跡じみた一致で日本へと帰る道程が開かれるのだ。
「――来る」
呟いたのはどちらだったか。
互いに目配せした老人と青年は迷うことなく機体に火を入れた。
どことなく生物的な唸りをあげて、二機のホメオスタシスが起動する。
ウーリ=ボウと日本にはおよそ2か月の時差がある。
今頃、日本は夏の真っ盛りだろう。
すなわち――
「準備はいいな、小僧」
「いつでもいいぜ、ジイさん」
――お盆である。
天蓋に魔法陣じみた門が開かれると同時、二機が甲高い嘶きをあげて空を駆けあがる。
風を切って疾走するその二機こそ二人の逆トリップの切り札。
有機装甲に推進機関たる四脚を接続した能動的黄泉還り走行機――“精霊馬”である。
二人もまさか生きたままお盆の名物に乗ることになるとは思ってもいなかった。
だが、概念と魂によって成り立つアストラルの世界ではイメージこそがなによりも優先される。
魂の世界からお盆の日本に戻るには、精霊馬こそがたったひとつの冴えたやり方なのだ。
◇
門をくぐると同時、二人は輝くアストラルの激流に取り込まれた。
極彩色のワープ空間じみた魂魄脈流の中では無数の霊魂がライトグリーンの軽量――キュウリに乗って滑走している。
やはり昨今の流行りはキュウリのスマートな加速と旋回性能だ。
波音を立てて弾けるアストラルの飛沫に目を細めながら、青年は整備の行き届いたキュウリを繰ってその流れの先頭に立たんと疾走を重ねる。
だが、驚くべきことに青年の前には黒紫色の重――ナスに乗った老人の背中が見えていた。
でっぷりと肥えた黒紫の紡錘形のどこにそんな速度を秘めていたのか、ナスはぐんぐんと速度をあげていく。
「――イイイイイイヤッホオオオオオオ!!」
年甲斐もなくはしゃぎまくった歓声付きで。
「ジイさん、ジイさん!! キャラ!! キャラ壊れてる!!」
「今じゃ!! 今こそ儂は風になる!!」
「寄る年波どこいったんだよ!!」
青年のツッコミも遅きに失する。
風を切って滑走するナスは遂に激流の先頭に飛び出した。
そして――
「ジイさん!! そっち違う!! 日本あっち!!」
「あ」
はしゃぎ過ぎて乗るべき支流を間違えた。
アストラルの追い波が想定以上の速度を叩きだしたが故である。
痛恨の失敗だった。
慌てて旋回しようとするが、ナスの重い旋回速度では180度のターンは時間がかかり過ぎる。
激流に流されていく間に日本行きの支流の入口が通り過ぎていく。
老人のナスは支流に乗れない。
馬力があろうと、彼我を阻む距離が、純粋な速度が足らないのだ。
だが――
「――こんなこともあろうかと!!」
直後、老人がグリップ下に仕込んだ赤いスイッチを保護カバーを砕きながら押し込む。
途端に、ナスが四脚をぐっと撓ませる。
次の瞬間、バネ仕掛けの如く驚異的な跳躍を見せて空中に躍り出ると同時、そのフォルムを変形させた。
左右の有機装甲を蒲焼じみた三枚下ろしに展開、内部に搭載した肉詰めが露わになる。
一瞬の間を継いで、点火。
肉詰めが焼け焦げる音を立てて爆発的に燃焼し、ブースターと化す。
その効果は絶大だった。
最早、空中を飛翔するナスの精霊馬は唖然と見上げる青年を再び追い越して日本行きの支流へと乗りいれた。
老眼に滲む視界の中、極彩色の景色が速度で以て引き延ばされていく。
耳元で轟々と風が唸り、間近で香る焼けるの肉の匂いに老人の腹がぐうぐうと鳴る。
ナスの肉詰めは今となっては懐かしき母の味なのだ。
遠く見える迎え火は日出る国への道標か。
無数の霊魂を飛翔速度で追い抜きながら老人は皺だらけの口元に笑みを刻みつつ、吼えた。
「――待っておれよ、日本!!」