第七音の休止符
「開かれしは音のない場所
それは永遠ではない
糸は絽となり
私は魯なれば
志は露でしかない」
糸は複雑に織り上げられ、私は愚かであるので、志なんていうものは儚いものでしかない。……そんな意味らしい。人生の難しさと人間の儚さを表わしているそうだ。
耳の奥まで染み込むような心地よく繰り返される音韻。始めは意味も知らずその音が気に入って、もはや口癖にまでなっていた。高梨詩織はたまの休日にこうして一人で散歩をするのが好きだ。風の音を聞きながら、お気に入りの詩を口づさんで、どこへ向かうでもなく外の空気に触れる。世界に溶け合いながらこのときだけは誰も詩織を干渉するものがない。個人でいることを意識する必要もない。
「あれ、こんなところで何やってんの?」
どこか覚えのある声に一瞬びくっと肩が震えた。何ともない顔で振り向くとそこには同じクラスのお調子者がたっていた。ふぅと音にはせずに短く息をはく。
「ちょっとね。あなたこそ」
「うん? 俺もちょっとね」
すました顔で答えをはぐらかすと、彼は詩織の言葉を捕まえて面白そうに笑う。
「それで、何か用?」
「後ろ姿が見えたから」
「それ、声をかける理由になる?」
取りつく島もない詩織に彼は苦笑する。
「あーうん、なんか、ふわふわしててどっかいっちまいそうだったから」
不覚にも照れたように髪をいじる彼を少しかわいいと思ってしまった。
「……大丈夫よ。私、そんなに弱くないもの」
「そうか? まぁ高梨が落ち込んでるようじゃ、お前より成績悪いやつは立つ瀬ないからな」
「それって自分のこと?」
詩織が言うと彼は苦い顔をするので今度は笑ってしまった。それを見て彼は安心したように微笑む。
「笑えるなら問題ないな。じゃ春には同じ大学で」
去っていく背中を見送りながら心は晴れやかだった。想いは音となって唇からこぼれおちていく。
「しはろとなり、しはろなれど、……風は路を示すだろう」
大好きな詩を勝手に変えてしまった後ろめたさと自分の物だけにしたような優越感。紅潮する頬を冷たい風が撫でていく。詩織はどこへいっても自分は大丈夫だと、確信に近い思いを抱いていた。
音が聞こえる、鮮やかな音色が。はばたくことに疲れたら羽を休めればいい。耳に聞こえない音がその先を導いてくれる。留まることは許さないけれど、休息を与えてくれる。
緩やかな旋律が風にのり、その細く頼りない足はしっかりと前を向いていた。枯れ木が立ち並ぶ通り道を照らす陽が、詩織には眩しくて愛しかった。
お読みいただきありがとうございました!
あまり時間はかけていないけど楽しく書きました。




