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第9話 あれは夢? 妄想?

「うーん、あれは夢だったのかしら?」



翌朝、オヴェリアは伯爵執務室で書類に目を通しながら悩んでいた。



(昨日の夜中、エルが私の部屋に来て、「怖い夢を見ました」って言いながら涙ぐんでベッドに飛び込んできた気がするんだけど)



エルが自分を頼って来てくれたことが嬉しくて、幸せな気持ちで彼を抱きしめて寝かしつけた──。


ような気がしていたのだが、朝目を覚ましたらベッドの中にエルはいなかった。



アレが実際の出来事だったのか自信が無くなったオヴェリアは、エルに聞いて確かめようと思ったのだが……。


彼は屋敷内でオヴェリアと鉢合わせしそうになると、気まずそうな顔をしてあっという間に逃げ去ってしまうのだ。



(泣いたのが恥ずかしかったのかしら? 子供とは言っても男の子だから、プライドもあるでしょうしね)



しつこく聞かない方が良いのかもしれないとオヴェリアが心の中で結論付けた時、部屋の扉がノックされた。



「どうぞ」



オヴェリアが応えると、伯爵執務補佐の男性が入って来る。



「失礼します」



男性はそう言いながら、数十枚の紙を束ねた冊子を差し出した。



「お嬢様からご依頼いただいておりました、ホーリング領内でここ数ヶ月以内に提出された行方不明届けについての報告書です」


「ありがとう、確認するわね」



そう言うと、男性は一礼して執務室を出て行った。


それを見送ってから、オヴェリアは受け取った冊子を繰って目を通していく。



(やはり、行方不明者の数は以前より増えているわね。大人なら自分の意思で姿を消したとも考えられるけれど、子供は……)



子どもの行方不明者は比較的少ないものの、ゼロではない。


オヴェリアはその一人一人の名前や外見の特徴を確認していった。



(10歳前後で、名前が「リュシオン」という子供や、銀髪で青い目の子供の行方不明届けは出ていないわね。エルの家族があえて出していないのか、それとも……)



もしエルが住んでいたのがホーリング領外だったのなら、そもそもこの報告書には記載されない。



(国内全ての行方不明者の一覧を手に入れるとなると、王都の中央守備隊に申請しなければならないけれど……申請が通っても、書類が手元に来るまでに半年はかかるのよね)



……それに、明らかに自分の身元を隠したがっているエルの意志に反してまで調べていいものだろうか?


けれど、エルの家族は今もエルのことを心配して、探し回っているかもしれないと考えると──。



「うーん、考えても答えが出ないわ……。一旦休憩して、お茶でも飲もうかしら」



そう呟きながら、オヴェリアがふと屋敷の窓から庭を見下ろすと……ちょうど屋敷の裏門を出て、森の方へ歩いていく人影が見えた。


身長からして子供のようだ。


その子供はフードのついたケープをかぶっていて、顔は良く見えなかったが……。


風に吹かれてケープが一瞬めくれた時、その下にちらりと見えた髪は、銀色だった。



「……エル? ひとりで森へ行く気なの!?」



オヴェリアは慌てて立ち上がり、外出用のケープを掴んで執務室を出て行った。




***




エルは、足早に森の中を歩いていた。



(聖女を殺害したら、犯人が俺だとばれなくてももう伯爵家にはいられない。いずれにしろ、ほとぼりが冷めたら折を見て帝国に……皇宮に帰るつもりだったが)



皇宮に帰るためには、国境を越えて帝国内の街まで行き、そこで身分を明かして救助を求めることになるが、そのためには身分を証明する物が必要だった。



(皇家の紋章が入った指輪なら、証明にはなるだろうが……)



エルは怪我を負ってやみくもに逃げているうちに、付けていた指輪をどこかに落としたらしい。


森の中に落ちているかはわからないが、他に当てもないので一旦森の中を探してみることにしたのだ。


まずは、自分が倒れていたあたりを探してみたかったのだが……。



「……この森のどこで倒れていたのか、思い出せないな」



エルがやや途方に暮れながら、とぼとぼと森の中を歩いていた時、



「──あ、いた! エル、待って!」



背後から声が響いた。


振り返ると、オヴェリアがこちらへ駆け寄って来るところだった。



エルはぎょっとして一瞬逃げようかと考えたが、意外にも足の速いオヴェリアがあっという間に近づいて来て、腕を掴まれてしまった。



オヴェリアは息を切らしながら、



「どこへ行くの? この森は大きな獣は出ないけれど、奥まで行けば狼が出ることもあるから子供一人では危ないわ。……邪魔はしないから、着いて行ってもいいかしら?」



そう言いながら、微笑みかけて来る。



「……少し散歩がしたかっただけです。奥の方まではいきませんし、一人で大丈夫ですから」



そう言ってやんわりとオヴェリアの手を離させ、歩き始めた。


オヴェリアが諦めて、屋敷に帰ってくれることを願っていたが、



「……そう。じゃあ少し離れて付いていくから、私のことは気にしないで」



オヴェリアはそう言いながら、数メートルの距離を空けてついてくる。



(……やはり駄目か。さすがにこの人を連れていたら、指輪を探すわけにはいかないな)




エルが、諦めて屋敷に戻ろうと踵を返した時──。


不意に森の奥から、一人の男が現れた。



男の顔は泥で汚れているが、おそらく20代半ばくらいだろう。


猟師風の服装をして帽子をかぶり、腰には狩猟用の剣を帯びている。



男はオヴェリアとエルを見て、嬉しそうに声を上げた。



「──ああ良かった、人と出会えた! すみません。実は道に迷ってしまって、もう半日近く森の中をさまよっていたんです」


そう言いながら、こちらに近づいてくる。



オヴェリアは素早くフードをかぶって顔を隠しながら返事をした。



「まあ、そうでしたの。それは大変でしたね」


「ええ。それに狩りもうまく行かないし、商売あがったりです。……すみませんが、街へ戻る道を教えてもらえませんか?」



そう言いながら、オヴェリアとエルの方へ近づいてくる。



(……この国の猟師か。オヴェリアの素性には気付いていないようだが……)



エルは少し警戒を解きながら、男を見た。


男はほっとしたように溜息をつき、口元に笑みを浮かべながらこちらへ向かってくる。



エルと男との距離があと数歩にまで近づいた時、帽子の下に隠れた男の目がちらりと見えた。暗灰色の瞳で、目の下には泣きぼくろがある。



(この男の顔、どこかで……)



そう思った瞬間、男が素早く剣を抜いた。



「──リュシオン! やっと見つけたぞ!!」



(──そうだ! こいつはギデオンの子飼いの兵士だ!)



そう気づいた時には、男の剣がエルのすぐ目の前まで迫っていた。



エルは剣を避けようと体を引いたが、避け切れず剣先が顔をかすめる。


頬が切れて、血が噴き出した。



「チッ! 無駄な抵抗をするな! お前の死体を持って行かなければ、俺は帰れな──いや、これ以上あの方を待たせたら、俺が殺されるんだ!!」



男はそう言いながら、もう一度剣を振りかぶった。


エルはもう一度避けようと後ろに下がったが、その瞬間、道に這い出した木の根に足を取られて大きくよろめいた。



体勢を立て直そうとしている間にも、男の剣が迫って来る。



(まずい、避け切れない──!)



自分の死を予感して、息を呑んだ時──誰かがエルを突き飛ばし、代わりに男の前に飛び出した。



(──オヴェリア!?)



オヴェリアはエルをかばうように、男とエルの間に立ちふさがり──。



すでに振り下ろされつつあった男の剣は止まることなく、そのままオヴェリアの胸を切り裂いた。


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