第32話 20代が30代になってもわかるけど、10代が20代になるとわからない。
「オヴェリア……ずっと声が聴きたかった。俺が止めてしまったあなたの“時”がまた動き出して、その唇が再び俺の名前を呼んでくれるのを。……もう二度と、離さない」
見知らぬ男性にそう言われ、きつく抱きしめられて……オヴェリアは戸惑いを隠せなかった。
(この人は一体誰!? なぜエルの名を騙るの? いえ、もしかしてエルと同じ名前なのかしら……。だとしても、勝手にキスするなんて!)
寝起きでぼんやりしていた頭が次第にはっきりしてくるにつれて、オヴェリアは自分の置かれている状況の異常さに気付き始めていた。
見知らぬ部屋で寝ていた上に、寝台で見ず知らずの男性に抱かれている時点で相当おかしな事態で……その上、唇まで奪われたのだ。
(とにかくこの人から離れないと、まずい気がする……!)
オヴェリアは自分を抱きしめて放してくれない男性を何とか押し返そうと、腕に力を入れながら懇願した。
「あの、ちょっと、放してください!」
「嫌です」
男は短く拒否して、筋肉質な腕でしっかりとオヴェリアを拘束しながら、さらに髪に顔をうずめて来る。
その腕は微かに震えていて、抱きしめられているオヴェリアにもそれが伝わって来た。
「……10年も待ったんですよ? これが夢ではないと実感するまで、しばらく抱かせてください」
男の言うことは相変わらず意味不明で、怖い。
(ああもう、何なのこの状況……! というか、私は眠る前何をしていたのだっけ?)
どうしてこんな状況になったのか思い出そうとするが、頭の中にモヤがかかったようですぐには思い出せなかった。
(ええと……確か私は王宮のパーティーに参加するために、王都へ来たのではなかったかしら? ……そうよ! パーティーに参加して、そこへエルが来て……!)
記憶の蓋が開いたように、オヴェリアの脳裏に次々と映像が流れ込んできた。
パーティーにエルが来て、一緒にダンスをしたこと。
王に呼ばれて、王太子の部屋へ行ったこと。
王太子を治さなければ、エルを殺すと脅されたこと。
床に組み敷かれ、痛めつけられていたエル……。
そこまで思い出して、オヴェリアは悲鳴を上げた。
「──エル! エルはどこなの!?」
オヴェリアの悲鳴に、男が顔を上げて少し腕を緩めてくれた。
オヴェリアは必死に男に詰め寄り、
「……あの、私と一緒に少年がいませんでしたか!? すごく綺麗な男の子なんです! エルという名前……あ、あなたと同じ名前のようですけど別人で。どうしよう……! あの後、エルはどうなったの!?」
支離滅裂な説明をするオヴェリアを、男は苦笑を浮かべて見ている。
不安でたまらないのに、男はオヴェリアの焦燥をちっとも理解していなさそうでもどかしかった。
(……おそらく、私は王太子殿下の治癒に失敗したのだわ……!)
王太子を完全に癒す前に気を失って、体力が回復し次第もう一度治癒魔法を使わせるために王宮の一室に寝かされていたのだとすれば、今の状況にも多少は説明がつく気がした。
──けれどそうだとすれば、エルは今頃どうなっているのだろうか?
(私に言うことを聞かせるためにつれて来られたのだから、きっとまだ、殺されてはいないはずよ……!)
だが、オヴェリアが王太子を完治させる前に気を失ったことで、王は激怒したのではないだろうか?
そうして、その怒りの矛先がエルに向いていたら……!
青くなって震えはじめたオヴェリアを見て、男が口を開いた。
「オヴェリア様、心配しないでください。俺は無事ですから」
「あなたじゃなくて、エルの心配をしているの! お願い、彼のところへ連れて行って! 彼の無事を確認したら、今度こそ必ず王太子殿下を治しますから……!」
「……駄目です。あなたには二度と、治癒魔法は使わせません」
「どうして!? 大体あなたは誰なの!? いいからエルに会わせて! 彼が無事なら、私はどうなっても──きゃあっ!」
話の途中で、男がまた強引にオヴェリアを抱き寄せ、寝台に組み敷いた。
男はその青い瞳に怒りをにじませて、オヴェリアを見つめている。
「──あなたはいつもそうやって、自分の命だけ軽く扱う……! それで俺がどんな想いをするか、わかっているんですか?」
「何を言っているの……? ねえ、お願いだからどいてください! 国王陛下はお約束くださいました。私が死ぬ代わりにエルを逃がす──んんっ」
男がまた、その唇で強引にオヴェリアの唇を塞いだ。
オヴェリアは歯を食いしばって、顔を背ける。
「──っいや、止めて! お願い、こんなことをしている場合ではないの。エルが……!」
「二度と治癒魔法を使わないと約束してください。そうしなければ、絶対に離しま──」
「──お嬢様!? ああ、お嬢様が!!」
男の言葉は突然、女性の声で遮られた。
オヴェリアが振り向くと、メイド服を着た女性と、白衣を着た医師らしき男性が部屋の扉を開いてこちらを見つめている。
「お嬢様、目を覚まされたのですね!? ああ、良かった……!!」
そう言いながらへなへなと床に座り込んだ女性を見て、オヴェリアは驚いた。
(……あの女性、ミーナに似ている……!?)
オヴェリアの知るミーナより痩せているし、少し疲れているように見える。
それに、どうして王宮にいるのかもわからないけれど……その女性はどう見ても、オヴェリアの信頼するメイドのミーナだった。
「……もしかして、ミーナ……?」
「ああっ、お嬢様がしゃべった……!! ええ、ミーナです、お嬢様……!」
ミーナはそう言いながら立ち上がり、オヴェリアの方へ駆けて来る。
そしてオヴェリアに圧し掛かっている男に厳しい目線を向けて、
「……大公閣下、何をしているのですか!? お嬢様の上からどいてください!」
ミーナにそう言われると、男はあっさりとオヴェリアを放して寝台からも降りた。
オヴェリアはやっと解放されて、身体を起こしながら、
(大公閣下……? この男性が? でも、なぜそんな偉い人がミーナのいうことを聞くの?)
疑問はいくつもあったが、信頼するミーナに会えてオヴェリアはほっとしていた。
彼女ならこの訳の分からない状況を説明するとともに、エルを助け出す手助けをしてくれるはずだ。
「ミーナ、ここは王宮よね? エルが今どこにいるか知っている!? 早く助けに行かないと……!」
オヴェリアが必死にそう言うと、ミーナはポカンとした表情になった。
「……エルは、ここにいるじゃないですか?」
「そのエルじゃなくて! そこにいる……大公閣下? がエルと同じ名前なのは知っているけれど、そうじゃなくて、私の大切なエルのことよ!」
「……お嬢様、わからないのですか……?」
「……ど、どういうことなの?」
オヴェリアが心底困惑してそう言うと、ミーナは苦笑しながら答えてくれた。
「お嬢様。そこにいる大公閣下が、お嬢様の大切なエルですよ。……お嬢様は10年間眠っていらっしゃいました。エルは24歳になって、今はこの領地を治める大公様です」
「……え? じゅ、10年? どういうこと?」
情報量が多すぎて全く呑み込めないが……それでも、要するにミーナが言っているのは……。
オヴェリアはゆっくりと振り返って、男を眺めた。
月の光を集めた銀色の髪に、宝石のような青い瞳。
神が精巧に作った人形のように整った顔。
そこまでは、オヴェリアの知るエルと一緒だが……。
オヴェリアより頭2,3個分は高そうな背に、鍛えられた体躯は、どう見てもオヴェリアの知る14歳のエルではない……。
(でも言われてみれば、エルが成長して20代半ばになったら、きっとこんな風に麗しい青年になるのではないかしら……?)
「……え、エル……なの……?」
オヴェリアが驚愕に掠れた声でそう問いかけると、男は悲しげに笑った。
「……ミーナさんのことはすぐわかったのに、俺には全然気付いてくれませんでしたね……」




