第19話 距離感の近すぎるレオン様
「レオン様、おはようございます。……昨日は本当に、ありがとうございました」
翌朝、オヴェリアは客間の扉の前で、起きて来るレオンハルトを待ち構えていた。
そうして、彼が出て来るなり緊張の面持ちで声をかけたのだ。
身支度を整えて客間から出てきた瞬間、オヴェリアに気付いたレオンハルトは、やや驚きながら返事をした。
「わ、オヴェリア! 体調はもういいのか? ……というか、ありがとうとは?」
オヴェリアはまだ硬い表情を崩さないまま、
「エルのことです。彼をお許しいただき、本当にありがとうございました」
そう言って、深く礼をする。
レオンハルトは苦笑して、
「……そのことか。むしろ俺の方が、君にお礼を言わなければ。昨日は俺の命を救ってくれてありがとう。命の恩人が大事にしている子供を罰するなんて、さすがにできないよ」
その言葉を聞いて、オヴェリアはやっと安堵してほんの少し笑顔を見せた。
(よかった……。これでレオン様が後から気を変えても、エルを罰することはできないわ)
要するに、オヴェリアは言質を取りに来たのだ。
レオンハルトがオヴェリアの前で、はっきりと「エルを罰さない」と宣言した以上、理由もなく言を翻すことはできないはずだ。
そんなオヴェリアの思惑に気付いているのかどうか、レオンハルトはつとオヴェリアの方へ近づいた。
「そんなことより、まだ少し顔色が悪いな……。今日は安静にしていた方がいいんじゃないか?」
そう言いながらオヴェリアの頬に触れ、顔を上向かせて覗き込んで来る。
(……この人は、ちょっと距離が近いのよね。子供の頃はいつもこんな風にされていたから、レオン様としては違和感がないのかもしれないけれど)
こんなところをエルに見られれば、また昨日のように怒られかねないので止めて欲しい。
……が、エルを見逃してくれたという恩義があるので、あからさまに拒むのも気が引けた。
オヴェリアは彼の方から手を放してくれるのを待っていたが、レオンハルトはそのまま、親指でオヴェリアの唇を撫でた。
「……唇の色も、あまり良くないな。部屋まで送ろう」
そう言って腰に手を回され、一瞬背中に寒気が走る。
「……っレオン様、大丈夫ですから──」
オヴェリアがそう言いかけた時、
「オヴェリア!」
廊下に柔らかい声が響いた。
オヴェリアは信じられない想いで、声のした方を振り返る。
「お父様! まあ、いつお戻りになりましたの!?」
そう言いながら、嬉しくて思わず父──この屋敷の主人、ホーリング伯爵に駆け寄る。
ホーリング伯爵も、嬉しそうに娘に歩み寄りながら答えた。
「つい今しがた帰って来たんだ。……おや、少し顔色が悪いんじゃないか?」
心配そうに言いながら頭を撫でられたが、オヴェリアにとって父の手は安心するばかりで、少しも嫌な感じはしなかった。
「少し疲れが出てしまって……でも、お父様のお顔を見たら急に元気が出てきましたわ!」
そう言って両手で父の手を握りながら微笑むと、伯爵も安心したように笑った。
「……ホーリング伯爵、お邪魔しております」
笑い合う二人の横から、レオンハルトが声をかけた。
伯爵は声の主の方を見て、屈託のない笑顔を浮かべる。
「ああ、アシュフォード騎士団長! 君がうちに遊びに来てくれているとオヴェリアから便りを貰って、驚いていたんだよ」
「伯爵のご不在中に申し訳ありません。急に休暇が取れて、ふと思い立ったものですから」
「いいんだよ。君はオヴェリアの兄のようなものだから、いつでも遊びに来てくれ」
伯爵がそう言うと、レオンハルトの笑みがほんの一瞬歪む。
……が、すぐに元の通りの表情を取り戻して続けた。
「伯爵もお忙しいでしょうに、今回はなぜお戻りに?」
「そうですわ。お父様、どうしてこんなに急に帰っていらしたの?」
ホーリング伯爵は、領地での雑事は基本的に娘であるオヴェリアに任せ、普段は王都で王宮事務長官の職務に就いている。
忙しく責任も重いため、自領に帰省するのは一年に一度あるかどうかというところだし、帰って来るにしてもあらかじめ連絡をくれるのが常だった。
だからこんな風に急に帰って来るのは、相当に珍しい事態だ。
2人から帰省の理由を問われて、伯爵はやや気まずそうな顔をして答える。
「……うん。実はちょっと、オヴェリアに頼みがあって、帰って来たんだが……」
言いよどむ父を見て、オヴェリアは嫌な予感がした。
普段、父はオヴェリアに何かを強いたりはしない。
本来の領主である父に代わって大過なく自領を治めてさえいれば、後は自分のしたいように過ごして良いという方針だからだ。
そんな父が、まれにオヴェリアに要求することと言えば……。
「今度、王宮で大きな夜会が開かれることになったそうだ。高位貴族の子女は必ず出席するようにとの、陛下からのご命令で……」
その言葉を聞いて、オヴェリアは背筋が冷たくなるのを感じた。
オヴェリアが想像していたのは、せいぜい「領内の視察に行ってくれ」とか、「近隣の領主主催の社交パーティーに顔を出してほしい」とか、その程度だったのだ。
それだけでも、オヴェリアにとってはかなりのプレッシャーである。
何しろ屋敷から一歩外に出れば、誰もが彼女を『滅亡の魔女』と呼び、蔑みや恐れの視線や、罵詈雑言が投げつけられるのだから。
けれど今の父の言葉は、想像よりもずっと恐ろしいものだった。
(王宮で、しかも大勢の貴族の子女が集まる夜会……!?)
そこに集まった貴族たちは、数年前に街で領民たちがそうしたように、オヴェリアに石を投げつけることはないだろうが……。
代わりに、侮辱の言葉と蔑みの視線が、絶え間なく降り注ぐに違いない。
(……想像しただけで胃が痛いわ。それに、夜会に出席するなんて何年ぶりかしら……)
オヴェリアは、10歳で治癒魔法が発現して『魔女』と呼ばれるようになってから、すぐに社交を止めたわけではなかった。
むしろ、12歳頃──つまりレオンハルトとの婚約が破棄されるまでは、参加できるものには必ず参加していた。
「噂されているような残忍な魔女ではない」、「誰も傷つけるつもりも、呪うつもりもない」と皆にわかって欲しかったから。
それに、そうしなければ婚約者であるレオンハルトに申し訳ないと、子供心にも想っていたからだ。
……けれど参加した全ての場で、怖れと蔑みの視線と聞えよがしな侮辱の言葉を浴びせられるか、そうでなければ徹底的に無視されたのだった。
それでも、心を無にして社交を続けていたけれど──結局、レオンハルトとの婚約破棄を契機に、全てを諦めた。
それ以来、父の仕事や縁戚絡みなど、どうしても出席しなければならない場を除いて、オヴェリアは屋敷から出るのをやめた。
今では、自分の意思で屋敷を出るのは、屋敷の周囲の森に散歩に行くか、ごくまれに変装して正体を隠した状態で街に行くくらいなのだ。
(多くの貴族が集まる王宮の夜会だなんて、想像しうる限り最も恐ろしい集まりだわ。でも……)
オヴェリアは俯いていた顔を上げ、
「……わかりました。大丈夫ですわ! 私ももういい大人なのですから、社交が怖いだなんて言っていられませんものね」
そう言って、父を安心させるために無理に笑顔を作った。
「それに、お父様がエスコートしてくださるのでしょう? お父様と一緒なら、大丈夫──」
「いや、本当に申し訳ないんだが……。私は陛下から少し面倒な仕事を命じられていて、王都にはついて行けないんだ」
今度こそ、オヴェリアは色を失った。
(ひ、一人で王都へ行って、王宮の夜会に参加する……!?)
父にエスコートしてもらえないのなら、王都周辺に住んでいる知り合いの誰かにエスコートを頼まなければならないだろう。
……が、『魔女』のエスコートを買って出てくれる男性がいるとは思えない。
(お父様が何とか見つけて来てくれるかもしれないけれど、相手の男性は相当嫌がるに違いないわ……)
申し訳なさそうな顔でオヴェリアを見ながら、父が続ける。
「そもそも、その夜会は若く未婚の者しか参加できないらしい。……噂では、王太子殿下の婚約者候補探しを兼ねているとか」
「……そ、そうですか」
オヴェリアは何とか動揺を抑えて微笑み、頷いた。
「お前のエスコートについては、適任の者を探しておくから心配しなくていい。ちょっとまだ見つかっていないのだが……」
いっそのこと最後まで見つかれなければ、欠席できるのでは……とオヴェリアが思ったとき──。
「──んんっ」
レオンハルトが、わざとらしい咳払いをした。
「……あ、レオン様。お恥ずかしい話をお聞かせしてしまって──」
「──お二人とも、どうして俺を無視するんですか?」
「え?」
オヴェリアと父が、同時に首を傾げる。
「高位貴族で独身の男が、ここにいるではないですか」
そう言いながら、微笑んで自分を指さす。
そんなレオンハルトに、オヴェリアは戸惑いながら返事をした。
「……けれど、それではレオン様にご迷惑をおかけしてしまいます」
オヴェリアの元婚約者だというだけでも、レオンハルトには多大な迷惑をかけているはずだ。
その上王宮の夜会に一緒に出席などすれば、婚約が復活したなどという根も葉もない噂が流れてしまう可能性もある。
「迷惑だなんて! 君をエスコートできるのは名誉なことだよ。それに、俺もそろそろ王都に戻ろうと思っていたから、王都までの道のりも同行できるしね」
「……いえ、でも──」
なぜだかわからないが、なんだか嫌な予感がして……オヴェリアが断ろうとした時。
「ああ、それはありがたい! アシュフォード騎士団長、悪いがお願いできるかな」
父が、ほっとしたような声音でそう言ってしまった。
「お任せください。オヴェリアの体調が回復し次第、出発しましょう」
レオンハルトは、任せろというように胸に手を当ててから、
「オヴェリアの身の回りの世話をする者が必要ですから、あのミーナと言うメイドと……護衛も兼ねて、ひとり腕の立つ者をお借りしたい」
そこで言葉を切ったレオンハルトは、ふと思いついたような顔で続けた。
「……そうだ、あのエルという少年を連れて行きましょう」




