第17話 エルは生きてる!?
オヴェリアが目を覚ました時、屋敷の中は静まり返っていた。
カーテンの隙間から月の光が差し込んでいるので、今は夜中なのだろう。
着替えた記憶はないのに、いつの間にかネグリジェを着てベッドに横たわっていた。
(ミーナが着替えさせてくれたのね……)
首を巡らせて横を見ると、ベッド脇のサイドテーブルには銀色の盆が置かれており、その上にハーブティーの入ったグラスとフルーツがのせられている。
「これが置いてあるということは……私はまた、魔法の使い過ぎで倒れたようね」
普段は健康そのもののオヴェリアが倒れるのは、魔法を使い過ぎた時くらいなのだが、そうやって倒れた時は大抵食事を取り逃してしまう。
夜中に起きてお腹が空いていたら可哀想だからと、ミーナがいつもこんな風に軽食セットを置いてくれるのだ。
(でも、どうして魔法を使い過ぎたのだっけ……?)
寝起きでまだ頭がぼんやりしているが、オヴェリアは記憶をさかのぼって考え始めた。
(ええと、今日は月に一度の模擬戦の日で、エルが優勝して。そうしたらレオン様が急にいらしてエルと試合を始めて──そうだ、レオン様がエルに斬られて大怪我をされたのだわ!)
そこまで思い出して、オヴェリアは慌てて体を起こした。
その後、オヴェリアがレオンハルトに治癒魔法をかけ、彼は回復したはずだ──が、エルはどうなったのだろうか?
(もし、レオンハルト様から罰を与えられていたら──!)
オヴェリアが気を失っている間にエルへの罰が下され、彼が大怪我をさせられたり……殺されていたら──!
オヴェリアは慌ててベッドから出て、扉まで走ろうとした。
が、まだ本調子ではない体はふらついて、思い切り転んでひざを打ってしまう。
「いっ……痛……」
石造りの冷たい床に突っ伏して呻くが、それどころではない。
オヴェリアは立ち上がって、ネグリジェに裸足のまま扉へ走り、ノブをひねって思い切り開──こうとしたが、扉が何かにぶつかって、ほんの少ししか開かなかった。
「いて」
扉の隙間から、聞き慣れた声がした。
声の主は、おそらく扉のすぐ前に座っていたのだろう。
オヴェリアが押し開けた扉が背中にぶつかり、小さな声を上げた。
その声に、オヴェリアは安堵して……深い溜息をつきながらその場に座り込んだ。
「……エル。良かった、無事だったのね……」
扉の隙間からなんとか手を伸ばして、その体に触れる。
指先に体温が伝わって来て、エルが生きてそこにいることを実感できた。
「……ねぇ、顔を見せて?」
そう言いながら、エルの服の──扉の向こうにいて見えないが、おそらく袖のあたりを引っ張る。
生きていることを確認してとりあえずは安心したが、怪我をしていないかどうかまではわからない。
一目でいいから彼の無事を確認したくて、オヴェリアはそう要求した。
「…………無理です」
エルが、短い言葉で断る。
「ど、どうして!? どこか怪我をさせられたの!?」
オヴェリアはまたにわかに心配になって、エルの袖を握ってぐいぐいと引っ張る。
「……無傷ですよ。オヴェリア様のおかげで」
そう言ったエルの声は、やけに力なく聞こえた。
「なら、どうして顔を見せてくれないの?」
「……合わせる顔がありません。大見得を切ってあの男と試合をしたのに、実力の差は明らかでした。俺があいつを斬ったのは──少なくとも実力ではなかった」
エルは小さな声で、呟くように続ける。
「……その上あの男に大怪我をさせたことで、あなたに魔法を使わせてしまった」
エルは、オヴェリアが魔法を使うのを嫌がる。
魔法自体が嫌なわけではなく、魔法を使うことによってオヴェリアが体調を崩すのが嫌なのだと、いつも言っていた。
軽い怪我や病気なら、やや不服そうにしつつも黙っているが……オヴェリアが気を失う程の大怪我や大病を治すのは、まるで自分の命まで削られるかのように嫌がるのだ。
──だというのに、今回は自分のせいでオヴェリアが倒れるほどの治癒魔法を使わせた。
その事実に、酷く落ち込んでいるらしい。
「いいのよ、体調を崩すと言っても数日のことなのだから。よく食べてよく眠れば、すぐ回復するわ」
そう言って、オヴェリアは隙間から出せるだけ手を出して、指先でエルの頭を撫でる。
エルの髪の冷たくサラサラとした感触が伝わって来て、気持ちが良かった。
「それで心配して、部屋の前で寝ずの番をしてくれていたの?」
「まあ、それもありますが……。それよりあの男が忍び込むのを防ごうと思いまして」
あの男とは、間違いなくレオンハルトのことだろう。
「もう。何度も言っているけれど、レオン様は私なんかに興味はないわよ。婚約はとっくに解消されているし、今後もそんな話になることは絶対にないわ」
オヴェリアが呆れながらそう言うと、エルは溜息をついた。
「婚約がどうとかだけではなく……オヴェリア様はわかっていないのです」
「何をわかっていないの?」
「男のことをです。あなたは無防備すぎる」
「……どういう意味?」
エルの言葉の意味がよくわからず、オヴェリアは首を傾げる。
「まあ、子供の頃からずっとこの屋敷の中に大切に隠されてきたから、わかっていなくても仕方ありません。……いいんです、その分俺が守りますから」
「……よくわからないけど、生意気ね」
8歳も年下のくせに、子供を諭すような口調でそんなことを言うので、オヴェリアは眉根を寄せた。
(……でも声の感じから、少なくとも大怪我はしていないようだわ)
改めてエルの無事を実感して、オヴェリアはやっと心から安堵することができた。
そうして心のつかえが取れると──急に、座り込んでいる石の床の冷たさが身に染みる。
オヴェリアはブルッと体を震わせて、
「ねえ、エル。そろそろ秋なのだし、床に座って夜を明かしたら風邪をひいてしまうわ」
オヴェリアの言葉に、エルが静かに返事をした。
「そうですね。オヴェリア様はベッドに戻って寝てください」
「そうじゃなくて、エルも自分の部屋に戻って寝なさいと言っているのよ」
そう言うと、エルは黙り込み……そのまま微動だにしない。
反論しない代わりに、従う気も無いということだろう。
(どうあっても、ここから動く気はないようね。……もう、反抗期かしら)
エルのかたくなな態度に、オヴェリアは溜息をついて、
「……なら、私もここに座って夜を明かすことにするわ」
そう言って、自分も扉に背中を預ける。
その言葉にエルは慌てて、扉の向こうで立ち上がる気配がした。
「駄目です! オヴェリア様は早くベッドへ──」
「──きゃあっ! ……っい、痛ぁ……」
扉の重しになっていたエルが立ち上がったことであっさりと扉が開き、扉に背をもたせかけていたオヴェリアは支えを失って、仰向けに倒れて頭を打った。
痛みのあまり呻き声を上げながら、エルに抗議する。
「……うう、もう、急に立たないでよ……」
床に転がったまま呻くオヴェリアを、エルは驚いた顔で凝視していた。
「っ! な、なんて格好をしているんですか!」
そう言って目を背けながら、着ていた上着を脱いでオヴェリアの胸元にかける。
「何って、ネグリジェだけど……」
まるで下着姿で出てきたかのような反応をされて、オヴェリアは戸惑う。
「あなたは男にネグリジェ姿を見せていいと思ってるんですか!?」
「男って……エルじゃない」
男、というより子供……せいぜい少年だ。
そう言うと、エルはあからさまに怒りのオーラを漂わせ始めた。
(あ、まずいわ。これもエルの地雷だった……)
オヴェリアが慌てて起き上がろうとすると、それより一瞬早くエルがこちらに手を伸ばし、気付くと軽々と抱え上げられていた。
「──わっ、ちょ、ちょっと! 歩けるから! おろして!」
抗議の言葉を無視して、エルはオヴェリアを抱えたまま部屋に入りベッドへ歩み寄ると、彼女の身体をそっとベッドへおろす。
……そしてそのまま、覆いかぶさるように顔を寄せて来た。




