第14話 オヴェリアの〇〇は俺のもの
レオンハルトの突然の来訪から、数日後──。
オヴェリアは庭のガゼボでひとり紅茶を飲みながら、深い溜息をついた。
「久しぶりにレオンハルト様にお会いできたのは嬉しかったけれど、まさかこんな面倒なことになってしまうなんて……」
レオンハルトが10年ぶりに訪ねてきたことで浮足立ったのは、ミーナだけではなかった。
なんと屋敷中の使用人たちが、「うちのお嬢様にもようやく春が来たのでは!?」と期待して、まるでもう二人の婚約が復活したかのように喜んでいるのだ。
オヴェリアが何度、「名門アシュフォード家の方が私を相手にするはずない」「レオン様に失礼だし、ぬか喜びすると後でがっかりするわよ!」と言っても、皆納得しなかった。
ミーナに至っては「何の意図もないのなら、あの方は何故わざわざこんな辺境の地までいらっしゃったのですか!」等とむきになって反論するのだ。
……が、そう言われてしまうとオヴェリアも言葉に詰まった。
レオンハルトは近衛騎士団長という国防の中枢を担う要職についており、その仕事がとても忙しいことはオヴェリアにもわかっている。
その上彼は次期アシュフォード侯爵なのだから、長期休暇が取れたのであれば、本来なら自領に戻ってしなければならないことが山程あるはずだ。
そんなレオンハルトが、ただ羽を伸ばしたいという理由で王都から馬車で1週間近くかかるホーリング領までやって来るというのは、あまりに不自然ではあるのだが……。
「だからと言って、なんでレオン様がうちに来たのかなんて、私に聞かれてもわからないわよ……」
だが、少なくともオヴェリアとの婚約を復活させに来たわけではないことは、確信している。
『魔女』などを娶ってしまえば、レオンハルトまで周囲から好奇と蔑みの目で見られることになるだろうし……アシュフォード侯爵も、そんなことは決して許さないだろう。
「婚約の復活なんてことは絶対にないのに、皆が妙な期待をしてしまって困るわ……」
そう呟いてから、もう一度大きな溜息をついた。
それだけでも頭が痛いのに、オヴェリアの悩みの種はもう一つあるのだ。
「……エルの機嫌が、悪すぎるのよね……」
オヴェリアにとっては、こちらの方が問題だった。
何故だかわからないが、エルはレオンハルトが来て以来ずっと不機嫌なのだ。
そもそも、ミーナが「お嬢様の初恋の君が来た」と言い出した瞬間、突然殺気を放ち始めたので驚いたし……。
その後、オヴェリアがレオンハルトを出迎えに行こうすると、「俺が先に行って挨拶します」等とよくわからないことを言い、剣を持ったまま向かおうとするので止めるのに苦労した。
さらにそれ以降も、オヴェリアがレオンハルトと話しているとあからさまに殺気を放っているし……。
その上、なぜか毎晩オヴェリアの部屋の扉の外に陣取り、何を警戒しているのか寝ずの番を始めるので、とても困っているのだ。
(姉を取られたくない弟心……みたいなものかしら? エルにそんな風に想ってもらえるのは嬉しいけれど、いつレオン様とトラブルを起こすかとヒヤヒヤするのよね)
そうは思いつつも、エルがいつも以上に構ってくれるのは、ちょっと嬉しくはあるのだが。
「まあ、お忙しいレオン様のことだから、もう数日もすれば王都へ戻られるでしょうし、それまで何もトラブルが起きないことを祈るしかないわね」
オヴェリアはそう結論付けて、残っていた紅茶を飲み干すと、午後の執務のために屋敷へ戻ったのだった。
***
翌日──。
エルはいつものように、警備兵の訓練に参加していた。
今日は月に一度の模擬戦の日だ。
エルと警備兵たち数十名で、剣を使ったトーナメント戦を行い、優勝者には賞品が贈られる。
まあ賞品と言っても、街で評判の菓子店の菓子詰め合わせとか、訓練用の新しい剣とか、その程度の物ではあるのだが……。
それでも警備兵たちが結構な熱意をもって模擬戦に挑むのは、賞品を用意して優勝者に手渡してくれるのが、オヴェリアだからだ。
訓練や警備で必然的に怪我をすることの多い警備兵たちは、いつも自分たちの傷を癒してくれるオヴェリアへの忠誠心が特に高い。
その上、独身で女っ気のない者も多い彼らの中には、『魔女』と呼ばれてはいても若く美しい女性であるオヴェリアに対し、若干の恋情を抱いている者もチラホラいるのだ。
叶わない想いではあれど、それでも模擬戦を見守るオヴェリアに良いところを見せたいと、自然と警備兵たちの腕には力が入るのだった。
エルももちろん、オヴェリアに良いところを見せると共に、ここ数ヶ月間守って来た優勝の座を今月も死守するため、試合に集中しようと思ってはいるのだが……。
対戦相手と向き合い、雑念を払おうと無心で剣を振っても、次第に頭の中がモヤモヤとした思考で満たされてしまう。
(あのレオンハルトとかいう男は、オヴェリア様が魔法を発現した途端に婚約を解消したらしい。そんな薄情かつ見る目の無い輩が、今更なぜ彼女の周りをうろつくんだ……!)
屋敷の使用人たちが噂しているように、婚約を結び直そうとしているのだとしたら……。
「……そんなこと、絶対に許さない!」
エルが怒りのあまりそう呟きながら剣を振りぬくと、試合相手の剣が弾き飛ばされた。
剣を失った警備兵は両手を顔の横に挙げ、降参のポーズを取る。
「──参った、俺の負けだ! あークソ、今月も準優勝か!」
そう言われて、エルはハッとする。
雑念にとらわれている内に、いつの間にか優勝していたらしい。
「しかしお前、強くなったなぁ……! 14の子供に負けるなんて警備兵失格だが、正直お前にはもう、勝てる気がしねぇよ」
男はそう言って、エルの肩をバシバシと叩いてから、
「……なんかさ、お前と目が合うと一瞬体が動かなくなるっつーか、意識が飛ぶ気がするんだが……あれは何なんだろうなぁ?」
あれが覇気ってやつなのかな、等と言いながら、男は顎に手を当てて首をひねる。
この男は、元々はホーリング家の警備兵の中で最も腕の立つ男だったが、最近は模擬戦でエルに勝てることはほとんどなくなっていた。
「エル、おめでとう! すごいわ、今月も優勝ね!」
少し離れたベンチに座って試合を見守っていたオヴェリアが、優勝者であるエルを讃えようと駆け寄って来た。
オヴェリアの笑顔を見て、エルは苛ついていたことも一瞬忘れて微笑み、優勝賞品を受け取るために彼女の前に跪いた。
「今月の優勝賞品は、鞘につける皮製の護符です。良い皮が手に入ったから、私が刺繍をしてみたのだけど……」
オヴェリアはそう言いながら、やや申し訳なさそうな顔で護符を差し出した。
この国の剣士は、皮製の護符を持つ風習がある。
剣士の無事を祈って家族や恋人が刺繍をした皮を、お守りとして剣の鞘に付けるのだ。
「でも私、自分があんまり刺繍が上手くないことを忘れていたわ。ミーナに指導してもらって頑張ったんだけど……あまり、格好良くは、ないかも……」
喋るうちにどんどん申し訳なさそうになるオヴェリアの手には、焦げ茶色の皮に金と銀の糸で多少いびつな模様が描かれた護符が乗っている。
だが、エルはこれ以上ない程の喜びを感じながら、
「そんなことはないですよ。オヴェリア様が刺繍を入れてくださった護符なら、どんなものでも──」
そう言いながらエルが護符に手を伸ばした時、横から誰かの手が伸びて、それを取り上げた。
「──素敵な護符じゃないか、俺も欲しいな」
そう言ったのは、レオンハルトだった。
「えっ、レ、レオン様!?」
突然現れたレオンハルトに、オヴェリアも、その場にいた兵士たちも驚いていた。
一方エルは、明らかな怒りをまといながらレオンハルトを睨み、腰に帯びた剣に手をかけて立ち上がった。
(──わあああ、まずいわ! エルがレオン様に食って掛かる前に止めないと!)
オヴェリアにとっては大切な弟のような存在とは言っても、エルは身元不明の平民だ。
……万が一、貴族で、しかも近衛騎士団長という高い地位にあるレオンハルトを傷つけたり、そこまででなくとも不興を買ってしまえば、どうなるかわからない。
オヴェリアは慌てて二人の間に入ろうとしたが、一歩遅かった。
エルは殺気を放ちながら、レオンハルトに歩み寄って、
「それはオヴェリア様が俺にくださったものだ。その薄汚い手を──」
「──わああああああ! エル!! 何を言っているの!?」
オヴェリアはエルの罵詈雑言をかき消そうと大声を上げたが、あまり効果はなかった。
二人はオヴェリアを完全に無視したまま話を続けている。
「へえ? 君が、オヴェリアが面倒を見ているっていう、エルとかいう子供だったのか。……きれいな顔をしているから、女の子かと思ったよ」
レオンハルトが挑発するような口調でそう言うと、エルはさらに殺気を濃くして彼を睨んだ。
(ああ! そ、それは絶対言ってはいけない言葉なのに!!)
『きれいな顔』や、『女の子みたい』というのは、エルにとって最も腹の立つ言葉らしい。
これまでエルにそれを言った者たちは、警備兵であれば模擬戦の際にコテンパンにされていたし、その他の者も色々と……とにかく必ずエルから報復を受けていた。
「……レ、レオン様! エルはきれいと言うより、格好良い男の子だと私は──」
オヴェリアが何とかフォローしようと発した言葉は、またしても無視された。
「この護符は優勝者に贈られる賞品なんだろう? なら、まだ君の物とは決まってないんじゃないか?」
「……なんだと」
レオンハルトは余裕の笑みを浮かべて、挑発するようにエルに告げた。
「俺も試合に参加させてもらおう。……俺が君に勝ったら、この護符は俺のものだ」




