ある前魔王との戦記
俺は最後、勇者を裏切る。
その日を楽しみにしながら、剣士として八年の歳月を過ごした。
彫刻が立ち並ぶ神殿には、どこもかしこも灰の山が積もっている。
腰に穿いた聖剣に手をかけた女勇者フルルは、集まった俺たちと共に、分厚い扉の奥を確認した。
薄く差し込む光の奥では、前魔王が魔神に祈りを捧げている。
動きがないことを確認してから扉を閉じると、三つ編みおさげを翻したフルルは声をひそめた。
「……みんな、多分これが人間界最後の戦いになる。
作戦通り、私が先に入って背後から一撃で倒すよ。
一段階目を突破したあとは攻撃の無効時間がある……だから終わって、二段階目になった後に入ってきてね」
鎧の胸部に手を当てた勇者に、忍ばない忍者のウチカゲと、僧侶のミエットが頷く。
「失敗した時はフォローお願い。
その時は最終決戦をしよう。……大丈夫、全力でやっても勝てるよ」
「承知。拙者はフルルが失敗などすると思っておらぬ。ご武運を」
「無理しないでね、フルル。私たちはいつでも突入出来る準備をしておくわ。
あなたこそが人間界の希望なのだから……生き残ることが肝心だって、忘れないでね」
「えへへ、ありがとう。みんなの期待に応えられるよう、精一杯頑張ってくるよ。
……ねえ、ティーカー」
俺に振り向いた勇者が、兜の間から不器用な笑顔を見せた。
「ついに私たちの仇を討てるね。
村を燃やして、みんなを殺した魔族を一緒に倒そう。
それでさ……勝ったら久しぶりに笑おうよ。魔界に行く前に、昔みたいに。ねっ」
前魔王を倒して、幼馴染に笑顔を取り戻す。
そう信じてはばからない勇者が自分の両頬をつまんで、笑顔の形に持ち上げる。
……きっと本物の幼馴染なら、お前に笑ってやるんだろうな。
俺は首を横に振って、扉の向こうを示した。
「……まだ終わってないだろ。俺たちは四将落ちした前魔王なんかで止まらない。
ここは通過点。おじさんみたいに、魔王を倒して人間界に平和を取り戻す、その過程だ。
だから緊張してないで早く行ってこいよ、落ちこぼれ勇者。倒れる前みたいだぞ」
「えー、相変わらずひどいなぁ。
でもそうかも。……よし、じゃあ行ってくるねっ、また後で!」
小麦色の髪を翻して、勇者が消える。
重い扉を音もなく開け、『気配遮断』なんてスキル名じゃ説明のつかない透明化を果たした勇者が、奥へと入っていった。
……魔王族は、一度倒しても復活する。
全身の傷と魔力を回復し、戦いの中で二度は必ず蘇る。
歴史書を紐解いて最後の四将の特性に気づいた勇者は、作戦を立てた。
不意打ちで、一段階目だけでも突破する。
幼い頃に魔王軍に村を襲われ、家族も友人も奪われた経験がある勇者は、命のかかる場面には慎重で……俺たちを温存するため、一人で標的に近づいていく。
聖剣を抜いた勇者が、前魔王の背後を刺すのを待ちながら……忍ばない忍者ウチカゲから溜息が聞こえた。
『あぁ、面倒な仕事でござったなぁ。勇者と八年、育てながらの旅道中。
いつ聖剣で焼かれるかとヒヤヒヤしながらでござったよ』
気だるげなその声を聞いて、僧侶ミエットも口の端を僅かに持ち上げている。
『ほんと、フルルったら何が落ちこぼれなのかしら。
最初こそ涙もろいクソガキだったのに、心を折ってぐちゃぐちゃに潰してやっても、まぁだ魔族を倒すって立ち上がるんだもの。
しぶとい勇者。何もかもが歴代最強。前魔王様が一切気付かずに背後を取られるなんて、あり得ないわ』
『無駄口を叩くな。俺たちの目標はここじゃない、集中しろ』
勇者フルルは、魔族同士が口を動かさずに会話出来ることを知らない。
俺たちが善意でついて来ている仲間じゃないことも、知らない。
『スライムの王。そろそろ始まるでござるよ』
勇者を殺せと命令を受けて、村を燃やした。
本物の幼馴染を溶かして喰らい、姿形を奪った。
仇だと知らず、仲間だと信じて八年を過ごさせたのには、理由がある。
『前魔王様のご命令通り、三段階目までは遊ばせてやれ。
裏切りと絶望のうちに、最後に放つ勇者の悲鳴が聞きたいんだとさ。
仲間のふりをさせるため、前魔王は俺たちにも本気でかかってくる……ここが正念場だ、成功させるぞ』
厳かな神殿に、背後を取られた男の悲鳴が、まずは聞こえてくる。
扉の向こうでは一段階目の装甲を突破した聖剣が、深々と胸に刺さっていた。
『ああ……勇者、勇者よ! お前を待っていた……まさかこのように卑怯な手を使ってくるとは思わなかったがなぁ!』
絶叫の中、異形化に向けて、体は修復とともに膨れ上がっていく。
背中から聖剣を抜き出した勇者装備のフルルが弾けるように飛びすさり、前魔王に真っ向対峙する。
「前魔王……父さんと母さんの、レムスの、村のみんなの仇……っ」
小麦色の三つ編みおさげが、吹き荒ぶ風になびく。
魔力の放出による地震と肉体が変化する異音の中、焦茶の瞳に力を込めたフルルが、聖剣を握り直した。
「私が、聖剣の勇者フルルが、仲間と共にお前を倒す!」
神の剣が、気合と共に青い光を放つ。
前魔王が赤い核を胸に出現させ、祭壇の間いっぱいにまで膨らんだ姿を勇者は睨みつけた。
異形化した男は背中に数多の腕を生やして……目の前の小さな勇者を潰そうと、一斉に振りかぶる。
「行くぞミエット、ウチカゲ!!」
「任せてちょうだいっ……ガードシールド!」
決戦の場に、俺たちも踏み込んだ。
僧侶ミエットが叫ぶと同時、神の盾が仲間全員に付与される。
俺も勇者と共に、巨大化した腕を弾き飛ばす。
勇者は自分を狙う腕からの攻撃を避けるため、弾けるように俺と逆方向へ飛び出した。
そんな勇者のもとへ、忍ばない忍者ウチカゲが駆け寄る。
「フルル、よくやったでござる!
防御突破は拙者に任せるでござる……破壊陣!」
くないで魔法陣を作ったウチカゲが、前魔王の防御力を下げた。
しかし、そちらはフルルが逃げた先だ。
「待ってよこっち危ないって、ウチカゲっ!」
フルルが仲間を抱えて、剛腕の攻撃を回避する。
ウチカゲは勇者に抱えられたまま、次々と床に叩きつけられる剛腕を見物している。
『ウチカゲ、遊びすぎだ!』
『ははっ、最後でござるからなぁ。拙者もついふざけたくなったでござるよ』
とぼけた一言に対応している暇もない。
全力の攻撃を俺も避けながら見たが、腕には攻撃出来る範囲がある。
連続攻撃が終わった隙を見てフルルがウチカゲを離すと、返しざまに聖剣を叩きつけて……拳の表皮が裂け、攻撃が入るようになったのを誰もが感じた。
「さすがウチカゲの忍法っ、頼り甲斐があるよ!
ここからは総力戦だ……行くぞ、前魔王!!」
『我が名を奪ったあやつを断罪する、その礎となれ。
貴様らを屠り、喰らい、我が力へと変えてやろう……!』
前魔王は今代の魔王オルディアに、名前も立場も奪われた。
復讐のため全てを叩き潰す破壊の腕が、神殿を瓦礫へと変えていく。
俺の代わりに四将に落ちた男は背中に生えた腕を縦横無尽に振るい、配下諸共潰すつもりで神殿の柱すら武器として使った。
「神よ、我らに力を与えたまえ……アタックアップ!」
僧侶ミエットの声が響き、硬い前魔王により剣が入りやすくなる。
崩れる足場の中でも走り続けるフルルと注目を分けた俺も、合間を縫って攻撃を続け、腕にダメージを重ねる。
「フルル、俺はこのまま右側を減らす! 隙が出来たら、すぐに胸の核へ飛び込め!」
「わかったっ、でも無茶しないでよね、ティーカー!」
「安心しろ、俺が負け戦をしたことがあったか? ……戦技、一刀両断!」
ダメージを与え続けたことで弱り、切り飛ばされた前魔王の腕が崩れる。
魔族は命を失うと、灰になる。
俺とミエット、ウチカゲは勇者に魔族だと気付かれないよう、この八年間ほぼ無傷での勝利を求められてきた。
「間合いの読み合いと力比べで、俺に勝てる相手がいたか!」
「……いないっ!!」
右腕をもう一本減らした俺の隣で、明るく声を上げた勇者が左側の腕を跳ね飛ばした。
二人で縦横無尽に剣を振り、前魔王の手数を減らし続ける。
胸部への攻撃を狙うため、まだ今は我慢するべき時だと、ひたすら殴りつけてくる拳を躱して剣戟を加えた。
「神よ、戦う者たちへ、ひとときでも軽やかなる翼を与えたまえ……スピードアップ!」
ミエットからの援護をもらって、さらに加速した剣を突き上げる。
すると巨躯が、魔法を唱える後方の僧侶へと標的を変えた。
『何をしても無駄な足掻きよ……まずはお前から潰れろ!』
「キャァッ!!」
「ミエット、危ない!」
剛腕を振るった前魔王を見て、勇者がミエットとの間に飛び込んだ。
「フルル!」
自在に動く腕が、俺にも横薙ぎに振られたのを間一髪で避ける。
フルルも聖剣を盾にしながら入ったが、殴られた衝撃に、踏ん張る両足が石床を下がり続けた。
それでも顔を上げた勇者は、ますます足に力をためて……地面すらえぐりながらミエットの前で止まった。
「仲間に手出しなんかさせない……っさせるもんか!」
聖剣が、青に輝く。
気合の乗った一撃が腕を弾き返して……前魔王の腕が崩れ、灰をあたりに撒き散らす。
命拾いしたミエットを背中に守り、勇者はさらに襲いかかる腕にも縦横無尽に剣を振り続けた。
「私はもう、仲間を失ったりしないんだ……っそのために強くなったんだ!」
何もかもが灰と血に覆われた村で、泣きながら村人全員を弔った。
幼くして世界中を回り続けた勇者は、今や前魔王の攻撃すら弾き返している。
「お母さんとの約束を守る……みんなで世界に平和を取り戻してっ、お前たち魔族に脅かされずに、人間は生きるんだぁああ!」
高所から叩きつけられる一撃も、勇者は聖剣と共に受け切る。
合間にも忍法で足場を沼に変えたウチカゲが、前魔王の体勢を崩した。
再び走り出したフルルが注目される間に、俺も背中に飛び乗り、腕を灰に変えていく。
ミエットも詠唱を終え、魔法攻撃の雨を前魔王に降り注がせた。
『ああ、小うるさい蠅どもよ……なれば』
全員で戦う姿に剛を煮やした男が吠え、両手を核の前で叩きつける。
メキメキと、神殿が揺れて歪む音がする。
空気が圧縮される感覚に、フルルが咄嗟に『詠唱中断』で温存した魔法を叫んだ。
「ホーリーシールド!」
神の盾が展開されたのが、この場にいる全員に見える。
瞬間、魔力が、空気が……爆発する。
周囲を瓦礫化し、暴風で撒き散らす。
しかし。
それすら防ぎ切る神の盾で無効化した勇者が、腰のカバンから取り出したアイテムで魔力を回復した。
ウチカゲが飛び出し、忍び装束の中から音の出る筒を取り出す。
「フルル、また唱え直すでござる! 拙者が挑発する!
ほれほれ、こっちでござるよ、当てられるものなら当てるでござるー」
挑発の技に振り向いた前魔王の腕が、逃げ回るウチカゲに大砲の玉のように降り注ぐ。
それでも俺とフルルで切り離した腕は、着実に減っている。
『こざかしい』
ぞろり。
声と共に新しく生えた腕が、空間に満ちた。
「ぬうっ、なんという再生力!
やはり核を狙わねば、弱体化すらせぬか!」
ウチカゲがそれでも、増えた攻撃を避けて避けて避け続ける。
しかし……規則性を変えて振り上げられた腕が掠めたと同時、軽い体が天井へと叩きつけられた。
「カハッ」
「ウチカゲっ、ヒール!」
フルルに回復魔法をかけられて落ちてくるウチカゲを、俺が走り込んで受け止める。ポーションでも回復させる。
勇者フルルは『詠唱中断』のスキルで大魔法を待機させると、再び密集する腕に飛び込み、切り払いながら前に進んでいる。
「お前の相手は、私だっ」
振り向く魔王に飛び上がった勇者は、聖剣で胸の核を力いっぱい叩き、赤く光る場所にわずかなヒビを入れた。
『グゥウウッ、勇者ぁあああああああ!!!!』
剛腕が、フルルに正面から叩きつけられる。
勇者装備の体が、石床を跳ねて転がった。
「いったぁ……っ。っへへん、でも焦ったでしょ、前魔王!
魔力は無限なわけじゃない、私たちはその核にも、もう攻撃が届く……お前の討伐は、夢でも幻でもないんだ!」
勇者は自分でも挑発しながら、立ち上がって剣を構え直す。
新しく飛んできた腕を縦横無尽に弾いて自分に注目させているうちに、ミエットが何度も回復魔法をかけながらウチカゲに駆け寄る。
「ウチカゲ、大丈夫!? 傷は……っ」
「任せるでござる、ティーカーにポーションを二本貰って回復したでござるよ」
「俺も前衛に戻る、後衛はなるべく腕の範囲外に下がっていろ」
「わかったわ。フルルも回復しなきゃ……っヒール!」
『束になろうと同じこと、貴様らなど無力な存在と知れ……焼き払ってやろう』
再び魔法を唱えた前魔王が、俺たちめがけて巨大な火球を生み出す。
同じ空間にいるだけで、肌が焼けそうなほど熱い。盾となり仲間をかばっても、余波に焼かれた悲鳴が背後で上がる。
幾つにも増えた灼熱を、しかし『詠唱中断』していた大魔法を唱え切ったフルルが再び無効化した。
『もはや見た芸当だ』
魔法が切れた合間を狙い、大きく息を吸い込んだ前魔王が炎を吹き出す。
周囲の石床も何もかもを赤く焼く灼熱を、全員で防御して耐える。
直撃しても、聖剣を構える勇者フルルは諦めない。
「大丈夫、私たちなら勝てる!」
小手や鎧の隙間から焼かれ、赤い液体が溢れても、僧侶ミエットが回復すると信じている。
「そうでござる、我らなら戦える! 使え、フルル……支配陣!」
忍ばない忍者のウチカゲが、前魔王の身動きを制限する奥義を使った。
「ぐうっ?!」
前魔王の巨躯が、体を縛られ膝をつく。
胸の核への道を作ったなどとわざと言わずとも、フルルは一撃を叩きつけた。
「ティーカー、まだまだいくよっ」
呼ばれた俺が同じ一撃を与えると、信じている。
ウチカゲが動きを縛る合間に、体を折った前魔王に、俺も連続攻撃を叩きこむ。
一層光る聖剣の動きを追いかけて、赤い核に最大の手数を打ち込んだ。
「お前たち魔族を倒すためにっ、私たちは戦ってきたんだぁああっ」
繰り返される攻撃に核が……ついに割れた。
断末魔を上げた魔王がのけぞり、大きくタタラを踏む。
背中の腕を苦痛に暴れさせ、勇者パーティ目掛けて無尽に振り回した。
「キャァアアッ」
嵐のような攻撃に仲間が弾かれ、飛ばされた。
再び立ち上がった俺たちの前にあったのは……壁の向こうが何もない、真っ暗闇の世界。
……その前に立ちはだかる、新たな異形がいる。
誰もが知らない『醜くおぞましい何か』だ。
「なに、あれ……」
ミエットも呆然と呟いた通り、より一層大きくなった前魔王は、核も何もかも見えなくなった異形と化した。
ありとあらゆる動物を混ぜ込み、肉体を変え続ける巨大な生き物が、ぐちゃりと大きな口を開けた。
「みんな、伏せて!」
フルルの声がなかったら、誰もが首を奪われていた。
光が通りすぎた。
その場にあった全てのものが切り裂かれて、何もかもが焼け焦げた。
神殿を貫いた男の高笑いが響いて、鉤爪が大きく振られる。
当たったら、死ぬ。
灰になる。
即座に察するほどの一撃が、俺目掛けて振り切られた。
フルルが叫ぶ。
魔法の盾が即時展開され、全ての痛みと衝撃を受け切る。
全身の魔力を注ぎ尽くした勇者が、狙っていたかのように翻った巨大な爪を受け、弾き飛ぶ。
「ぅあああっ」
積もった瓦礫を何もかも弾き飛ばし、勇者は地面に叩きつけられた。
「フルル!」
俺ですら即死する攻撃だ。
すぐに回復魔法を受ける勇者は、それでも歯を食いしばって立ち上がった。
明滅する聖剣を握りしめて、再びエリクシルを飲み干した。顔を上げた。
「まだまだぁっ」
振り絞られる気合いが、恐怖に心を掴まれていた俺たちまで正気に引き戻す。
「こんなことじゃ負けられないっ、ミエットは回復をお願い、ウチカゲは防御下げ直して!
核も見えないなら、今度は生命力を削り切ればいいだけだっ……いつも通りに行くよ、ティーカー!」
強く光り輝く聖剣が、勇者が、俺たちを率いて前に進む。
俺も勇者を追い駆け、得体の知れなくなった前魔王に剣を叩きつけた。
体がボロボロになっても、フルルは足を止めたりしない。
再び攻撃を受けて血を吐いても、俺たちを守って立ち塞がる。
信じた仲間と共に剣を振って戦い、何度でも目の前の男の力を削いでいく。
「傷が治っていく……フルル、ティーカー、前魔王は自己修復しているわ!」
ひたすらダメージを重ねているのに、泥沼に剣を突っ込んでいる感覚だ。
ジリ貧の戦いに、全てのアイテムを注ぐ。使いきる。
「ティーカー、足を狙うよ! とにかくダメージを増やそう!」
「わかってる、行くぞ!」
それでもあらゆる攻撃を、フルルは止めない。諦めない。
俺が全力で剣を振れば、ウチカゲがくないを投げ、ミエットも魔法攻撃を続ける。
勇者は仲間の俺たちを信じて、誰よりも前で戦い続ける。
「再生するならっ、再生しなくなるまで、体に傷を入れてやればいいだけだぁああっ」
馬鹿な理論で、いつだってフルルはまっすぐに立ち向かってきた。
聖剣が焼いた傷は回復しにくい。
体力を削られた前魔王が、ついに押され始めた。
俺たちの連続攻撃に魔力も尽きたのか、体が裂け始めた。
『勇者……っ神のおもちゃごときが、この俺を愚弄するかっ』
「村を襲われてからの八年間、戦い続けてきた。
その努力がっ、苦労の全てがっっ、お前を倒す糧になったんだ!!」
全力で世界中を走り続けた勇者が、瓦礫を踏み越えて前へ進む。
休む間もなく体を鍛え上げ、重い剣を振り続けた成果を、前魔王に叩きつける。
世界中の師範に会い、全ての技を習得してきたのに自分を『落ちこぼれ』だと笑う……失った村と幼馴染の意思を今も背負って戦い続ける勇者が、仇目掛けて全力の一撃を繰り出した。
「私は負けないっ、お前はただの四将の一人だっ。
魔王を倒すために、超えていかなきゃいけないんだぁあああ!」
光り輝く聖剣が、気合と共に巨体を一薙ぎにする。
深傷に、悲鳴が轟く。
神殿を揺らすほどの声に瓦礫が剥がれ落ち、闇の空間が広がっていく。
「……っ!?」
前魔王が、再び口を開けた。
フルルはまだ、目の前にいる。
避ける暇もないフルルが……その体を、鎧ごと光に貫かれた。
ビシャッ。バシャシャッ。
激しい飛沫が、あたりに飛び散る。
ミエットが回復魔法で補助するのも、間に合わない。
俺たちも振るわれた触手で瓦礫ごと弾き飛ばされ、転がる。転がった。
……。
…………。
勇者パーティの誰もが動けなくなると、神殿が静けさを取り戻した。
目の前に横たわる勇者を虫のように摘んだ前魔王が、自分の口の前に持っていく。
『ああ、あっけない』
最後の最後まで聖剣を握りしめる勇者の体が、起こすため揺らされる。
雨のような何かを振り落とす音だけが、聞こえる。
『最後まで耐えきれないか……悲鳴を聞きたかったな』
ニタリと口が裂けて、笑う。
『まあ、良い。勇者の肉は特別な力を秘める……俺の糧となれ』
ガパッ。
音を立てて大きく開いた口が、勇者を食う。
はずだった。
「っ、今ぁっ!!!」
その声と共に、振り下ろされた聖剣が、深くまで突き立てられている。
口を縦に切り裂かれた前魔王が叫び、たまらずに顔を覆っている。
ミエットも力を振り絞って体を起こすと、勇者に向けて回復魔法を叫んだ。
「ヒール! ヒールっ! ヒールっっ!!」
「我らが補助するでござるっ……行けっ、フルル、ティーカー!」
ウチカゲが膝立ちになり、再び防御力を下げる法術が前魔王に打ち込まれる。
立ち上がった俺も、剣を手に駆け抜ける。
……傷ついてまともに戦えないはずの体でも、最後の一瞬まで振り絞って、勇者フルルは戦う。
俺たちは、それを知っている。
負けるはずのない輝きを、折れない心を、見てきたから知っている。
「負けて、ったまるかぁああああっ!!!」
俺が、勇者が、変化し続ける魔王の巨体に連続攻撃を繰り広げる。
光を増した聖剣が、青から淡い金に光った。
渾身の一撃を引き切り、無我夢中で突き立てた勇者が、その光で前魔王を焼く。
俺たちがさらに削れば、勇者が止めの一撃を振る!
『裏切れ!』
その命令を。
『……俺たちが聞く必要は、ない!』
「フルル、行け!」
村から共に出立した仲間の顔で。
「俺たちの仇を……倒せ!」
この八年の思いを込めて剣を打ちつける俺の隣で、勇者フルルは、全力の攻撃をぶちかました。
……醜い悲鳴が、神殿中に轟く。
祭壇の間に広がっていた闇が小さくなり、同時に前魔王の体も縮小化していく。
「やった……の……?」
つぶやいたミエットの言葉通り、勇者フルルの前では、前魔王が横になっている。
ざらざらと、前魔王の体からは灰が落ちていた。
「お父さんと、お母さんの、村のみんなの、……っレムスの、仇」
青く明滅する聖剣を握りしめて、勇者が震える声で告げる。
「みんなのために、私たちは、お前を超えていくっ」
フルルはその一言を最後に、崩れていく男に背を向けた。
もはや体の維持すら出来ない魔族よりも、疲れにへたり込むミエットのもとへ向かい、回復魔法をかけている。
代わりに俺が、前魔王の前に立った。
見上げた男は整った顔を失い続けながら、それでも口を動かした。
「勇者、が、生き残っていた、など……」
もはや暗い瞳で念話すら出来ないほど弱った前魔王を、……元主人を、俺は見下ろしている。
『許せないだろうな、前魔王様。
でもフルルはしつこいんだ。貫いたくらいじゃ死なない。侮ったあんたの負けだ』
心の奥で、笑うしかない。
ようやく理解した時には、俺の裏切りは完遂している。
そのつもりで、今まで過ごしてきた。
裏切れと命じ、逆に裏切られた男は、瞬きをした。
「嗚呼、殺しておけ、と、言った、のに……」
『そうだ。なのに殺さなかった。
……俺は最初から、勇者を使い切るつもりで育てた。
魔王を殺し、俺が新たな魔界の統治者になることだけを考えて……ここまで来たんだ』
目の前で覚醒した、新たな魔王族を殺す。
そのためだけに、勇者を育てた。
スライムを牛耳り、王になり、同族では前例のない四将まで駆け上った。
やがて魔王にもなるはずだった俺を、栄光への道を歩いていた俺を、ただの幸運と偶然だけで殺そうとした男がいる。
『レムスは今も大切な仲間らしい……勇者パーティの仲間同士で戦う気分ってのは、現魔王のあいつにとっても、どうなんだろうな?』
共に村で過ごしていた幼馴染が魔王へと変貌したことを、フルルは知らない。
だからこそ、俺はフルルを育てた。
剣士ティーカーを目の前で失い、泣きながら俺を潰そうとした甘ったれ魔王が、大切な大切な幼馴染相手に……まともに戦えるはずがないと見越して、俺を仲間だと信じさせた。
『魔王を殺した勇者は、俺が最後に始末する。
魔界は力こそが全てだ……王を失った魔界は、勇者を倒した俺こそを統治者として認める。
……なあ、どうだ。最高の計画だろ?』
剣を手に、もはや崩れかけの遺骸を踏んだ。
見上げる顔には、最後の一撃をくれてやった。
『魔族らしい下剋上ってやつだ。
……最後に聞いたあんたの悲鳴、最高だったぜ、元ご主人様?』
裏切られた前魔王は、遂に全てが灰になって崩れた。
他と何も変わらない灰の山から、俺は剣を抜き出す。
「ティーカー……」
「……なあ、フルル。
これで、俺たちの復讐は終わったな」
憎い相手に、最後の一撃をくれてやったように見せかけた。
何も気付かない勇者に声をかけると、息を呑んで……兜の面頬を下ろしている。
「……っうん、終わった。村のみんなにも、きっと喜んでもらえるよ。
だって私たちが、あの日倒せなかった魔王に、勝ったんだ……っ勝ったんだもんっ」
勇者フルルと、剣士ティーカーの仇。
金髪に青い目の、生意気そうな剣士ティーカー。
……まあ、俺が食ったけどな。お前には一生わからないだろうよ。
腰に剣を納め直すと、隠したつもりでも涙の粒がこぼれ落ちる勇者の兜を軽く叩いた。
「ほら、泣くなよフルル。俺たちの復讐は終わっても、人間界の苦しみはまだ終わってないんだ。
魔王オルディアを倒して、世界に平和を取り戻そう。俺たちになら出来る。
……前に進もうぜ、魔界の扉を越えよう」
「うんっ……行こう、魔界へ!」
俺たちを率いた勇者は、神殿のさらに奥にある魔界の扉を越えた。
魔界側の神殿も抜けると広がったのは、魔力が満ちて少しだけ霞む空。
くねった森の木に、青々とした草っ原。
懐かしい景色が、俺たちの前に広がっている。
ウチカゲもミエットも息を呑んで辺りを見回し、俺もあたりに目を走らせながら、息を呑む勇者の声を聞いた。
「ここが、魔界……少しだけ魔力が濃いけど、ほとんど人間界と違わなかったってお父さんの話、夢や幻でもなく本当だったんだ……」
「神界と魔界、人間界で三界に別れたって聞いた通り、元々同じ世界だから似てる……のか?
……おい、フルル。おじさんの話してた通り、あの遠くに見えるのが魔王城じゃないか?」
幼馴染らしく過ごしてきた俺が、巨大な城を指し示す。
灰色の城を見て息を呑んだフルルは、力強く頷いている。
「森の近くには町があるように見えるでござる。魔王城の最寄りではないか」
「ねえフルル、最終決戦の前に装備を整えたいわ。
アイテムは全て使ってしまったから、補充もしなきゃ」
「うんっ……まずはあの街へ行こう!」
歩き始めた勇者と共に、俺たちは魔界を行く。
「もうすぐ魔王城……ついに私たちが魔王オルディアを倒せる日が来るんだ……っ、楽しみだね、みんな!」
いつでも希望に満ち溢れる勇者は、仲間に向かって明るく笑っていた。
……ああ、俺たちも楽しみにしているんだ。
勇者フルル。
お前は最後、信頼する俺に裏切られて、どんな顔をするのか。
きっとそれこそが、この八年を彩る、最高の結末になる。




