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第5章 再演、悪役令嬢の夜会

セドリック殿下との**「共犯関係」**が始まって、数週間が過ぎた。城での日々は、私がこれまで送ってきた公爵令嬢としての華やかな生活とは、まるで異なるものだった。私は毎日、あの分厚い書物を読み込み、この国の歴史、貴族の派閥、王家の隠された闇について学んだ。書物の中には、表向きの歴史書には決して記されない、血と欲望にまみれた貴族たちの陰謀が、まるで鮮やかな絵巻物のように展開されていた。

(…ルドルフ殿下は、本当にこの国の未来を考えていたのね。貧しい市民を救うための政策、貴族の利権を削るための流通改革…。彼の理想は、あまりにも大きすぎた。だからこそ、闇に葬られたのよ)

私は、書物を読みながら、セドリック殿下の言葉を反芻していた。彼の兄、故・第二皇子ルドルフ殿下。彼はただの病弱な王子ではなかった。彼は、この国の腐敗を正そうとした革命家であり、そのために命を奪われた。そして、セドリック殿下は、その遺志を継ぐために、私という「共犯者」を必要としたのだ。

セドリック殿下は、時折私の部屋を訪れ、私が理解できない点を丁寧に解説してくれた。彼の知識はまるで生きる百科事典のようで、どんな複雑な疑問にも即座に明快な答えを返してきた。その説明は常に論理的で、感情を交えることなく、まるで氷の刃で不要なものを削ぎ落としていくかのようだった。しかし、その中に時折、この国の現状に対する深い憂いや、失われた兄への哀惜のような感情が垣間見え、私は彼の冷徹さの裏に隠された、繊細で人間的な側面を感じ取るようになっていた。私は彼のことを**「氷の皇子」ではなく、深い湖の底に眠る秘密を抱えた「深淵の皇子」**と呼ぶべきではないかとさえ思うようになった。

彼の指示のもと、私は社交界の最新の動向や、貴族たちの噂話、そして王宮の裏事情まで、あらゆる情報を収集するようになった。私の前世の知識は、この世界の貴族社会の構造を理解する上で大いに役立った。私はそれを、セドリック殿下の計画の**「脚本」**として整理し、彼に提案する。私たちの間には、奇妙な師弟関係のようなものが生まれ、時には激しく議論することもあった。彼の問いは常に核心を突き、私の思考を深く掘り下げさせたが、それは常に建設的なものだった。私は彼の冷徹さに慣れ、彼もまた、私の自由奔放な発想と前世の知識を高く評価してくれるようになった。

「エレーナ嬢、貴女の『脚本』は、実に面白い。これならば、あの甘い第一皇子も、手のひらの上で転がせるだろう」

ある夜、セドリック殿下は私の書いた計画書に目を通しながら、満足そうに微笑んだ。書斎の暖炉の炎が、彼の瞳の中で微かに揺らめく。その笑みは、以前の悪意を含んだものではなく、純粋な賛同の色を帯びていた。彼の口元に浮かぶ微かな笑みは、まるで冬の夜空に瞬く星のように、稀で、そして強く私の目を引いた。

「アルバート殿下は、リリアーナ嬢に夢中になっている今が好機ですわ。彼の視野が狭まっている間に、私たちは着実に布石を打つことができます」

私は、セドリック殿下の言葉に、確信を持って答えた。アルバート殿下は、表向きはリリアーナ嬢との関係を深め、自身の人気を高めていたが、その実、王宮内の派閥争いに翻弄され、重要な局面での判断を誤ることが増えていた。彼の焦りは、日増しに募っているようだった。彼は、自身の人気に胡坐をかき、周囲の真の思惑を見抜くことができない。まさに**「裸の王様」**そのものだった。

そんな中、王都で最も権威ある貴族、オルコット公爵が主催する晩餐会が開かれることになった。それは、王族や有力貴族が一堂に会する、年に一度の盛大な催しだ。この国の社交界の縮図とも言える場で、私たちは最初の駒を進める。

「この夜会が、貴女の**『再デビュー』**の場となる」

セドリック殿下は、静かにそう告げた。彼の言葉には、一切の迷いがなかった。

(ついにこの時が来たわ…! 悪役令嬢、再び舞台へ!今度の舞台は、私とセドリック殿下のために用意された、真の舞台よ!)

舞踏会の日。私はセドリック殿下と共に、城の馬車に乗って王都へと向かった。私のドレスは、以前の派手なフリルやレースを多用したものではなく、洗練された深い青色のシンプルなデザインだった。しかし、その上質なベルベットの生地は、私の体によく馴染み、動きに合わせて優雅なドレープを描く。首元には、セドリック殿下から贈られた、漆黒のベルベットのリボンが結ばれていた。それは、彼の瞳の色を映したような、深い色合いだった。控えめでありながらも、他の誰よりも目を引く存在感を放つそのドレスは、まるで静かに燃える炎のようだった。

オルコット公爵邸の豪華なホールには、きらびやかな衣装を纏った貴族たちがひしめき合っていた。シャンデリアの光が、宝石や金の装飾を眩しく照らし出す。会場の空気は、甘い香水の匂いと、貴族たちの熱気で満たされている。私がセドリック殿下にエスコートされ、会場に足を踏み入れた瞬間、ホール全体を支配していた騒音が、まるで魔法にかかったかのように、すっと静まり返った。

「あれは…エレーナ・ヴェルデンツ公爵令嬢…!?」

「まさか、セドリック殿下のエスコートで現れるなんて…!」

人々のざわめきが、ひそひそと囁きに変わり、その視線が、一斉に私に突き刺さる。その中には、驚き、困惑、そして明らかな敵意が混じり合っていた。彼らの好奇の目に、私は少しも動じることなく、ただ静かに微笑みを浮かべた。

(さあ、見せてあげるわ。真の悪役令嬢の姿を!この舞台の主役は、私よ!)

私はセドリック殿下の腕に、そっと力を込めた。彼の指示のもと、私は再び悪役令嬢を演じる。しかし、その演技は以前のような**「ヒロインを虐げる悪女」ではない。セドリック殿下の目的を果たすための、綿密に計算された「策略家」**としての役割だ。私の言葉一つ、視線一つが、この国の運命を揺るがす。

私の視線が、会場の中央に立つアルバート殿下とリリアーナ嬢を捉えた。アルバート殿下は、私の姿を見て、明らかに動揺している。その顔には、驚きと焦りが露骨に浮かんでいた。その隣に立つリリアーナ嬢は、心配そうにこちらを見つめていた。彼女の純粋な青い瞳は、私の心をチクリと刺した。彼女は、きっとこの場の状況を理解しきれていないのだろう。

「エレーナ嬢…まさか、貴様がセドリック殿下の隣に立つとは…!」

アルバート殿下が、憤慨した様子で私たちに近づいてきた。彼の声には、怒りだけでなく、困惑と、ほんのわずかな恐怖が混じり合っていた。まるで、彼にとっての常識が、目の前で崩れ去っていくかのようだった。

「あら、アルバート殿下。わたくしが悪役令嬢と断罪された以上、わたくしを拾ってくださる方がいるのは当然ですわ。あなた様が捨てたものに、興味を持つ方がいらっしゃるのは、至極当然のことではありませんこと?」

私は扇子で口元を隠し、冷ややかに微笑んだ。その言葉は、まるで毒を含んだ棘のように、アルバート殿下の胸に突き刺さっただろう。彼の顔が、みるみるうちに青ざめていく。周囲の貴族たちは、息をのんでこのやり取りを見守っている。

(リリアーナ嬢の視線が、私に注がれている。彼女は、どう思っているのだろう? ただの心配?それとも…彼女もこの舞台に気づいているの?)

私の心は、リリアーナ嬢の表情を読み取ろうと、ひそかに動揺していた。しかし、私はその動揺を完璧に隠し、悪役令嬢としての仮面を保ち続けた。

「エレーナ様…!」

リリアーナ嬢が、不安そうな顔で私の名前を呼んだ。彼女の透き通るような瞳には、やはり私への敵意は一切なく、ただただ心配の色が浮かんでいた。その純粋さに、私は一瞬、心が揺らいだ。

「リリアーナ嬢。貴女には、貴女の選んだ道を進んでいただきたいものですわ。わたくしのような愚かな真似は、決してなさいませんよう、心からお祈り申し上げます」

私は、リリアーナ嬢にだけ聞こえるように、しかし明確な皮肉を込めて囁いた。私の言葉に、彼女は困惑した表情を浮かべた。彼女は、私がかつて演じた「悪役令嬢」の顔と、今の私の顔の間に、どんな真意が隠されているのか、測りかねているようだった。

「貴様、何を企んでいる!?」

アルバート殿下が、苛立ちを募らせて声を荒げた。彼の声は、ホール全体に響き渡る。周囲の貴族たちが、私たちに注目している。まるで、これから始まる劇の開演を待つ観客のように。

「企む? まさか。わたくしはただ、新しい**『舞台』で、新しい『役』**を演じているだけですわ。殿下には、退屈な観客になっていただくしかありませんこと」

私は、セドリック殿下と視線を交わした。彼は、私の言葉に満足げに頷き、そして、アルバート殿下へと冷たい視線を向けた。その視線は、獲物を狙う猛禽のようだった。

「兄上。エレーナ嬢は、今や私の**『共犯者』**です。彼女に手出しはさせません。この国の未来は、もはや貴方の掌にはない」

セドリック殿下の言葉に、アルバート殿下は言葉を失った。彼の顔には、敗北の色が濃く浮かんでいた。その場で、彼はまるで力を失ったかのように、膝から崩れ落ちそうになった。

(よし、いいぞ…! この調子で、計画を進めるわ!これで、私の自由への道が、より一層近づいた!)

私の心は高揚していた。これは、ゲームのシナリオとは全く違う、私自身の物語だ。セドリック殿下と共に、私はこの国の**『脚本』**を書き換えていく。この夜会を皮切りに、私たちは、王宮の腐敗を暴き、新たな時代を築くための、壮大な舞台の幕を、今、開けたのだ。


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