第2章 真の断罪と共犯者の誕生
セドリック殿下の城の一室に軟禁されてから一夜が明けた。豪華絢爛な部屋は、どれだけ見事であっても、私にとってはただの監禁場所でしかない。私はベッドに座り込み、ふかふかの絨毯に足を埋めながら、天井を見上げた。頭の中を、セドリック殿下のあの笑みが何度もよぎる。氷が溶け出すような、しかしどこか悪意を感じさせる不気味な笑み。そして、私を抱え、会場を後にした時の、あの氷のように冷たい手の感触。
「エレーナ様、朝食のご用意が整いました」
扉がノックされ、控えめな声が聞こえた。私が返事をすると、扉が開いて一人の老齢の侍女が入ってくる。彼女は、私の公爵家の侍女長よりもずっと年季が入っているように見えた。その表情は無表情で、まるで感情というものが存在しないかのようだった。
「ご案内いたします」
彼女に促され、私は部屋を出た。廊下は、公爵家の城のそれとは異なり、無駄な装飾が一切なく、冷たい石造りの壁がどこまでも続いていた。壁に等間隔に飾られたタペストリーには、この国の歴史を象徴する**「氷の薔薇」が刺繍されている。それは、この城の主であるセドリック殿下の象徴でもあった。私は、彼の城を「氷の城」**と心の中で呼ぶようになった。
辿り着いたのは、広大なダイニングルームだった。大きな窓からは、王都の朝の光が差し込み、煌々と輝く。しかし、その光も、この部屋の冷たい空気を溶かすことはできない。部屋の中央に置かれた巨大なダイニングテーブルには、二人分の食事が用意されていた。そして、その向かい側には、すでにセドリック殿下が座っていた。
「おはようございます、エレーナ嬢。食事が冷めないうちに」
彼の言葉は、いつものように落ち着いた、低い声だった。彼は私に視線を向けることなく、黙々とパンにナイフを入れている。その指先は、細く、しかし力強く、まるで繊細な彫刻家のようだ。私は、彼の指示に従い、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
食卓には、焼きたてのパンに、新鮮な果物、温かいスープ、そして美しい色とりどりの野菜が並んでいた。どれも一流の料理人が作ったものだとわかる。しかし、食事の場は、まるで張り詰めた糸のように静まり返っていた。セドリック殿下は、食事を口に運ぶ音以外、一切の音を立てない。私は、この完璧な男の前で、少しでも粗相をしないかと、スプーンを持つ手が震えるのを感じた。
(どうしよう…! こんなに緊張する食事、人生で初めてだわ! 悪役令嬢を演じるときよりも、ずっと…!)
私は、冷たいスープを一口飲んだ。その時、セドリック殿下が静かに口を開いた。
「昨夜、城に帰った後、貴女の護衛騎士たちに話を聞いた。貴女は、幼い頃から、武芸、学問、あらゆる分野で完璧な才覚を見せていたそうだ。…にもかかわらず、なぜ、あのような**『愚行』**を?」
彼の言葉に、私はスプーンを落としそうになった。悪役令嬢を演じ続けてきた私を知る者は、誰もが私のことを**「史上最強・最悪令嬢」**だと思っていた。しかし、彼は、私の内側に隠された「ポンコツ」な本質を、たった一度の失敗で見抜いたのだ。
「それは…わたくしの自由のための、**『計画』**でしたわ」
私は、意を決してそう答えた。この男には、誤魔化しは通用しない。ならば、すべてを話すしかない。
「自由…貴女が欲しかったのは、アルバート殿下からの追放という名の自由か」
セドリック殿下は、黙って私を見つめた。彼の漆黒の瞳は、私の心の奥底まで見透かしているかのように深く、そして冷たかった。まるで、深淵を覗き込むような、恐怖と同時に、抗いがたい魅力を感じさせる視線だ。
「ええ。わたくしは、この国のしがらみから解放され、静かに暮らしたかったのです。そのために、悪役令嬢を演じ、断罪されることを望んでいました」
私の言葉に、セドリック殿下は、ふっと口元に笑みを浮かべた。それは、まるで氷が溶け出すような、しかしどこか悪意を感じさせるような、不気味な笑みだった。
「ふむ、実に面白い。悪役令嬢を演じることで自由を手に入れようとした『ポンコツ』な公爵令嬢。そして、その計画が、たった一度の失敗で破綻した…」
彼の言葉に、私は顔がカッと熱くなった。恥ずかしさと、そして計画がすべて無駄になった悔しさで、顔が歪みそうだ。
「わ、私の努力はなんだったのよ! 一生懸命、悪役令嬢を演じてきたのに、ポンコツ扱いじゃないの!」
私は、思わず本音を叫んでしまった。完璧な悪役令嬢の仮面は、すでに剥がれ落ちていた。セドリック殿下は、私のその姿を見て、静かに、そして楽しそうに笑った。
「安心してくれ、エレーナ嬢。貴女の『脚本』は破綻したが、それは、この国の未来を賭けた、より大きな『脚本』の始まりに過ぎない」
彼はそう言って、私に一枚の羊皮紙を差し出した。それは、まるで運命に導かれるかのように、私の指先に触れた。
「貴女には、この国の**『脚本家』**になってもらう。わたくしは、貴女が書いた通りの『主人公』を演じよう」
彼の言葉は、まるで夜空を切り裂く雷のように、私の心に深く響いた。それは、私がこの世界で最も強く望んでいるもの、そして、最も恐れているもの。彼の瞳には、揺るぎない自信と、私への期待が宿っていた。私の物語は、ここから、まったく予想外の方向へと進み始めるのだった。
第3章へ