第十六話 覚悟
迫りくる青白い閃光。死を悟った瞬間。時がゆっくりと進んでいく感覚。
走馬灯のように、昔の思い出が俺の頭を掠めた——。
まだ王都で暮らしていた頃。先の戦争で騎士をしていた父を亡くし、母と妹のタチアナと三人で暮らしていた。病弱な母。まだ幼い妹。父が残した遺産でギリギリの暮らしだった。それでも、太陽のようによく笑う妹の存在が、この家を明るく照らす。
俺は父から習った剣術だけしか持ち合わせていない。でも、この剣術だけが希望だった。この剣術で家族を守ると、まだ十歳の俺は心に誓った。
十六歳になった年、父と同じ騎士になった。まだまだ生活に余裕はなかったが、順調に人生を歩んでいる。……はずだった。
俺に映った大人の世界は、あまりにも醜かった。戦争に負け大陸を追われてきたはずの王族や貴族は、この王都を我が物顔で闊歩し、元々この街が王都になる前から暮らしている島出身の人々を無下に扱う。それに倣うかのように、大陸出身の貴族たちも偉そうにしていた。
騎士になって二年目になった頃、この島出身の人々は不満が爆発して、王族を糾弾した。だが、王族は彼らを反逆者として捕らえ、見せしめのように絞首刑。島出身の不満は封殺されてしまう。
島出身の俺は反抗したかった。だが、生きていくため、家族のために必死に感情を押し殺すことしかできなかった。
それからさらに月日は流れ、妹のタチアナが成人を迎える。十年ほど騎士として働く俺も、副隊長という地位にまで出世していた。
タチアナには恋人がおり、結婚を控えていた。タチアナの恋人は島出身の幼馴染で好青年。俺は自分のことのように喜び、父の代わりとして生きてきた彼にとっては少し肩の荷が下りる思いだった。
祝福ムードが漂い、タチアナに釣られるように全員が幸せな時を過ごしていた。
だが、そんな幸せも長くは続かなかった——。
ユーリ王子の成人の儀。王城で盛大に開かれたその儀式に、俺は騎士として警備をしていた。そして、成人を迎えるタチアナも同様にその儀式に参列していた。通常、平民のタチアナが招待されることはないだろうが、王子の成人の儀を盛り上げるためか、その年に成人した女性が集められていた。
成人の儀の後、王子は品定めするかのように、女性たちを吟味する。顔立ちの良い王子が近づくだけで歓声を上げる女性たち。結婚が控えていたタチアナは少し俯き、王子に見つからないようにしていた。
しかし、その反応が逆に王子の目を止まってしまったのか、声を掛けられるタチアナ。困った様子のタチアナに、思わず警備のことを忘れて二人の間に割って入ってしまった。
「王子、すみません。妹が何か不始末を起こしたでしょうか?」
「どうして一介の騎士が、持ち場を離れている?」
「いえ、妹がトラブルを起こしたのかと思いまして……」
妹のせいにしてしまっているが、この王子が問題児だということは知っていた。自分の気に入った者にすぐに手を出す女たらし。自分が王子だということを振りかざし、他のものに弾圧する者だということを。
本当はタチアナにこの成人の儀を参加させたくなかった。だが、過去の王族がした島出身者への蛮行が頭を過った母が、半ば強引に参加させてしまった。
こんなことなら、無理矢理にでも欠席させればよかったと、後悔が襲う。
「何も問題は起きていないよ。ただ、君の妹を夫人 “候補” に迎え入れようかなと思ってね」
その王子の言葉に周囲の女たちは沸き立つ。自分が王子の夫人になるのだと、王子の目の前へと押し合いを始める。
「すみません、王子。妹はすでに婚約済みでして……」
「それが僕に関係あるのかい?」
「……」
「冗談じゃないか」
笑顔の王子に肩をポンと叩かれた。しかし、口角が上がっているが、王子の目に感情はないその黒い瞳に引きずり込まれそうになる。
王子は他の女を物色し、数名の女を引き連れて会場を後にした。
「何も起こらなければいいのだが……」
「大丈夫かな?」
「大丈夫! お兄ちゃんがなんとかするから!」
不安そうにする妹の手をギュッと握りしめ、王子から妹を守ると心に誓う。
それから数日——。
王都の広場には吊るされたタチアナの婚約者。島出身の彼に難癖を付け、反逆者として絞首刑にされてしまった。
虚ろな目で立ち尽くす妹。その横で母は私が成人の儀に行かせたせいだと泣き崩れる。
何もできなかった自分に、自己嫌悪に陥ってしまう。
そんな我々の下に大勢の部下を引き連れた王子がやってきた。
「いやぁ、こんな悪人と結婚する前で良かったね」
タチアナの肩を抱き寄せる王子。タチアナは抵抗することもなく、ただ呆然と身を委ねていた。
その二人の間に割って入るように、母が王子を押し倒す。
「どうして、民を苦しめるのよ! 私たちが何をしたっていうのよ!」
「母さん、止すんだ!」
取り乱す母を止めるが、王子の部下に取り囲まれてしまう。俺たち家族は三人とも拘束されて、投獄された。
それから数日——。
絞首刑になると思っていたが、急に開放された。だが、タチアナは家には帰ってこなかった。
「……私がみんなを守るから」
タチアナは潤んだ瞳で作り笑顔。本当は太陽のような笑顔のはずなのに、今の彼女の笑顔は厚く暗い雲が覆う。振り返る瞬間に見えた彼女の頬を伝う涙が光った。
その瞬間、王子が俺たちの開放を条件に、交際を迫ったのだとすぐに理解した。
タチアナに最後に会ったのは母の葬儀だった。元々、病弱な母はこの一件の後、病態は悪化しすぐに無くなってしまった。
虚ろな目をしたタチアナ。彼女に声を掛けることもできなかった。
沸々と湧き上がる怒り。この国の王族だけは、この王子だけは絶対に許さないと、魂を燃やす。例え、自分の命が無くなろうとも、家族のために、同胞のために。
俺は採掘場近くの街に転属を申し出た。盗賊の力を利用してこの国の王族に一矢報いるために。
青白い閃光の中で薄れゆく意識。
せめて、王族と戦いたかった。一撃でもあの王子に与えたかった。後悔だけがグルグルと頭の中を駆け巡る。
「ごめんね、タチアナ。お兄ちゃんはみんなを守れなかった……」
最後に思い浮かんだのは、幼い妹の姿。太陽のように笑う彼女の笑顔とともに、光の中へと消え去っていく。
◇◇◇
盗賊との激闘から数日——。
戦死した騎士たちの弔いが行われた。
献花をしながら、守れなかった後悔が頭を過る。助けられたのではないかと、もっと方法があったのではないかと、頭の中をぐるぐると思考が駆け巡る。
どれだけ私に責任が無いと言われようと、どれだけ励ませられようと、自分の力の無さを痛感してしまう。
いくら考えても答えは出ない。気持ちだけが沈んでいく。
恙無く執り行われた弔いの最後をイヴァン締める。
「親父は昔からお人好しだった。敵国にそっくりのガキを聖女グラシアと世話したり、身元のわからない金髪のガキを騎士団に傭兵として迎え入れたり、俺はそんな行動が理解できなかった。他人を信じて、簡単に背中を預ける。
そんな親父だからダビットに騙されて裏切られたのだと、今でも思っている。
だから、俺は一人で戦える力を付けたかったし、一人で全てを解決出来ると思っていた」
少し俯きがちに表情で淡々と話すイヴァン。少し深めの呼吸をして話を続ける。
「……でも、俺は何も出来なかった。部下を信じることをせず、一人で行動してしまった。その結果……何も守れなかった。
部下を引き連れて戻れば、助かった命もあったかもしれない。親父は死ななかったかもしれない。どれだけ後悔しようとも、亡くなった者たちは帰ってこない。
だから、皆にお願いしたい。……どうか、俺に力を貸してください。この街を守るために、親父が守ってきたこの街を、一緒に守るために。この街も、この騎士団も、もう何一つ失いたくないから」
自分勝手だったイヴァンが、深々と下げた頭。不器用な彼の真っ直ぐな願い。
変わろうとしているのだと、セルゲイ様の跡を継ごうとしているのだと感じた。
私も変わらなければいけない。この街を守るために。立派な聖女になるために。
いつものように夜勤で結界を張る。眠そうなアレスと元気なフレア。彼らもこの退屈な時間を共有してくれていた。
「眠たくなったらいつでも部屋に戻ってくださいね」
「……大丈夫」
大きなあくびをしながら目を擦るアレス。眠そうになりながらも、いつもこの夜勤の時間をともにしてくれる。
彼にはずっと聞きたいことがあった。魔力が無いことについて、この世界の人間ではないことについて。
「……あの、この世界の人間ではないって、どういうことなんでしょう? 言いたくなければいいのですが……」
「そのままの意味だよ。ボクはこの世界の人間ではない。元いた世界は魔法も魔力もない。ただただ、綺羅びやかに光り輝いている。それこそ、夜中ですら、昼間のように。
でも、それだけの世界。空は厚い雲で覆われ、木や草、動物もいない。多くの心の無い人間が無表情で練り歩くだけの世界。
なぜ、この世界に来たかはボクにもわからないだ」
少し視線を落としているアレス。珍しい彼の暗い表情。聞かないほうが良かったのかなと、少し後悔してしまう。
きっと、この世界に来たかった訳では無いのだろう。何か知らない魔法に巻き込まれてしまったのかもしれない。
それに、この世界とはかなり違いがありそうで、生きづらさもあるのだろう。夜中まで昼間のように明るいなんて、想像もつかないけど……。
どう声を掛けようかと、悩んでいると一人の訪問者。
「……アレスとサキリス、それにフレア、先日は盗賊からの襲撃を手助けしてくれてありがとう」
イヴァンが少し気まずそうに視線を逸らしながら頭を掻いている。自分勝手なイヴァンは今まで素直に感謝を述べたことなんてなかったのだろう。少し頬を赤らめ恥ずかしそうにしていた。
そのイヴァンの目の前にフレアが飛んでいく。
「まぁ、私のお陰であなたは生きているのよ! 私がいなければサキリスは魔力が枯渇して、あなたを助けることも出来なかったわ!」
「いや、ボクのお陰だね! ボクがダビットを倒したからだね。だから、報酬には期待してるよー」
自慢気なフレアと、いつものように飄々とした姿のアレス。少し気まずかった空気が和まされる。
イヴァンは二人の勢いに苦笑いを浮かべた。
「いえ、私は聖女としてやるべきことをしただけです。それに、私は……何も守れませんでした」
「そんなことはない。サキリスがいなければ、もっと被害が出ていたかもしれない。実際、俺は命を救われた。
エレスニヤ人の特徴を持つ君を、昔は勝手に八つ当たりしてしまっていた。今まで辛く当たったことを許してくれとは言わない。だが、感謝だけは伝えたかった。」
深々と下げられた頭。でも、どれだけ謝られようとも、過去に傷ついた心は戻らない。
それに、昔というほど昔ではない。ついこの間までのことだ。
それでも——。
「……そう、ですか。きっと、私はあなたにされたことを忘れない。あなたを許すことは出来ないかもしれない。でも、変わろうとするあなたを受け入れられるように、努力したいと思います」
「……ありがとう」
イヴァンはにこやかに笑う。その表情はセルゲイ様にそっくりで。きっと、セルゲイ様のようにこの街のために頑張るだろうと思えた。
立ち去ろうとするイヴァンが振り返る。
「それはそうと。今回の聖女の活躍を王都の教会に報告した。君以外の聖女がもっと協力してくれていれば、もっと被害が少なく済んだかもしれない。おそらく、君以外の聖女全員が協力しなかったことで入れ替えないしは、クビになるだろう。きっと、君は出世する。聖女グラシアのように」
「これで、少しはサキリスの負担も減るんじゃない?」
ウキウキした表情で飛び回るフレア。
イヴァンはそれだけ伝えると、颯爽と去っていく。その後ろをアレスが眠そうについて行った。
他の聖女の処遇はどうなるかわからないが、自業自得としかいいようがない。街の危機より自分を優先する人間なんて、聖女に向いていなかったのだろう。これで、この街の聖女が街のために働いてくれるように願うばかりだ。
それにしても、今回のことで失ったものが多かった。でも、私にはアレスとフレアがいる。彼らがいれば私はまだ前に進める気がした。
それに、アレスがこの世界で少しでも楽しく暮らせるように、支えていきたい。昔、私がグラシアやセルゲイ様にしてもらったように。
第一章完結。
第二章は書き溜めしてから投稿を開始したいと思いますので、少々お待ちください。
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