第十五話 裏切り者
赤い肉塊がアレスの目の前で横たわっている。大男だったそれは、見るも無惨な姿。血なまぐさい鉄の香りが漂い、辺りを赤黒く染めていた。
振り返ったアレスの表情はしかめ面の鋭い視線だが、どこか悲しげで。タキオンを失った悲しみが滲み出ていた。
出来ることならタキオンを助けたかった。しかし、ハイヒールを詠唱したところで、タキオンの傷は癒えようとしなかった。たぶん、そばに行った頃には、タキオンはもう……。
今はただただ、アレスを抱きしめることしかできない。こんなことで、アレスの心の傷は癒えないだろう。それでも、ギュッと強く抱きしめる。グラシアが私にしてくれたように。
「……ごめんなさい。タキオンを助けられませんでした……」
「悪いのはサキリスじゃないから……」
「それでも……助けたかった……」
「……この茶番を終わらせてくるよ」
アレスはゆっくりと歩みを進める。盗賊たちは表情が消え、後退りをしていた。
「何をやっているんだ! 戦え!」
盗賊のボスの叫び声が響く。大勢いたはずの盗賊は、もう十人と残っていない。覚悟を決めたように、アレスとイヴァンに向かって一斉に走り出す。
盗賊たちの最後の足掻き。彼らは自身を奮い立たせるように、大きな叫び声を上げながら剣を振りかざす。
敵のほうが多いはずの戦場。だが、アレスとイヴァンを止める脅威にはならず。一方的に敵を蹂躙していく。向かってきた盗賊たちの最後の一人が倒れたその瞬間——。
「エクスプロージョン!」
盗賊のボスの声が戦場に木霊し、大きな爆発が瞬間的に激しい炎が煌めかせ、黒煙がモクモクと立ち昇る。少しアレスと離れて戦っていたイヴァンだが、その爆風で吹き飛ばされていた。
「どうだ! これが “カラクリ魔法” の力!」
盗賊のボスは誇らしげに叫ぶ声だけが、聞こえてくる。
あんなに短い詠唱でこの威力……。カラクリで爆発魔法があるなんて……。
アレス……。どうか……。どうか無事でいて……。
立ち昇る黒煙で状況が見えず、アレスの無事を祈ることしかできない。
霧散していく黒煙から、少しずつシルエットが見えてきた。倒れた人々の中央で、仁王立ちのアレス。彼の衣服が煤で汚れているが、どうやら無事のようだ。
……よかった。……本当によかった。もうこの戦いを、終わらせて……。
何事もなかったかのように歩みを進めるアレス。
「エクスプロージョン! エクスプロージョン! エクスプロージョン!」
盗賊のボスが狂ったように魔法を多発。盗賊のボスの指輪が一瞬光ると、瞬く炎と立ち昇る黒煙が視界を奪う。
突風が黒煙をかき消すと、そこには——。
倒れている盗賊のボスと、剣に付いた血を振り払うダビット。
ダビットは盗賊のボスから指輪と四角いカラクリを奪う。
「魔力の無駄遣いですよ。これだから、馬鹿は……」
「仲間じゃなかったの?」
「仲間……? このお荷物が……?」
アレスの質問に薄ら笑うダビット。
四角いカラクリを捻ると、禍々しい紫色の煙のようなものがダビットを包み込み、それはオーラのように纏わりつく。
「フハハハ! 滾る、滾るぞ! 全身を魔力が駆けずり回るこの感覚! もう、誰にも負けやしない!」
不敵に笑うダビット。異様な光景に息を呑んでいたその瞬間。
——青白い閃光。
アレスから放たれたその無詠唱魔法がダビットを捉えた。
勝ったと思った。これで全てが終わったのだと。だが、アレスの無詠唱魔法は紫煙が弾いてしまう。一撃で相手を屠っていたその攻撃は、敵にダメージを与えることなく消え去ってしまう。
そ、そんな……。アレスの攻撃が、効かないなんて……。あの禍々しい紫煙は一体なんなの……?
アレスはダビットの方へ歩み出した時、イヴァンがそれを制止する。
「あいつは俺の獲物だ!」
イヴァンはアレスの頭をポンポンと叩くと、ダビットの方へと歩みだした。先の戦闘ですでにボロボロの背中は、よく鍛えられており大きく立派で。
セルゲイ様亡き今、彼がその思いを一身に背負ったかのようで。
でも、勝てるのかという不安が胸を襲う。
アレスの魔法が防がれたのに、イヴァンが勝てる訳がない……。……本当に死んでしまう。
そんな心配をよそに、その足はゆっくりだが確実に、一歩、また一歩と歩みを進めていく。まるで、死の恐怖など感じていないかのように。
剣を構える二人。戦場のはずのこの地を静寂が包み、ジリジリと近づく二人の距離。
先に動いたのはイヴァンだった。痺れを切らしたかのように、飛びかかるように斬りかかる。剣と剣がぶつかる甲高い音が戦場に響き、二人の戦闘は激しさを増す。
一見、拮抗しているかの二人。だが、イヴァンの四肢からは流血。さらには、完全に捉えたと思ったイヴァンの攻撃も、ダビットを包む禍々しい紫煙にふせがれてしまい、傷一つつけることができない。
次第に防戦一方のイヴァン。そして、ダビットの攻撃を剣で受け止めたが、イヴァンは吹き飛ばされてしまう。その衝撃で城壁に叩きつけられ、意識が朦朧としているのか、フラフラとその場に片膝をつく。
立ち上がろうとするイヴァン。だが、近寄ったアレスが彼を座らせる。そして、イヴァンから剣を奪い取り、アレスはダビットの方へと向き直す。
「ここからは本気を出そう」
「こっちも出力を上げていくよ」
四角いカラクリを取り出して捻るダビット。紫煙が再び吹き出し、ダビットの周りの煙はさらに濃く、大きくなっていく。
顔は真っ赤に染まり、顔の血管が青筋を立てている。元々、筋肉質だった体躯がさらに盛り上がり、着ていた甲冑をぶち破った。充血した目を見開く姿は、まるで興奮した魔物のようで。奇声を上げながら、アレスの方へと走り出した。
力のままに振り下ろしたかのようなその剣は、剣術と呼べるものではなく、アレスはその単調な攻撃を簡単に躱す。空を切った剣が地面に直撃——石畳は破壊されて地面ごと抉れ、その衝撃に地面が揺れる。
そのまま暴れるように剣を振り回すダビット。アレスがその攻撃を剣で受けるが——その威力に吹き飛ばされてしまう。
建物の壁を突き破り、アレスの姿が消える。
「そ、そんな……。アレスが……。アレスが負けるなんて……」
最後の希望。まだ、十歳前後の少年に託された、この街命運が終わったと思われた。
「まだよ! アレスは負けないわ!」
フレアが肩に止まり、抱きしめるように髪を握る。
穴の空いた建物から、砂埃をはたきながらアレスが姿を表した。
「……よかった」
「アレスが負けるわけ無いじゃない!」
「そう、ですよね……」
決して疑っている訳では無い。アレスの強さもわかっている。でも、失うことが怖い。もう誰も失いたくない。今はただ、無事を祈ることしかできない。
アレスが鳴らすように首を捻りながら、ダビットへと歩みを進める。
その横顔は普段のふざけたような飄々とした雰囲気とは違い、鋭い眼光でダビットをじっと睨みつけていた。少し体を沈ませながら拳を握りしめて構えたアレスの体から、閃光が走る。体を這いずり回りまわっているかのようなその光は、まるで稲妻を纏っているようで。
新たな魔法の神々しさに目を奪われると同時に、アレスにこの戦いの終決を求めてしまう。
静寂が流れる。
対峙する二人は相手の様子を伺うように見つめ合い、緊張感が増していく。
先に動いたのはダビット。奇声を上げながら走り出し、剣を振り下ろす。その攻撃を剣で受け止めたアレス。先ほどと同じような状況。だが、アレスは力負けしておらず、なんならアレスの方が押しているように見えた。
激しい剣術の応酬。剣と剣のぶつかり合う甲高い音。舞う砂煙。アレスの神々しい閃光と、ダビットの禍々しい紫煙がせめぎ合うかのように交わり合う。
イヴァンを模倣したかのようなアレスの剣筋。まるで、イヴァンの無念を晴らすかのように、戦闘を繰り広げている。
アレスが回転斬りを放つと、ダビットが剣で受ける。だが、その威力にダビットの剣が吹き飛ぶ。と、ほぼ同時にアレスの剣撃がダビット襲う。
ダビットの紫煙がアレスの攻撃を防いだが、攻撃を受けた箇所の紫煙は斬り裂かれ霧散していく。
「なぜ、お前はまだ動ける!? これだけの魔法を使えがお前の魔力はもう残っていないはずだろう!?」
「……魔力? そんなものは最初からないよ」
「な、何を言っている!? そんな人間はこの世界にはいない!」
「そんなこと言ったって、ボクはこの世界の人間じゃないからね」
再び攻撃を続けるアレス。霧散していく紫煙は少しずつ小さくなっていく。
優勢に戦うアレスのことが喜ばしい反面、先ほどの言葉が気になってしまう。
アレスがこの世界の人間ではない? やっぱり神の使いなの? あの神々しい光はそういうこと?
疑問が頭を駆け回るが、今は神に感謝の祈りを捧げてアレスの勝利を願う。ただそれだけが、今の自分に出来ることだ。
「……化け物が!」
アレスの猛攻から逃げるように距離を取ったダビットが吐き捨てる。
そして、彼は懐から再び四角いカラクリを取り出すと、そのカラクリを捻ってねじ切った。紫煙が爆発したかのように溢れ出し、アレスの攻撃により霧散して小さくなっていた紫煙が再びダビットに纏わりつく。その紫煙はより大きく、より濃くなっていった。
「エクスプロージョン!」
ダビットが盗賊のボスから奪った指輪が光り、爆発で炎が煌めき爆音が轟く。その威力は盗賊のボスが放ったものより明らかに強力で、立ち込める黒煙が視界を奪う。
その黒煙の中から青白い閃光。黒煙を割ったかのように斬り裂き、視界が悪いはずなのにその閃光はダビットを正確に捉えた。だが、紫煙の縁が閃光に焼かれたかのように霧散した程度で、ダビットにダメージは与えられていない様子。
その直後、アレスがダビットに接近し、彼の纏う光りが軌跡のように一閃。その勢いのままダビットを吹き飛ばす。
ダビットを殴りつける度にその光は激しさを増していく。そして、ダビットの紫煙はみるみる萎んでいった。
アレスが体を翻し反転すると同時に、剣が光り輝く。その勢いのまま放った回転斬りは、紫煙ごとダビットの左腕を切り落とす。そして、神の雷の如く煌めく剣がダビットの胸を貫く。
しかし、それでもダビットは倒れない。残った紫煙が彼を再び包み、剣が胸に刺さった状態でアレスに襲いかかる。その攻撃に剣を離し、アレスは距離を取った。
ダビットが胸の剣を引き抜くと、大量の血が吹き出す。フラフラのダビット。
アレスが右手をダビットの方へと向けると、青白い閃光がダビットを襲う。その閃光は今までとは比べ物にならないほどの大きさと威力で、正門ごと飲み込んだ。
戦禍に倒れた兵士や盗賊たちも、堅牢な城壁や正門も全てを焼き尽くしたかのように一瞬で消え去ってしまった。
「……これって、ボクは悪くないよね?」
少し気まずそうに振り返ったアレス。やっちゃったと言わんばかりの苦笑いが、いつのもアレスに戻った瞬間だった。
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