第十四話 絶望の果てに
セルゲイ様の手を握っても、握り返してくれることはなく。
どれだけ祈ろうとも、願いが叶うことはなく。
何もできなかった。
守りたかったものも、守れなかった。
もう何も考えられない。考えたくもない。
朦朧とする意識。色褪せていく視界。ただただ、周囲の音が鈍く脳内で響く。
ただただ、横たわるセルゲイ様を見つめることしかできない。
すると、セルゲイ様の隣にイヴァンが投げ捨てられた。
血の気を失い、青白い顔。腹部には刺し傷。大量の血が流れており、かなり危険な状態だろう。
でも、もう何もできない。することができない。
「しっかりして! まだ、終わってないわよ!」
突然現れたフレア。いつの間にか帰ってきた彼女は、ポーションを数本ほど抱えて持ってきてくれていた。
……でも、もう遅い。……もう、終わった。……終わったんだよ。
無理やりポーションを口に含まれる。だが、飲み込む力もない。
「ほら、飲んで! 飲むのよ! オラ、飲め! ……あなたは失いたくないの!」
無理やり口を開かされ、押し込まれたポーション。流れてこんでくるポーションで、溺れそうになりながらも体内に取り込まれた。
失われた魔力とともに、視力と聴力、生きる気力も回復。渇ききった体が潤っていく。
諦めかけていた心が少しずつ、だが確実に回復している。
まずは、イヴァンを起こさないと……。
でも、一度負けたイヴァンで大丈夫だろうか?
けど、イヴァンしかいない。戦える人間は。
盗賊が気付いていない隙に、詠唱を開始する。
「治癒の燈が苦しみからの解放をもたらす。
燦爛たる癒光——ハイヒール」
イヴァンの傷口が淡い緑色の光に包まれていき、傷口が徐々に塞がっていく。
だが、セルゲイ様と同様、完治はできることはない。
それでも、先ほどとは違う。まだ、魔力回復ポーションがあるのだから。
三回目のハイヒール。淡い緑色の光が傷口を完全に塞いだ。
でも、起きないイヴァン。遅かったのか……?
「起きろ! 起きろ!」
フレアがイヴァンの頬を叩くと、目を開けたイヴァン。
だが、意識が朦朧としているのか、反応が遅い。
「いつまで寝ているの! 戦え! あんたしかいないんだよ!」
フレアが髪を引っ張ってイヴァンを無理やり起こそうとしている。
どこにそんな力があるのか? 何倍も違う大きさのイヴァンを、無理やり引き起こす。
傷は癒えただろうけど魔力が枯渇しているだろうイヴァンに、最後のポーションを手渡す。
ポーションを一気飲みするイヴァン。そして、震える手で剣を握る。
まだ、魔力が回復しきっていないのか?
それでも、この街の命運をイヴァンに託すしかない。全ては彼に掛かっていると言っても過言ではない。
イヴァンが最後の希望。彼に祈りを捧げようとしたその時——。
ガシャーーーン!
盗賊の侵入を防いでいた氷塊が崩れる音。
その音は氷塊だけでなく、奮い立たせた私たちの心も破壊した。
もう、どこにも希望がない——。
氷塊の破片がキラキラと光りを反射して宙を舞う。
「わーい! お小遣いだー!」
舞い散る氷の粒の中から、ハイテンションのアレスとタキオン。彼は盗賊の髪を掴み、引き摺って街に入ってきた。
えっ!? お小遣い!? もしかして、盗賊のことを言ってます?
アレスの登場は嬉しいはずなのに、まさかの登場の仕方に思わず嬉しさより驚きが勝ってしまう。
ニコニコのアレスと目が合うと、アレスはその場に盗賊を投げ捨て、満面の笑みでこちらに走ってきた。
フレアがアレスの下へ飛んでいく。ポコポコとアレスの頭を叩きく。
「遅いよアレス! 街が今ピンチなの! セルゲイもやられちゃったし……」
「……セルゲイがやられた……? そんな……一体誰が……。誰が報酬を払うんだ……?」
「そんなこと言っている場合か! 真面目にしなさい!」
アレスを叱りつけるフレア。彼女はアレスの頬をつねっている。
セルゲイ様が倒れたというのに……どうしてそんな言葉が……?
アレスの無邪気な言葉が、胸に突き刺さる。それでも、アレスの顔を見た瞬間、安堵で涙が溢れそうになる。アレスが無事で本当に良かった。
混沌とした感情が渦巻き、自分でもわからないほど、ぐちゃぐちゃで……。心が引き裂かれるのではと思うほど、胸が苦しい。
「無事でよかった。アレスまで何かあったら私は……」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと採掘場に閉じ込められただけだし。それより、盗賊をなんとかしないとねー」
すると、一人の盗賊が近づいてきた。その瞬間。
——青白い閃光。
アレスの右手から放たれたこの閃光は、近づいた盗賊の上半身に直撃。
盗賊の上半身は弾け飛び、跡形もなく消滅。残った下半身だけがだらりと倒れる。
あまりの威力に場の空気が凍りついたかのように、静まり返る。
アレスがいれば、この街はきっと——。
でも、魔法を使ってしまうと……。
「ま、魔法はダメです! 魔法を使うと、彼らのカラクリに魔力を奪われてしまいます!」
「ワカッタ—。……そんなことより、どうしよう……。これじゃ盗賊かわからないじゃん。お小遣いが……」
「もう! お金のことばっかり! ちゃんと戦いなさい!」
項垂れるアレスと怒り続けるフレア。
アレスの適当な感じの軽い返事が気になる……。本当にわかっているのだろうか?
彼が強いのは十分理解している。それでも、心配だ……。
敵のカラクリの威力を経験している分、魔力が枯渇しないかと心配になる。あの苦しみがアレスを襲うのではないかと。
周囲の盗賊はアレスに恐れをなしたのか、近づこうとはしない。
「お前たち何をビビってやがる! 戦え! 時間を稼げ!」
盗賊のボスが発破をかけるように叫ぶ。彼はダビットとともに並び立ち、少し離れた場所から、戦況を眺めていた。
きっと、時間を稼いでアレスの魔力を奪う魂胆なのだろう。
お願いアレス。急いで! 時間が経てば経つほど不利になってしまう……。
「どうして、ダビットがあそこにいるの?」
「ダビットさんは……裏切り者です。セルゲイ様もイヴァンも、彼にやられました……」
「俺はまだ負けちゃいねぇ。あの野郎をぶっ殺してやる!」
イヴァンが立ち上がる。だが、その足はふらついており、戦えるのかは怪しい。それでも、ダビットの方へと歩みを進めるイヴァン。
そして、彼の前に立ちはだかる盗賊たち。
アレスとイヴァンの二人はゆっくりと、盗賊たちの方へ歩みを進めていく。
「おじさんなんだから、無理しなくてもいいよー」
「うるせー! お前もいつか、やり返すからな!」
「じゃあ、今日は死なないでねー」
緊張感の欠片もないアレス。これから戦うとは思えない雰囲気。
静まり返る戦場では、アレスの無詠唱魔法を目の当たりにした盗賊たちが二の足を踏んでいる。
すると、大男が前へ出てきた。
「だらしねぇ野郎どもだ。俺が相手してやろう!」
「少しは楽しませてねー」
アレスも大男の前へと進む。
二倍くらいありそうな身長差。鎧のような筋肉でできた体躯。丸太のような腕には、両刃の斧が握りしめられている。
先に動いたのは大男。頭上に掲げられた斧が、太陽で鋭く光り輝く。剛腕に重力が加勢して、振り下ろしている斧はうねりを上げながら勢いを増す。
しかし、その場にはアレスの姿はもうない。斧が地面に衝突した瞬間——鈍い音が響き渡り、石畳が粉砕されて土埃が舞う。その威力に斧が突き刺さり、地面が少し揺れた。
アレスは数歩後退し、斧が当たらない距離に回避していた。
あんな攻撃が当たったらと思うと……。
ただただ、アレスの無事を祈ることしかできない。
どうか、アレスが無事でありますように。どうか、街が救われますように。我々に力を。どうか……。
「ちょこまかと鬱陶しいガキだ!」
突き刺さった斧を引き抜き、アレスを睨みつける大男。鼻息荒く走り出し、掲げた斧を再び振り降ろそうとした瞬間——アレスが回り込み、大男の膝裏を蹴る。
すると、体制崩した大男がよろめき、斧を振り下ろそうとした勢いも相まって、前のめりに転ぶ。
四つん這い状態の大男。そのがら空きの脇腹を蹴り上げられると、うめき声を上げながらのたうち回る。
アレスの攻撃は止まらない。大男の足を掴み、グルグルと回りながら回転。そのまま、回転した勢いで大男を吹き飛ばす。大男は正門横の城壁に激突し、意識を失ったようにぐったりと倒れた。
十歳前後のこの少年に、どこからそんな力が出ているのか、という疑問が湧く。でも、アレスならあり得るかと、納得してしまう。きっと、私の知らない魔法でも使っているのだろう。
イヴァンは二人の戦闘を目の当たりにして、呆然と立ち尽くしている。いつか仕返しすると啖呵を切った彼の威勢はどこにいったのやら……。
再び盗賊たちの方へと歩みを進めるアレスとイヴァン。イヴァンはまるでアレスの子分のように、付いていく。
徐々に近づくアレスに恐れをなしたのか、十人ちかくの盗賊が街の外へ逃げようと走り出した。我先に街からの脱出を試みる盗賊。だが、正門のはるか手前で彼らの望みは潰える。
数メートル以上離れていたはずのアレスが、盗賊を捕捉。
足を薙ぎ払われ転ばされた者。後方から頭部を捕まれ、地面に叩きつけられた者。背中から蹴り飛ばされ、吹き飛んだ者。
それでも運良く門の外に逃げ切った者もいたが、アレスの無詠唱魔法が炸裂した。結局、逃げようとした者は、一人残らず戦闘不能となった。
アレスが元いた場所には、土煙とイヴァンだけが残されていた。
でも、魔法は使ってはいけないと注意したのに、また魔法を使っている……。魔力は大丈夫だろうか? 体調は大丈夫だろうか?
こんなことなら、イヴァンに渡したポーションをアレスのために置いておけばよかったと後悔してしまう。
今のところ、イヴァンはなんの役にも立っていないし……。
そして、再び歩みを進めるアレス。
「君たちは逃げないの? そんなハンティングは面白くないよー」
「降参だ……」
一人の盗賊が武器を捨てて、手を上げた状態でアレスの方へ歩く。そして、手を上げたまま、両膝をついて無抵抗を表した。
「君たちは許しを乞うた人たちに許してあげたの?」
「……」
「これだけ街をめちゃくちゃにして、許されると思うの?」
「……」
引きつった顔。震えた上げた手。怯えきった盗賊は、否定できないのか沈黙を貫く。
次の瞬間——膝立ちで顔の高さが下がっていた盗賊に、アレスの膝がめり込む。鈍い骨の折れるような嫌な音が響き、盗賊は力なくその場にだらりと倒れた。
戦況はかなり優勢と思える状況。盗賊たちは戦意喪失しているのか、青ざめた表情で虚ろな目をしている。彼らには逃げることも、戦うこともできない。ただ、やられるのを待つだけなのだから。
でも、無詠唱魔法を使い、時間も経過してしまっている。アレスの魔力は大丈夫なのだろうか? それだけが、不安材料でもあった。
ポロッと独り言がこぼれる。
「あんなに魔法を使って……。魔力は大丈夫かな……?」
「それなら大丈夫よ。アレスには “魔力がない” から」
「えっ!?」
私の独り言に答えたフレアの回答が理解できない。
アレスに魔力が……ない? そんなことありえるの? だって、無詠唱魔法を使っていたじゃない……?
頭の中で疑問がグルグルと回る。でも、答えはわからない。
フレアに聞こうとしたその瞬間——。
「ギャヒーーン!」
アレスの愛馬、タキオンの悲痛な叫び声。倒れていたはずの大男が斧でタキオンを攻撃していた。
タキオンはその場に倒れ、大量の血を流している。
「怒れ、怒れ! 怒りは魔力の制御を乱——」
大男が話していた最中、アレスの無詠唱魔法が大男の右腕ごと、斧を吹き飛ばす。大男は悲痛な叫び声を上げ、その場にうずくまった。
次の瞬間には大男の目の前にいるアレス。彼の攻撃が鈍く嫌な音を立てながら、街中に響く。
何度も、何度も……。終わることのない攻撃。静まり返ったこの地に響く。
原型を留めていない大男。返り血で赤く染まるアレスが無表情で殴り続ける。何度も。何度も……。
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