第一話 ドラゴンとカラクリと少年と
凍てつく夜空。灯り一つ無い漆黒の街。
対岸の煌々と光る街並みが対照的で、この街をより深い影へと落としていく。
この街の闇に心まで引きずり込まれてしまいそうで——。
いつからだろう。なりたかったはずの聖女に、疑問を持つようになったのは。
育ててくれた “聖女グラシア” に憧れて、あんなにも聖女になりたかったはずなのに。
グラシアのように、みんなに愛されると思っていたのに。
幸せになれると思っていたのに……。
「ダメダメ。魔力が無くなりしそうで、嫌なことばかり考えちゃっていたわ」
パンパンと顔を叩き、気持ちを切り替えようとする。
大丈夫。私は大丈夫。グラシアも『 “サキリス” は立派な聖女になれる』と、言ってくれたじゃない。まだ、始まったばかり。そう、始まったばかりじゃない。頑張ればみんな認めてくれるはず。きっといつかは、グラシアのようになれるはず……よね?
押しつぶされそうな感情を偽るように、自分はできると言い聞かせる。
たとえ、それが虚勢だとわかっていても——。
複数の山が鎮座する島。その島の山の麓にある街。その城壁には四つのカラクリが聳え立っていた。
カラクリに詠唱すると、結界魔法を増幅させる。四つのカラクリに詠唱することで、四層の結界が街全体を覆うように展開。それにより、この街の結界はより強く、より堅くなっていく。どんな脅威にも対抗できるようになる。
「あと一つ。これで今日もみんなが安全な夜を過ごせるわ」
暗闇の空を旋回する “災悪” 。そのせいで島の住人は、灯り一つ点けることもできない。ただただ、見つからないように身を潜めて生きていくしかない。島から脱出することもできない。あの “ドラゴン(災悪)” がこの島国に住まう間は——。
次のカラクリへ向かうため城壁の上を進んでいく。対岸にある大陸の街の灯りを見ると、どうして我々だけがドラゴンに怯えなければならないのかと、妬ましく思ってしまう。
私たちは暗闇に包まれた夜を過ごしているのに、大陸の人間は楽しそうで。でも、暗闇の空を旋回するドラゴンは、私たちだけに睨みを利かせてくる。
もう、どっかに行きなさいよ! あなたにはこの島は小さすぎるわよ! 毎晩毎晩この街の周りをチョロチョロ飛ぶんじゃないわよ!
……お願いだから、どっかに行ってよ。私たちの自由を奪わないでよ……。
最後のカラクリの前に到着し、詠唱を始める。
「天よりの祝福—— この地の民を護り、聖域を築き上げよ!
我が魂と魔力を犠牲に、彼らに一時の安らぎをもたらさん!
守護者の寵愛—— ガーディアンシールド!」
詠唱により結界魔法が発動。カラクリにより結界を増幅させていき、層を織りなすように街の結界が構築されていく。これにより、この街の安全は保証されたと、言っても過言ではない。
たとえ、ドラゴンに襲われようとも——。
結界魔法により大量の魔力を消費して、体内から熱が失われていく感覚。凍てつく空気のせいか、魔力の低下のせいか。
それでも、ドラゴンの脅威から街を守れた安心感が、少し心を軽くしてくれた気がする。
しかし、もしドラゴンから攻撃されてしまうと、再び結界を張る必要があり、結界を張ったからとベッドで安眠できるわけではない。
これから夜が明けるまで、ドラゴンとのにらめっこが始まった。
魔力回復ポーションを少し口に含み、飲み込む。すると、沈んでいた気持ちも少し落ち着く。それどころか、見事な結界を前に自信が湧き出てきた。
「フハハハ! どうだ、この結界は! これでこの街を襲えまい! 貴様など聖女様の前では無力! ただの大きな鳥に過ぎない!」
はるか上空のドラゴンに向け、啖呵を言い放ってやった。実にいい気分。
実際、カラクリで強化された結界があれば、ドラゴンに襲われることもないのよ。
あんなの恐るるに足りないわね。
——突如、ドラゴンが上空から街の方へ猛スピードで滑空。赤く光る目は軌跡のように、夜空に一筋の残像を残しながら迫ってきた。
ドラゴンが滑空する風切り音で、恐怖が増していく。
「ごめんなさい! ごめんなさい! う、嘘ですよ!」
謝りながらカラクリの裏に隠れることしかできない。
馬鹿にしたから怒ってしまったのか? でも、こんなに離れているから聞こえているわけないのに……。
すると、ドラゴンの風切り音が遠のいていく。どうやら、攻撃するつもりではなかったようだ。
ドラゴンさん、冗談ですやん。本気にならんといてくださいよ。ドラゴンさんには誰も勝てませんて。
背中に流れる冷や汗。肝が冷えたことで、私を冷静にさせる。
そして、再び心を蝕んでいく——。
それでも、これ以上魔力回復ポーションを飲むことはできない。ポーションを買う余裕がないのである。
国も教会も魔力回復ポーションを買ってくれることはない。教会からの給料の大半はこのポーションに消えていってしまう。働けば働くだけ心と財布を蝕んでいく悪循環。
私がいなければ、ドラゴンに襲われちゃうのに。どうなってんのよ、この国は。
ここからは夜が明けるまで、ドラゴンの様子を伺うだけの退屈な時間。心を闇に引きずり込まれないように、育ててくれたグラシアのことを思い出していた。
グラシアは、若い頃に冒険者をしていたらしい。そんな彼女はいつも自由に生きる喜びを話していた。そして、あのドラゴンがいなくなり、この島の人間が自由に生きられることを望んでいた。
ドラゴンがいなくなれば、この国から旅立つのもいいわよね。冒険者になって、やりたいことだけをやって、好きなものを食べる。きっと楽しいだろうし、美味しいものもいっぱいありそう。
あとは行ってみたいのはカンビレア。技術大国でカラクリの最先端。結界魔法を増幅させるこのカラクリも、カンビレア製らしいからね。きっとすごいカラクリも、楽しいカラクリもいっぱいあるはず。
ポケットから小さなカラクリを取り出して魔力を込める。
グラシアからもらったこの小さな鳥型のカラクリは、魔力を受け取るとバタバタと羽を動かして飛び立っていく。
子どもの頃からこのカラクリが好きだった。
必死に羽ばたき飛ぶ姿が可愛くて。ちゃんと魔力が無くなる前に帰って来るのが賢くて。いつか、私を連れてどこかへ連れ出してくれそうで。
このカラクリを見るとグラシアとの思い出が溢れてくる。彼女はみんなに愛されていたし、みんなを愛していた。
私もいっぱい遊んでもらって。いっぱい叱られて。いっぱい愛してもらって。
そんな母のように愛していたグラシアはもうこの世にはいない。高齢だった彼女は、私が聖女になってすぐこの世を去ってしまった——。
「私は聖女として、うまくやれているのかなぁ?」
この問いかけに、誰も返事をしてくれない。
魔力が減っているせいか。再び不安が胸をかすめた。
それでも、この鳥のカラクリを見ているだけで、少し心が安らぐ気がした。私の宝物の一つだ。
「私もこのカラクリのように空を飛べたなら、自由に生きられるのかな」
空を旋回して戻って来るカラクリ。自由に飛び立つその姿に、憧れさえ抱いてしまう。
◇◇◇
空は明るさを取り戻し、空を旋回していたドラゴンが姿を消した。この日もドラゴンの脅威が過ぎ去った瞬間。街を守った安心感と任務からの開放感がこみ上げてくる。
ドラゴンとはいえ、所詮は魔物。カラクリという、人類の叡智の前には無力。
この結界のカラクリと私がいれば、負ける訳が無いのだ。
……まぁ、勝つことはできないけどね。
あぁ、お腹すいた。ご飯食べたらいっぱい寝るんだ。ぐっすり寝るんだ。
小さな幸せが目の前にまでやってきている。
やっと一息つけると思った瞬間。
パーーーン!
破裂音が冷たい空気を震えさせながら襲ってきた。
救難信号。明るくなってきた空に高々と打ち上がり、黄色い煙を巻き上げながら緊急事態を知らせる。
黄色の救難信号は盗賊の襲撃を意味する。その信号が近くの村から打ち上がったのだ。
「はぁ!?」
ため息に近い悪態が漏れてしまう。
そして、小さな幸せが破裂音とともに逃げていく。
ドラゴンの次は盗賊かよ。ふざけるな! 私の朝食を返せ! 私の睡眠を返せ!
気づかなかったフリをするか? しれっと教会へ帰るか? 私の管轄でもないし。そうよ。私には関係ない。
……でも、怪我人がいるかもしれない。助けが必要かもしれない。私にしかできないかもしれない。
心のなかで天使と悪魔が激しい戦闘を繰り広げていく。そして、天使が勝ってしまった。
わかりましたよ。行けばいいんでしょ。行けば。
黒いローブのフードを深く被り、フードが飛ばされないように押さえながら騎士団の方へ走り出した。
救難信号の破裂音を聞いたであろう数名の騎士は、兵舎から正門の方へと走り出していた。
彼らの下へ急ぐ。
「村からの黄色の救難信号です! 盗賊に襲われているかもしれません」
「隊長をすぐに呼んできます」
若い騎士が慌てた様子で兵舎へ戻っていくと、次第に兵舎の周囲が慌ただしくなっていく。
すると、兵舎から怒号に似た声を荒げながら、一人の男がやってきた。
「二番隊はどこだ?」
「それが、彼らは食料調達のため、街にいないようでして……」
「チッ! またか」
鋭い眼光で若い騎士を睨みながらやってきた男。
彼は一番隊隊長の “イヴァン アルゾフ” 。騎士団長の息子で、この騎士団のドラゴン討伐を目標に掲げる隊の隊長をしている。
黒い短髪の髪をかき上げ、苛ついた表情をしていた。
私はこの男が苦手だ。昔から私への当たりがキツイ……気がしていた。でも、村の人を助けるために、この気だるそうな態度の男を急かさないといけない。
「急がないと、村の人々が!」
「なぜお前がここにいる? ……まぁ、いい。どうせ着いた頃には、いつものように盗賊は逃げているだろう。おい、そこの四人。お前たちが二番隊の代わりに村の偵察へ行って来い!」
イヴァンは苛ついた様子で、若い騎士に村への偵察を命令した。
不安そうな若い騎士。彼らは顔を見合わせてキョロキョロとしていた。
「……私も行きます! 怪我人がいるかもしれません」
「勝手にしろ。我々騎士団は何があっても知らん!」
冷たく言い放つイヴァン。彼の睨みが突き刺さり、体が萎縮していく。
やっぱりこの男が苦手。冷たい態度もそうだが、この突き刺すような鋭い視線が、身を抉られそうな感覚に陥ってしまう。
偉そうなのもムカつく。いや実際、偉いみたいだけど。もう少し言い方ってものがあるでしょ! 部下の騎士たちも怯えていますよ!
それでも、村のことを考えると体が勝手に動き出していた。聖女になった以上は最善を尽くさないと。
「急ぎましょう!」
不安そうな若い騎士を導くように、馬房へと急ぐ。
「ありがとうございます。聖女サキリス様が付いてきてくださって、心強いです」
「人々を護ることは聖女として、当然のことです。さぁ、早く行きましょう!」
偉そうに当然と言ったが、行くのを悩んでいたのは内緒である。
私だって人間だもん。気分が乗らない時もあるよね? けど、ちゃんと助けに行くから偉いよね? 褒めてくれたっていいのよ。
——早馬で三十分ほど。
村に到着すると、ひどい怪我をした村に住み込みで護衛をしている騎士と、不安そうな村の人々。
イヴァンの言う通り、すでに盗賊の姿はなかった。
我先に助けてと群がる村人を振り払い、重症の騎士の下へ駆け寄り、治癒魔法の詠唱を開始した。
「治癒の燈が苦しみからの解放をもたらす。
燦爛たる癒光—— ハイヒール」
騎士の負傷した腕は薄っすらと淡い緑の光に包まれ、血は止まり傷口が塞がっていく。痛みで歪んでいた騎士の表情も少しずつ和らいでいった。
しかし、街の結界魔法を徹夜で掛けていた体には、少々酷な魔力の消費。魔力が限界を迎えたのか、寒気に身が震えだして吐き気に襲われてしまう。
だが、そんなことはお構いなしに、村人は我先に怪我の治癒を求めてくる。
そして、また心が闇に引きずり込まれていく——。
もう無理です。限界です。胃ごと吐きそう。いや、本当に。ちょっと休ませてほしい。
その怪我は軽症ですよね。私のことを無料の治癒ポーションと勘違いしています?
それでも、盗賊に襲われた村人を無下にもできず。仕方なく、魔力回復ポーションに手を伸ばそうとした瞬間。
「キャーーー!」
村人の悲鳴が響き渡り、村に緊張をもたらす。
振り返ると、逃げたと思っていた盗賊がこちらに向かっていた。ぱっと見で十人はいそうな盗賊。彼らは金や銀、赤など派手な髪色をしており、威圧感を放っている。
若い騎士たちは剣を抜き盗賊に立ち向かう。だが、四人と負傷した村の護衛の騎士では、十人はいる盗賊には圧倒的に不利。村の人々も不安そうな声が漏れていた。
「少しは楽しませてくれよ!」
不敵に笑う盗賊たち。その姿はまるで狩りを楽しむかのようで。恐ろしさが増していく。盗賊とは対象的に、若い騎士の背中が小さく見えてしまう。
そして、若い騎士の無謀とも思える戦いが始まってしまった。
助けないといけない。でも、もう魔力は残っていないし。戦うこともできないし。どうせ私は戦いの役には立てないし。
助けに行かない言い訳ばかり考えてしまう。私は聖女なのに。聖女のはずなのに。
勇気のない自分が嫌になる。……ただ、見守ることしかできない。
予想とは反してまだ若手の騎士たちだは、思いの外健闘していた。決して優勢という訳では無い。
それでも、数的優位にかまけて余裕を見せていた盗賊が、徐々にその表情から笑顔が消えていく。
ドラゴンを倒すために日々鍛錬している騎士の前に、盗賊たちはうまく戦えていないように見えた。
「こいつがどうなってもいいのか? 武器を捨てな!」
盗賊の一人が村人を人質に取とって叫んだ。村に静寂が訪れ、次第に盗賊はニヤニヤとした笑いに変わっていく。
人質を確認した騎士は剣を地面に投げ捨てた。騎士は身ぐるみを剥がされ、武器や防具を奪われてしまう。
そして、さっきまでの恨みを晴らすように、騎士たちを痛めつけ始めた。
残虐な風景に人質になった老婆は黒髪を乱れさせながら抵抗し、劈く悲鳴が轟く。盗賊は黙らせるためか、老婆を殴りつけてしまった。
「聖女の私が人質を代わります」
「聖女? わざわざ人質になってくれるのか? こりゃいいな。こんな婆さんより役に立ちそうだ」
先程まで恐怖で硬直していた体が、気がつくと勝手に動いていた。だが、歩みを進める度に恐怖が増していく。
震える手を必死で抑えが、震えは治まってくれない。歩む歩幅も徐々に小さくなっていく。
人質の交代を申し出た後悔と恐怖が交差する。
この島から出てみたかった。自由に冒険してみたかった。
神様。助けてください。どうか、お願いします。私を、私たちをお救いください。
もう、神に祈ることしかできない。
その後悔と恐怖を隠すように、ローブのフードをさらに深く被った。
盗賊の下へ向かう足取りは鉛を繋がれているかのように重い。手の震えは激しさを増していく。
そして、盗賊の下にたどり着くと、深々と被ったフードを剥ぎ取られてしまった。
「白銀の髪!? まるで、 “エレスニヤ” の聖女様だな! この女は使い道がありそうだ」
盗賊たちはニヤニヤと気色悪く笑う。
そして、仲間であるはずの騎士や村人の冷たい視線が突き刺さる気がした。
彼らの視線が怖くて思わず俯いてしまう。
「助けてあげよっか?」
子どもの声がどこからともなく聞こえ、視線を上げる。
そこには一人の少年。村人が見守る最前列でこちらを見つめていた。
見たことない少年は、黄金の髪をなびかせながら、堂々とこちらに歩みを寄せてくる。来たらダメと声を上げたいが、恐怖で声も出せない。
まだ、十歳前後であろう少年の無謀な助けに、助けてほしい気持ちより心配が勝ってしまう。
でも、この少年が本当に助けてくれるとしたらと、淡い期待を寄せてしまう。
盗賊がフードを引っ張り、私を盾代わりにして少年に剣を向けた。
少年はニコッと笑い、手を掲げたその瞬間。
——青白い閃光。
稲妻のようなこの閃光が盗賊の顔の横を掠める。と、ほぼ同時に後ろにある木々が大きな音を立てて倒れていく音がした。
無詠唱魔法!? しかも、あの魔法はなに? この少年は何者なの? どうして私を助けてくれるの?
一瞬の出来事に理解が追いつかず、混乱してしまう。
魔法を使用する場合は、詠唱が必要と聞いていた。強力な魔法に比例して、詠唱も長くなると思っていた。
だが、目の前の少年は詠唱せずに、木々をなぎ倒すほどの魔法を放ったのである。
「次は当てちゃうよー」
少年は的あてでもしているくらいのテンションで、宣言。その飄々(ひょうひょう)とした佇まいに、冗談なのか真剣なのかがわからない。
ただ、これだけははっきりしていた。あの攻撃が当たればただでは済まないと。命の保証すらないと。
少年の強力な攻撃に恐れをなした盗賊は、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
突如現れたこの少年がこの村に平穏をもたらした。
助かった。怖かった。もうダメだと思った。
この少年が助けてくれなかったら、どうなっていたことか……。想像するのも恐ろしい。
この子はきっと神の使いに違いない。いや、この神々しい金髪は、神の子か天使なのかもしれない。
神様ありがとうございます。この御慈悲を一生忘れません。
「ワシは村長の“デニス”じゃ。村を代表して感謝を伝えたい。少年よ。本当にありがとう」
「ボクは “アレス ハザード” だよー」
村長の方へと歩みを寄せるアレス。そして、アレスは村長に手を差し出した。
村長はアレスの考えを察したかのように、手を差し出して握手をしようとしていた。だが、アレスはその手を払い除けた。
「違う違う! 報酬だよ! 報酬!」
「えっ!? ……じゃが、この村は盗賊に襲われたばかりで……。払う金など持ち合わせていなのじゃが……」
「はぁ。助け損かよ」
ため息をついたアレスは、明らかに不服そうな表情を浮かべていた。
周囲を見渡して金目の物を物色しているようだが、盗賊に襲われて荒れた村には何も残っていないようだ。
助けてもらったお礼ができない心苦しさからか、村には重苦しい空気が流れる。
神様には献金が必要ですよね? でも、神様の使いがこんなに欲深いのでしょうか?
いえ、疑っている訳ではないのですが……。本当に彼は神の使いなのですよね?
すねた表情を見せるアレスの方へ、私はフードを深く被り直して歩んでいった。
「助けて頂き、ありがとうございました。私はこの国で聖女をしている “サキリス”。こちらでよろしければ……」
グラシアからもらったペンダントをアレスに渡した。このペンダントは小さな宝石が埋め込まれており、小さいながらも太陽の光に反射してキラキラと輝きを放っている。
ペンダントを見たアレスの表情は一変。先程までのすねた表情から満面の笑みに変わった。
よかった。納得してくれた。神の使いを怒らせたとあっては、神の怒りを買うも同義。
きっと神様に感謝も届いたはずだよね。
でも、グラシアからもらった大切なペンダントが……。
先ほど盗賊相手に凄まじい攻撃をしていたとは思えないほど、子どもっぽく無邪気で嬉しそうな表情。この子どもらしい表情を見られたことで、思い出のペンダントを渡した後悔を少しは打ち消してくれた気がする。
その反応とともに、村に走っていた緊張が徐々に緩和していく。
そして、負傷した兵士に治癒魔法で治療を始めた。
「大地の恵みが痛みを和らげる。
小癒の雫—— ヒール」
もう限界の魔力。チビチビと魔力回復ポーションを飲みながら治療していく。
このくらいの怪我ならハイヒールの下位互換のヒールで我慢してほしい。
その心を見透かされたのか騎士もどこかよそよそしい気がする。
いや、あのことがバレちゃったせいか……。
先ほどまで治療を求めて群がっていた村人も、そそくさと家に帰っていた。
「さっきの盗賊たちはやっぱり賞金首のようだな」
「盗賊を全員捕まえたら、数年は遊んで暮らせそうな懸賞金をもらえるぞ」
手配書片手に冗談交じりに話す騎士たちの会話。盗賊はこの国により懸賞金が掛けられていると、以前に聞いたことがあった。
だが、騎士団でもなかなか捕まえられない盗賊たち。この懸賞金が支払われることは滅多にないとのことだった。
それほどの懸賞金を払うほど、盗賊団に手を焼いている証拠でもあった。
彼らの話に興味を示したアレスは、その賞金首の手配書を覗き込む。
「えっ!? こんなにもらえるの?」
目を輝かせて手配書に釘付けになるアレス。
「ちょっと、さっきの人たち捕まえてくる!」
「いや、もうどこに行ったかわからないだろ?」
盗賊を捕まえると急に走り出したアレス。それを止めようとした騎士だが、アレスの足の速さに追いつける気配もない。
手配書にはカラクリで撮られた写真と懸賞金の金額、 “生死問わず“(デッド オア アライブ) と書かれていた。
切り詰めた生活をしている身としては、あまりにも魅力的な金額。アレスが見た瞬間に走り出した気持ちも少しわかった。
こんなに払える懸賞金があるなら、少しはお給料増やしてくれたらいいのに。私だって街を護って偉いのに。
負傷した騎士の治療をしながら、心のなかで溢れる愚痴。残り少なくなった魔力回復ポーションと冷たい風が、心を荒ませていく——。
◇◇◇
アレスが盗賊を捕まえると、走り去ってから数十分。
騎士たちの治療を終えて、彼らは街に戻るらしい。
「本当に一人で帰るのですか?」
「えぇ。あの少年のことも気になりますし、魔力が枯渇してしまったので、少し休憩します」
心配した表情を見せる騎士たち。だが、彼らも戻らないときっと上官に怒られるであろうと、容易に想像できる。そんな彼らは私のことを心配してくれていながらも、街へと戻っていくしかない様子だった。
騎士たちが街へ戻ってさらに数十分ほど。アレスは嬉しそうな表情を浮かべながら村へと戻ってきた。
「捕まえてきたよー!」
アレスの嬉しそうな声とは対象的に、ところどころ赤黒く染まった服。
明らかに大怪我をしていそうな見た目。
慌てて彼の下へ走って行き、安心させようとそっと抱きしめた。
「大丈夫!? 今すぐ治療しないと! 大丈夫、今すぐ治してあげるからね」
「大丈夫だよー。返り血だから」
……返り血? 確かに服は赤く汚れているが、確かに怪我をしている様子はない。
怪我をしてなくてよかった。盗賊の姿もないし、きっと驚かそうとしたのね。
あぁ。びっくりした。驚かせるのが成功したから、ニコニコ笑っているだけよね。
でも、返り血ってことは——。
アレスは私から距離を取ると、手を地面に向けかざす。すると、赤黒く染まった麻袋が放り出された。
鈍い嫌な音。血なまぐさい鉄の香り。近くを歩いていた村人の悲鳴が轟く。
どこから出したの? 収納魔法? でも、収納魔法って珍しい高度な魔法じゃなかった? ってか、この麻袋はなに? まさか、盗賊が……?
村の守衛の騎士が麻袋を確認して、腰を抜かす。何事かと近寄ってきた村人たちも逃げるように家へと帰っていく。
アレスは今か今かと、守衛の騎士に向かって手を伸ばし、報酬を待ち望んでいた。子どもらしいワクワクした表情が、余計に恐ろしさを増す。
「……ま、街に行かないと懸賞金が払えない。しかし、俺はこの村の守衛なので、街に行くことができない……です」
村の護衛の騎士の言葉により、アレスはムスッと怒りって騎士を睨んでいる。
焦った騎士は引きつった表情で、こちらにチラチラと視線を送ってくる。きっと彼は私にアレスを街まで送らせたいのであろう。
「……一緒に街に行きますか?」
正直なところ、得体のしれない少年に恐怖心がなかったわけではない。だが、アレスの怒りを買わないようにするにはこれしかないと思った。
そして、アレスとともに馬に乗って帰ることに。
「この生き物は “馬” っていうんだね! 初めてみたよー」
アレスの子どものようにはしゃぐ姿に、思わず先程の恐怖心を忘れそうになる。
私もグラシアとともに初めて馬に乗った時は、はしゃいでいたのを覚えている。そう思うとアレスもまだ、ただの子どもなのかもしれないと、感じた。
二人で馬に乗り、ゆっくりと街へ向かう。アレスが落ちないように、後ろから彼を包み込むようにして手綱を握る。
「さきほどの魔法は “収納魔法” ですか?」
「まぁそんな感じ? 生き物が入れられないのが、不便だけどねー」
「そうなのですね。若いのにすごいですね!」
ずっと馬を撫で続けているアレス。馬のことがかなり気に入ったようだ。後ろ姿からウキウキしている感じが伝わってくる。
「馬のことが気に入りました?」
「すごく気に入った! すごく賢くて、とっても可愛いね」
「街には色々な馬がいますよ」
「いいねー! 見に行ってみたい!」
他愛のない会話。振り向いてこちらを見たアレス。キラキラと輝く彼の金色の瞳。ワクワクした雰囲気が全身から滲み出ていた。
子どもらしさが、アレスに対する恐怖心を和らげていく。
この子はただ、強力な力を持って生まれてしまっただけで、心は綺麗な子どもかも知れない。強力な力を持て余してしまっているだけかも知れない。
思わずアレスに恐怖を抱いたことを恥じてしまう。
「それにしても、盗賊の場所がよくわかりましたね?」
「あぁ。彼らとは一週間前くらいから一緒に過ごしていたからねー」
先程までの和やかな空気が一変。冷たい空気が体中の血の気と熱を奪っていく。
彼の一言で再び恐怖へと引きずりこまれてしまう。
この少年は何者なのか? この少年を街へ連れて行っていいのか?
恐怖と不安が全身を駆け抜け、馬が激しく震える手を走る合図と勘違い。急に走り出した馬の足音と、アレスの楽しそうで無邪気な笑い声が凍てつく大地に響く——。
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