その12
小紫かおる。長身で、なで肩で、甘くてやわらかいビロードのような声を持つこの男が、樫山ヤスコの亡父・昭仁の部下を装い彼女に接近、昭仁の遺した記録や品物から何かしらを探ろうとしていることはこれまで書いて来た通りであるし、また、はっきり明言まではしていないものの、彼が祝部優太の部下あるいは協力者のような立場であることも、これまで折に触れ書いて来たとおりである。そう。そうしてまた、
『ヤスコ先生と石橋って行政書士の電話で出て来たんですよ』
と、彼にヤスコの電話を盗聴するよう指示していたのも優太であった。もちろん、会社・組織の利益に資するようであれば、それ以上のことも彼はかおるに指示するであろうが。彼は訊いた。
「しかし、“ミスター”だけでは分からんよ、ミスター・“だれ”なんだ?」
『“ミスター”だけですよ』かおるは答えた。『ただの“ミスター”』
「ただの“ミスター”?」
『ヤスコ先生は“ミスター”って呼び捨てで、行政書士の方は“ミスターさん”って“さん”付けでしたけど、だからてっきり何かの暗号? コードネーム? かと想って、祝部さんなら何か知っているかと』
「ただの“ミスター”?」――イギリスのテレビドラマじゃあるまいし。優太はつぶやき考えたが結局、「いや、分からないな、その男がどうかしたのか?」
『どうやら彼らの、共通の知り合いらしいんですが――』
かおるは続けた。ヤスコと伊礼の電話の内容を、ここ最近ヤスコと会って話した内容ともからめながら。ただしもちろん、例の橋の上でヤスコとミスターが会っていたことは――あの場の時間が止まっていたこともあり――ヤスコのスマホの位置情報を常時確認出来る彼にすら、推測することは難しかったのだが。
「世界を救う?」優太は訊き返した。いきおい鼻で笑いそうになったがそれは抑えて、「女子高生を救って?」
『姪御さんですね』かおるは答えた。優太が笑いをこらえているのが分かったのだろう、『ヤスコ先生の――ちょっと、笑わないで下さいよ』
「いや、すまない。笑うつもりはないんだが――」
『こっちも聴いた通りを話しているだけなんですからね』
「信じてるのか?」
『信じちゃいませんけどね』とかおるは答えた。それでも少し戸惑い気味に、『それでもふたり、普通に、まじめなトーンで話してましたし、ヤスコ先生もウソや冗談が苦手な人ですしね』
「ふーん?」優太はつぶやき、少し考えてから、「樫山さんの姪御さんってのは?」と訊いた。いつの間にかかおるが彼女のことを“ヤスコ先生”と呼んでいるのをおかしく感じながら、意地悪の意味も含めて、「あとその石橋ってのは恋人か何かか? 樫山さんの」
『ちがいますよ』かおるは否定した。自分の声の強さにすこし驚いて、『そいつ、男の恋人いますしね』いつものトーンに戻しながら、『あと、戸籍の関係も調べ直しましたが、“樫山先生”に姪御さんはいません』
「ふーん?」ふたたび優太はつぶやいた。なにやら色々興味深いが……、まあ、しばらくは様子見でいいか。「あとその、山岸って女性は? 樫山さんとの関係というか」
『カフェで一度会ったかも知れないとは言ってましたが、こちらも戸籍を調べたところ、ふたりに血縁関係はないですね』
「そっちの女性に姪御さんは?」
『こっちにひとり、千葉にふたりいますが、こっちの子は幼稚園で、千葉のはふたりとも小学生です』
「高校生の姪はいない?」
『はい』
「ふむ」みたび優太はつぶやくと、何故か一瞬、ひかりの顔が頭を過ぎったが、「他になにか特徴みたいなものは? その女子高生の」
『うーん?』とかおるはうなり、『笑わないで下さいよ』と言って優太に釘をさした。『特徴って言うか、ドレスを着てるそうです』
「ドレス?」
『俺も詳しくは知りませんけどね、『ロミオとジュリエット』。あれのジュリエットの格好をしてるそうですよ、その子』
*
学校の宿題はとっくに終わっていたのでアーサー・ウォーカーは、家にある時計やリモコンやDVDプレーヤーなんかをばらしては組み立てるという遊びをくり返していた。ひとりっきりのリビングで。テレビはつまらなかったし、ゲームはおばさんが家にいる時じゃないとやっちゃいけなかったし、こんな遊びはおばさんが家にいない時じゃないと出来なかったからだ。が、とは言っても、家にあるのは簡易なドライバーセットだけなので、基盤を更にバラしたり、ハンダで線をつなげ直したり、電気や電波の受信状況を確認した上で信号を乱したりは出来なかったわけだけど。
「あーあ」と彼は伸びをし、伸びをしたことでより退屈さを感じると、伯父のペトロと伯母のマリサにはやく帰って来て欲しいなと想いつつ、「ふたりは一体、なにを隠しているのだろう?」みたいなことも同時に考えていた。
おじさんが借金をしていたことは知ってるし、そのことでおばさんが悪い女の人となにか取り引きをしたことも知っている。けれど、彼らがいまそれを隠し、その糸口を探しに出かけているものは、そういうのとはまた全然べつの事柄なんだろうな、とアーサー・ウォーカーは考えていた。おじさんが戻って来てくれてとても嬉しいし、出来ればもう二度と、家族がばらばらになるのはイヤだったし、その為になら自分も彼らの役に立つのになあ、と。
「はやく帰って来ないかなあ」彼はつぶやくと、背中を伸ばしたことで目にはいった天井のLEDライトをしばらく眺めていた。
それから、しばらくすると彼は、少し首をかしげ、続けて視線を下に落とすと、先ずはリビング中央にあるテレビを、それから彼のいるソファの後ろのライトのスイッチに目をやった。左手をスイッチの方に、右手を天井ライトの方に向けた。と突然、
パチッ。と天井のLEDライトが点いた。
「うん」とそうしてアーサーはつぶやいた。満足そうに、「今日も安全・安心ですね」と。
そう。実は彼にも能力があった。伯父や伯母のものとは違うし、伯母がまだ気付けていないものとも違ったし、それにまだまだ全然弱かったので、彼らの役に立てるとは想えなかったけれども、それでも、
「それでも」そうつぶやくとアーサー・ウォーカーは、今度はその右手をテレビの方へ、その左手を先ほどバラして組み立て直したリモコンの方へと向けた。バラしたことで仕組みと理屈は分かった。彼の理解が確かなら、これでテレビは――がここで。
カチャ。と玄関扉の開く音が聞こえ、
「おじさん! おばさん!」と彼はそちらに飛び出していた。「必要な書類を取りに行く」と彼らのレストランへ行っていたペトロ・コスタとマリサ・コスタが帰って来たのである。
*
三人で夕食を囲みながらアーサー・ウォーカーは絶好調だった。
伯父のペトロがもどって来たことがよほど嬉しかったのだろう、今日学校で起きたことはもちろん、彼がいなかった間に起きたこと、彼が見たこと聞いたこと、考えたことすべてを、彼に教えようとでもするかのようであった。クラスの誰それが野球でズルをしただとか、知らないネコと友だちになっただとか、ペトロがどうしてもクリア出来なかったゲームを自分はクリアしたのだとか、そんなどうでもいいようなことを、あれこれ。
すると、それらのエピソードにいちいちペトロは答え、わらい、うなずき、
「そうか。さすがは俺の甥っ子だ」と言ってはアーサーをよろこばせたが、そんな調子のふたりの食事はいっこう進まず、
「ちょっとふたりとも」と、とうとうマリサを怒らせることにもなった。「食べるか喋るかどっちかにして」食事が冷めるし、「ペトロと私は、まだ話すことがあるんだから」と。
そう。と云うのも、そもそもふたりがレストランへ行ったのは、彼らに現われた奇妙な能力、それの手掛かりとなるものがあのレストランに――初めてマリサがひとを、天台の手下たちをどこかに消してしまったあの現場に――もどれば見付かるのでは? と想ったからだったのだが、それも結局、
「それも結局」と彼女は想い出す。「なにも分からなかったし見付からなかったし、それに――」
それに“あれ”も、ひょっとしたら自分の能力のせいではないか? とマリサは想い悩み始めていたのであった。
そう。それは、見知らぬ女の子、きっと事情もなにもよく分かっていないであろうあの女の子が、突然あそこに現れ、また何処かへ飛ばされてしまったのも、実は彼女が《結界》を出した、ペトロを呼び戻してしまった、その余波なのではないか? と、そうマリサ・コスタは悩み始めていたのである。
「だとしたら大変なことじゃない?」マリサは想った。口には出さず、「あの女の子、どこに行っちゃったのかしら?」
(続く)




