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その11


 承前。


「なに?」祝部ひかりが訊き返し、


「なんでもないわ」と先名かすみはこう答えた。「はやく戻りましょう。学校」


 そうして彼女たちは戻って行った。文化祭の劇の準備に。ひかりの手を取り歩くかすみのうしろ姿に清水朱央は、嫉妬を抱く、ということもなく、ただただ代わりに、「どこかで会ったような気がするな」と想うだけであった。「彼女になら、ひかりを任せても大丈夫かも知れない」とも。もちろん彼にその理由は分からなかったが。ただ、それでも、彼女がひかりを心から慕っていること、態度は硬いが彼女を傷付けるようなことだけは決してしないであろうことが、言わば同類でもある彼には直覚出来たからである。とここで、


「ねえねえ、いいの? 朱央くん」と彼の背後で小林乙葉が訊いた。「ふたりで行かせちゃって?」


 こちらはこちらで、彼らに何を期待しているのかよく分からな――あ、いや、私はハッキリ分かりますよ、乙葉さん――分からないが、それでも、ウッキウキのワックワクで事情を聴取したがっている彼女は、流石の朱央にももう既にかなりうっとうしかった。うっとうしかったが、


「まだよく分かんないんですって」と彼は肩をすくめて応えるだけでもあった。「整理が付いたら、また話してくれるんだそうです」


「ふーん」


 それから朱央は、書店の店先で、このまま帰るか中に入るかしばらく迷っていたのだが、


「あ、」とひと声つぶやくとスマートフォンを取り出し、「言い忘れてた」と続けてひかりにメッセージを打った。そうして――、


     *


 ぶぶっ。


 とそれからすぐに彼女のスマートフォンは鳴った。


「彼氏?」とかすみは質問したが、


「だーかーらー」とひかりがそれを否定し、


「はいはいはい」とかすみはそれを受け流した。「で? なんだって?」


「かすみちゃんによろしくって」


「ふん」


「それから、“文化祭がんばって”って」


「ふーん」


「“ふたりの舞台、楽しみに……って、あー」


「なに?」


「朱央の中で確定しちゃった。私が舞台に立つの」


「ふーん」かすみが笑った。「それはもちろん、立ってもらうわよ」


「えー、でも他にもさー」


「いいじゃない」ふたたびかすみは笑った。今度はちょっと、意地悪そうに、「見せつけてやりましょうよ、私たちのロミオとジュリエットを、ひかりちゃんの彼氏に」


「だーかーらー」ふたたびひかりはそれを否定し、


「はいはいはい」とふたたびかすみはそれを受け流した。


 彼女たちの手は、いまはもうすっかり離されており、この学校までの帰路も、かすみがひかりを引っ張っていくというよりは、久方ぶりに再会した姉弟あるいは友人が、ふたり仲よく横並びで、夜の散歩でも楽しんでいるかのようであった。清水朱央のメッセージにはひき続き、文化祭には必ず行くことと、今日ひかりが話したかった件については、話せるようになったらいつでも話して欲しいとの旨が書き込まれてあった。そうして、後者のメッセージを読むなりひかりは、


「あっ」と不意に、例の《窓》――今回の発端のひとつ、内海祥平を“ジャンプ”させ、彼の記憶の一部をうばったあの光の集合体――その向こうに垣間見たひとつのイメージを想い出していた。


「おとうさん?」とひかりはつい口に出しそうになったが、となりのかすみに気付かれぬようすぐに口を閉じた。「おかあさん?」と続けてこころの中だけでそうつぶやいた。


 それは、ちいさな赤ん坊を抱いた、若い男女のイメージであった。あり得ないとは想いながらも彼女は、妙な確信を持ってしまった。


 そう。それは、優太や守希ではない彼女の実父母、いまだ会ったこともなければ写真の類も見せて貰ったことのない、彼女を産んでくれた実の父母――と彼女が確信を持ってしまう――そんな男女のイメージであった。


     *


 さて。


 例えばいま私は、東石神井台に住んでいるのだが、これは自ら選び取ったというよりは、そこで生まれ育ち、また家の事情などもあって、そこで暮らし続けている感じである。


 であるがしかし、例えば私のある男の友人などは、高校卒業を機にこの町を離れ、先ずは大阪、次には博多、更には石川、中国の雲南省や韓国の済州島などでも暮らした後、いまでは結局、大分県のやたらと坂の多い町で暮らしている。いるのだが、これらは結局、彼曰く、彼自らが選び取ったものなのだそうである――「ラーメンが旨かったから」とかなんとか、分かるような分からないような理由で。


 そう。そうして例えば、祝部ひかりの養父、優太の場合であれば、彼は、私のような惰性的無計画でも、私の友人のような自発的無計画でもなく、彼の勤める会社・組織の都合・指示により、住む家も街も時には国さえも決められていたようである。幸い、この国を離れるようなことは今までなかったけれど、それでも言われれば、明日にでもここを離れることにはなるそうなのだが。


「両親?」と彼、祝部優太は訊き返していた。あまりに突然のことに、メガネの位置をあわてて直しながら、「両親って、実の?」


「ごめんね、突然」彼の娘――義理の娘、祝部ひかりは言った。「でも、前に言ってたでしょ?“もし私が知りたくなったら――」


「“もしお前が知りたくなったら、」娘の言葉を受けて優太は応えた。「お前を紹介してくれた団体に調べて貰える”」と。それでも彼女の視線から顔をそむけながら、「確かにその通りだがな」それがウソだと知りながら、「いったいどうしたんだ? 急に」


 ここは、彼らが住む――住むようにと優太が言われている――彼らの家のリビング。文化祭の準備で遅くなったひかりと、珍しく早く帰った優太が、ともに夕食を取り、その後ふたりで、暗いテレビのニュースを聞いていたところであった。


「急にってわけじゃないんだけど」ひかりは応えた。社会の授業でどうだとか、前に見た映画がああだとか、あまり理由にならないような理由を、ぺらぺらぺらと並べたてながら。


「うーん」優太は想い出していた。口には出さなかったが、こんな風に彼女が多弁になるとき、そこにはいつも、大小さまざまなウソが隠されていたことを。優太のアイスを隠れて食べたとか、母親とケンカして三時間ばかり家出していたとか。


「それにほら、」ひかりが言った。これもいま想い付いたのだろう、「遺伝性の病気やなにかあったらさ――」


「分かったよ」優太は応えた。「遺伝性疾患の検査なら、うちの会社でも出来るがな」


「え?」ひかりは訊き返した。すこし困った声で、「そうなの?」


「部署は違うがな」優太は言った。「ま、それでも」ひかりの声に引っ掛かりをおぼえながらも、「他にも色々知りたいんだろう? 調べて貰おう。お前を紹介してくれた団体にな」


「いいの?」


「約束だったしな」


「ありがとう! お父さん」


 ひかりは喜ぶと、そのまま優太に抱き付こうとした。が、ここで、


 ブブッ。


 と優太のスマートフォンが鳴り、それを止めた。


「っと、すまない」優太が言った。メールを確認しつつ立ち上がり、「仕事のメールだ。電話して来るよ」


 それから彼は、そのままリビングを出て行こうとしたのだが、去り際ひかりに、「ちなみに」とこう伝えた。


「ちなみに。お前のDNAもお母さんのDNAも、既にうちの会社で検査してもらってるんだがな、健康診断のついでに」


「え?」とひかりが声をあげ、


「ふたりとも」それでも優太は続けて言った。「ふたりとも遺伝性疾患の可能性はゼロ。その他もろもろ健康そのもの」それからすこしほほ笑んで、「おかげで同情されたよ、お医者さまに。『殺してもすぐには死なないタイプですよ、娘さんも奥さんも』って」


 もちろん。この検査や健康診断も、優太の会社・組織が、彼はもちろん、彼の妻や娘の心身の状態を知るため、もっと言えば、ひかりに何かしら能力の徴候が見られないかを探るために実施させているものであった。


「もしもし?」書斎へと戻りながら優太は電話をかけた。先ほどのメールの相手・小紫かおるに、「どうした? いったいなんの話だ、“ミスター”ってのは」



(続く)

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