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その8


「山岸さん?」と樫山ヤスコは答えていた。電話向こうの石橋伊礼に対して、「いいえ、多分、存じ上げませんが」と。それでもどこかで聞いたような名だとは想いながら、「その方がどうかされたんですか?」


『ええ、実はそれが――』伊礼も答えた。山岸まひろから聞いた内容を、例の赤毛エイリアンに出くわしたところから始めて、そのまま。すると――、


「え? あのバカが?」話の途中でヤスコは言った。ほとんど保護者感覚で、「またバカなことして他の方にもご迷惑おかけしてるんですか? あのバカ」


『まあ、まだミスターさんだと確定したわけでもありませんが』伊礼は言った。「あのバカ」発言を否定するでもなく、『見た目と話し方と現われ方から想像するに――』


「いや、もう、それ、あいつしかいませんよ、そんな奇妙で図々しいやつ」


『ですよねえ?』


「ってか、あいつ、今度はどんなご迷惑を?」


 一応補足しておくと、件の赤毛エイリアンも別に好き好んで他人様にご迷惑をお掛けしているわけでもなく、世界や宇宙や練馬区の平和を守るため致し方なく一般人を巻き込んでは成層圏から一緒にジャンプしたり、爆弾解体をお願いしたり、ロウソクの火を消さないよう高い橋の上でひと晩過ごして頂いたりしているだけであって、それはヤスコも伊礼も十分承知はしているのだが、


「まさか魂をチップに変えられたりしていないですよね? そのひと」


 とヤスコも言うとおり、あまりにもあまりなお願いや巻き込まれ案件が多く、ついつい「あのバカ」「ご迷惑を」等の言葉が出てしまうのであった――伊礼は答えた。


『あ、はい。流石に今回は、そこまでではないようですが』と。自分はそこまでひどい目には会ってないなあ、ヤスコ先生も大変だなあ、とかなんとか想いつつ、『樫山先生絡みで、どうしても気になる点がひとつ』


「え?」ヤスコは訊き返した。「わたし? なんで?」


『それがどうも、その山岸さん、山岸まひろさんの姪御さんを救うことが、世界を救うことにつながるのだと、ミスターさんは、そう言われたそうなんですが――』


「え?」ふたたびヤスコは訊き返した。「いえ、でもそれは……、この前お話したとおり、私の姪だって言ってましたよ、あのバカ、救わなくちゃいけないのは」


『ええ、はい、ですから、ミスターさんの勘ちがいか、それともおふたりの間に共通の姪御さんでもおられるのかと』


「いえ、うちの弟に子どもはいませんし、親戚にも山岸なんてひとは……? その方はなんて?」


『あ、いえ、あちらから先生のお名前が出たわけではないんです。ですので、こちらから先生のお名前を出すのもおかしいと言うか、不用心なので――』


「うん?」とヤスコはつぶやいた。すこし、奇妙な違和感を覚えながら、「どんな方なんですか? その方。その、山岸まひろさんて」


『あ、はい』伊礼は答えた。先ほど会った山岸まひろの見た目や印象、それらを出来得る限り正確に、彼が夢で見たと感じた、彼女とヤスコのつながりのようなもの、それに奇妙な碧い首飾りのことを、話すかどうか迷いながら。すると、


「え? じゃあ、女性の方なんですか? その方?」話の途中でヤスコが訊いた。


『え? あ、はい』戸惑いながら伊礼は応えた。『とても端正な顔立ちをされていて、最初は私も男性かと想ったのですが――』


 そうしてヤスコは想い出した。奇妙な碧い首飾りや、伊礼が見た夢の話を聞く前に、


「あ、ひょっとして」と。山岸まひろと会った時の記憶を、「いちどカフェで相席になった方かも知れません」と、もちろんその一部でしかなかったが、「たしか、そんなお名前の方だったような……」そうして――、


     *


 とここで突然、場面と登場人物は変わる。どこに? 久方ぶりの『ウィリアム書店』に。だれに? 取り敢えずは、ここの女主人・小林乙葉に。


 そう。


 小林乙葉は、この書店の若く美貌な女主人で(自己申告)、いつでも優雅に微笑んでは(セルフイメージ)、お気に入りの文学を読んだり(お耽美系多し)、日々訪れるお客さまのご質問やご要望、ご相談に乗ったりしては、それら質問・要望・ご相談なんかに精緻かつ的確かつ出前迅速的にお応えしたりしていた(希望的且つ遂行的言明)。


 いたのだが、この日この時の彼女と言えば、いつものレジには座っておらず、せまい書店の東側隅、いちばん陰の多い場所に身をひそめては目をつむって耳をそばだて、お世辞にも美貌とは言い難いそのメガネ顔を更に美貌とは言い難いメガネ顔にしていたわけだし、


「あ、ねえ、乙葉さん。この前お願いした竹内好の評論集なんだけど」と彼女に質問・要望・相談に来た常連のお客さまに対しても、


「しーっ! 今いい所なんですから! むこう行ってて下さいよ! しっしっしっ!」と両手で追っ払うようなことをしていたりもした。


 なんともはや、いつもの『ウィリアム書店』ならばまずお目にかかることのない風景であるが、まずお目にかかることのないと言えば、この日この時この場所には、いつものこの書店であれば、まずお目にかかれないタイプの美少女が何故か来店しており、そのことが、いつもクールで知的でスタイル抜群な女主人(妄想)を、いつもとはちがう行動に駆り立てていたのであった。


 そう。


 その少女の身体は上品に細く、一瞬少年かと乙葉に想わせるところもあったが、それでもきっとおろしたてであろう夏色の制服と、その下にある控えめな起伏、それに柔らかな桃を想わせる飾り気のない頬や、ゆるやかに結ばれた黒檀色のうつくしい髪などは、彼女がれっきとした少女――子供時代は過ぎたが女になるにはまだいくつかの段階が必要であろう少女――であることを周囲にハッキリと示していた――と、やたらと装飾過多な人物描写を作者にさせてしまうほどにこの美少女は、ここ『ウィリアム書店』には似つかわしくないタイプの美少女であったし、また、彼女がここに足を踏み入れたであろう理由も、この書店に似つかわしくないタイプの――あ、いや、ここに積まれた書籍の中でなら時折り見掛けるタイプの理由なのだけれど――ものであった。


 そう。


 この問題の美少女とは、既にお気づきの方も居られるかも知れないが、ある時は麗しきジュリエット姫を、またある時は恋に焦がれる青年ロミオを演じ分ける、すらりと凛々しき先名かすみ嬢であった。彼女は言う。彼女の前に立つ、この書店によく似合うタイプの美少――はちょっと言い過ぎだな――少女・祝部ひかりに向かって、


「探したわよ、祝部さん。はやく学校に戻りましょう」と。


 そうして、それから彼女は今度は、ひかりの横に立つ美少――とは言えなくもないが、そこは好みが分かれるんじゃないかなあ――な少年・清水朱央に向かって、


「あなた? 問題の祝部さんの彼氏って」と明らかな敵意を向けながら言った。「悪いけど私たち、文化祭の練習があるのよね」と。


 すると、このいきなりの彼氏発言に清水朱央は突然フリーズ。耳まで赤く動けなくなるのだが、そんな彼など構わぬ様子でかすみは続ける。


「さ、行きましょ、祝部さん」と、なかば強引にひかりの手を取り、彼女を書店から連れ出そうとしながら、「デートなら、文化祭が終わってから、いくらでもして」


「え? ちょ、ちょっと待ってよ、かすみちゃん」ひかりは答えた。


 こちらはこちらで首もとまで赤くなり掛けているが、それがかすみの彼氏発言のせいなのか、それともかすみに強く手を握られたせいなのかは、当人にも判断が付かない様子であった。かすみは続けた。


「いいから、一緒に来て」とひかりをそちらに引き寄せながら、「内海くんがアレじゃあ、私たちでどうにかするしかないでしょ、舞台」そうして――、


     *


「あー、もー、萌える~~~」とここの女主人・小林乙葉は悶えていた。声には出さず、無言で、本棚の陰に隠れたまま、「まさか、まさかの百合展開? あのひかりちゃんが?!」


 と、朱央とひかりの淡い初恋を応援していた頃のピュアなハートを忘れつつ、


「だってー、こっちの方がー、断然萌えるじゃーん」


 と、オタク気質全開な感じで。


 しかもまさか、文字数の関係でここで本日更新分が終わるとは想いもしない様子で。



(続く)

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