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その7


 樫山ヤスコは、まったく売れないとは言っても一応小説家なので、それなりに大きな本棚を持っていたし、そこにはそれなりに多くの、役に立ったり立たなかったりする書物が、そこそこそれなりに並んでいたりもした。


 ここで言う「役に立つ書物」とは、端的に辞書やら辞典やら、無学・無教養な彼女のために、そんな無学・無教養な部分を穴埋めしてくれる大変有益な書物のことであったし、または、子どもの頃から大好きで大好きで大好きで何度も何度も何度も何度も読み返してはボッロボロになってしまった文学作品やらマンガ作品やらのことだったり、またあるいは、大人になって、というか小説家になってから読んでしまって、「うっわ、世の中化け物だらけじゃん……」とそのまま拙くほっっっそい筆を折りたくなるほどの、頭をガツンッと殴ってくれるような、と同時に、彼女のよっわいハートを奮い立たせてくれるような、そんな神話や論文、史書や随筆、大河小説等々など、偉大なる先賢たちが遺してくれた書物のことなどを言い、また、これらとは別に、「役に立たない書物」と云うのは……って、あ、いや、ちょっと待って。やっぱなんか、こう言うのってやっぱなんかちょっとちがうな、うん。だって、そもそもこういう「役に立つ/立たない」っていうのは時と場合によって変わって来るわけだし、なんならその「役に立つ/立たない」ってのは、書物そのものの問題と言うよりは、我々読み手側――今のケースだと樫山ヤスコさん――の問題であるんじゃないか知らん?


 そう。創作者たるもの、どんな最低最悪の本、ちょっと流し読みするだけでも苦痛を感じてしまいそうな本からでも、そこから何かしらの役に立つこと――それは例えば、床に落とした時の音がよかったとかでもいいのだけれど――を見出さなければいけないのだ! と、きっと例の化け物、カトリーヌ・ド・猪熊あたりならば言うだろうし、そういう意味では、本日現在の樫山ヤスコにとって、先ほど挙げた「役に立つ書物」らも、今はほぼほぼ「役に立たない」書物に変じてしまっているのかも知れなかった。


 と言うのも、本日現在の彼女の頭は、面倒な考えごとで一杯だったし、その上混乱もしていたからである。突然の父の死や、彼の形見、それにまつわる奇妙な人やら出来事やら、それだけでも結構ハードボイルド・ワンダーランドなのに、それに加えて、そこに現われたのが、あの、いつも話を複雑にするだけしてまた何処かへプイッと消えてしまう赤毛のエイリアンだったワケで――、


     *


「本当にこれ、ちゃんと回収出来るんでしょうね?」とここで突然ヤスコは言った。このお話の作者に向かって。いっつも伏線張るだけ張って、いっつも最後に死にそうな目に合っているこの私に向かって、「っていうかオチは? いつぞやみたいに、「実はまったくノープランでした!」みたいなことになったりしないでしょうね? これ」と。なので作者も――、


 え? ええ、まあ、一応オチはちゃんと考えていますし、今回はちゃんと、簡単ながらもプロットなんてものまで作って書き始めていますんで、なんとか最後までいけるかとは想いますよ、多分――と答えるのだが、


「ホントかなあ?」とヤスコはまだ疑いの眼差しである。


 ま、まあ、すでにいくつか、ほころびが見えて来ている箇所もありますが、それはそれ、なんとか力技でカバー出来る範囲のほころびなんで、あとは時間と忍耐をかけてやれば流石の僕でも――って、ちょい待ち。すみません、ヤスコ先生。


「なに?」


 いつものことなんでついついこっちも返事しちゃいましたけど、あんま勝手に『第四の壁』を突破しないで貰えます? 曲がりなりにもメインの登場人物のおひとりなので、あなた、この物語の。


「え? あ、そっか、ごめん、ごめん。ついつい創作者のくせが出ちゃって……。そっか、今回は登場人物としての役割がメインなのよね、わたし」


 うん。まあ、仕方ないっちゃ仕方ないかも知れませんけどね、周囲でこんだけ色々起きてたら、先生の能力もそれらの刺激を受けて――って、ごめんなさい、ヤスコ先生。


「なに?」


 やっぱササッと切り上げましょう、このくだり。なんか話してるだけで色々ネタバレしそうになりますし、そもそも本編進まないですし。


「あ、そう、そうよね、ついつい」


 僕は僕で、これ以外にも色々締め切り抱えていますし、先生も先生でいろいろ溜まって……ますよね? 締切。


「うっ……、いやなこと想い出させるわね、一応おなじ自分なのに」


 私生活と物語のせいでテンヤワンヤなのは分かりますけど、あんまりお仕事溜め込んでると、また編集の坪井くん辺りから――、


     *


 ブー、ブー、ブー、ブー、

 ブー、ブー、ブー、ブー。


 とここで突然、ヤスコのスマートフォンが鳴り、ふたりの会話を止めた。というか、ヤスコを彼女の現実の方へと引き戻した。


「やっべ、南子ちゃんかな?」彼女はつぶやうくと、先ほどの作者の言葉から勝手に相手を想像、ビビると同時に、瞬時に、想い付く限りの言いわけを考え始めたのだが――「あれ?」


 カチャ。


「はい、もしもし? 樫山ですが」電話の相手は、彼女が知る中でも一番まともで怖くもないほぼほぼ唯一の男性だった。「どうかされましたか? 石橋さん」そうして――、


     *


「消えた? その男が?」


「ええ。今日のあなたと反対にね。私の前から、不意に、ひゅっ。て感じで」


 ペトロとマリサ、夫婦の会話は続いていた。


「それは……、お前がやったってことか?」ペトロは訊いた。「今日の……、俺を呼び戻したのも?」


「たぶんね」マリサは答えた。あまりにも奇妙過ぎて自分でも信じられないが、「“あれ”はきっと、私の考え? 意識? なんかと関係してる」


「“あれ”?」


「ひかるヒモ? 糸? みたいななにか」


 それが今日、ペトロをマリサのところに連れ戻したのは確かだろうし、またその直前に彼女は、そのヒモのような糸のような《結界》が、まるで彼女の動きや感情に合わせるようにひかり、うねり、ゆらいでいたのも見ているのだと。


「前の二回では、そんなこと気付きもしなかったんだけど」とマリサ。話を続けようとして、「それでも今日はハッキリと――」


「“前の二回”?」とここでペトロに、それを止められることになる。「ホテルの男以外にもあったのか?」


「あ、」とここで彼女はつぶやき、それこそまるで、いま記憶を取り戻したかのように、山岸富士夫の件より以前、天台の手下数名に襲われ記憶を失くし、気付いたときにはそいつらが消えていたことをも話した。但し、鏡の向こうの自分のことや、大量のお金や宝石、それに例の男が遺した金歯のことなどは隠したままで。


「うーん?」とペトロは首を傾げ、膝の上でぐっすり眠るアーサー・ウォーカーにマクラを当ててやった。それから、「俺はてっきり」そう言って彼から離れると、「アレも俺のなにかなんだと想ってた」


 マリサにはまだ話していないが、ペトロの方にも奇妙な力は現われ始めていた。そのため彼は、今回マリサにこの地に呼び戻された時も、てっきり自身の無意識がなんらかの力を使ったものだと想っていたのだが……あ、いや、待てよ? とここでペトロは考える。


「だったら、俺の目の前で消えた男たちはなんだったんだ?」と。


 マリサの力が彼の窮地を知り、無意識にヤツらを飛ばしたのか? 何十kmも離れていたのに?


「もしくは」とここでマリサ。「もしくは、私とあなたで、同じ能力に目覚めたとか?」と、“同じ能力”のところで、すこし噴き出しそうになったが、「なに? このマンガみたいな展開」


「うーん?」ペトロはうなった。こちらは真剣な表情のまま、「まさか天台は?」と真実にすこし近付きかけたが、「あ、いや」と彼が持っているもうひとつの力のことを想い出しながら、「なあ、おい、マリサ」と意識を、今度は自身のレストランの方へと戻すことにした。「もう一度、店にもどってみないか?」


 問題のチンピラ連中が消えた場所を探れば、なにかしら見えて来るのかも知れない、と。



(続く)

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