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その6


「ねー、今度はどうしたのよ?」と木花エマは訊いていた。


 と言うのも、さっきまで横を歩いていたはずの佐倉八千代が今度は、フラフラフラフラ、アスレチック広場の方へと足をふみ入れていたからである。


「グラウンドの方に行くんじゃないの?」続けてエマは訊いた。「それともそこも、夢で見たとか?」


 八千代の性格からして、突然すべり台にのぼったり、突然鉄棒からジャンプしたりしてもおかしくはないのだが、今日はこの後、石橋伊礼の事務所にも顔を出さないといけない。“夢”と関係ないのなら、あまり寄り道はしたくない。ないのだが――、


「え? あー、うーん?」とどうやら八千代本人もよくは分かっていない様子で、「いや、夢の中だとここは横をとおり過ぎただけだったと想うんだけど……?」


 そうつぶやいては雲梯やらジャングルジムやらのまわりを歩いては首を傾げ、それからまた別の遊具へと向かって行く。


「まったく」とエマ。彼女の後をついて歩きはするものの、まばらながらも親子連れもいたりして少々気恥ずかしい。「とおり過ぎただけなら、なにが気になってんのよ?」


「うーん?」と八千代。いまはターザンロープの下で空を見上げているが、「さっきのさー、“ケヤキのボブ”さん?」


「は?」とエマ。小道をはさんだこちら側で、わたり棒のひとつに寄りかかりながら、「あの木がどうしたのよ?」そう訊こうとした。したのだが、ここで突然、


「あ! ダメ! エマちゃん!」と八千代が叫んでこちらを向いた。するとエマも、


「ふぇ?」と釣られて小さく叫ぶが、それも束の間、まるでそれに合わせるかのように、


 ぐっ。


 ぎゅっ。


 ひゅっ。


 と時間や空間や方角なんかが歪んでたわみ、タイミー&ワイミー、奇妙な音とともに彼女を何処かへと飛ばすことになるのだった。そうして、


「にゃ?」と驚き声を上げたのは八千代である。「エマちゃん?」


 流石の彼女もこの展開には呆気に取られて立ち尽くすことになるわけだが、もちろん彼女に――いくらそこになにかを感じ取っていたとは言え――その場にある種の時空間の歪み、ある線とある線が交わることで出来た奇妙な裂け目が出来ていたとは知る由もないし、また、その線のひとつが、昨晩、例の全裸男・山岸富士夫が最初のジャンプをした時の線、天台所有のホテルから先ほど立ち寄った“ケヤキのボブ”を結ぶ直線であることや、更には、それと交わるもうひとつの線が、同じく昨晩、内海祥平――ここ数週間の記憶を失くした例の筋肉バカ――が祝部ひかりにジャンプさせられたときに通った線――彼らの通う高校から、彼の自宅までを結んだ直線――であったことなど分かるはずもないのであった。そうして――、


     *


「やった! おじさんだ!」と寝室に入るなりアーサー・ウォーカーは叫んでいた。


 ランドセルは床に落とし、問題のおじさん、ペトロ・コスタはまだ眠っていたけれど、そんなことはお構いなしに、彼のベッドへそのままダイブ、


「あ、こら、アーサー、やめなさい」というマリサの言葉も馬耳東風で、


「おじさん、おじさん、おじさん」と彼の肩やら腕やらをゆすっては、「起きてよ! おじさん! 起きてよ!」すると、


「だからアーサー」というマリサの声に合わせるように、


「どうしたアーサー」とベッドの上のペトロは起きた。「力が弱くなったんじゃないか?」そう続けて笑いながら、「おじさんを起こせるものなら起こしてみろ」


「やったあ! おじさんだ!」とアーサー・ウォーカーは叫んだ。ふたたび。彼を強く抱きしめ、どうにか彼を起こそうとするが、


「おじさんこそ、ちょっと太ったんじゃない?」と起こせない言いわけをするので精一杯でもあった。「僕は、弱くなんかないんだから」


 何故なら彼が力を入れられなかった理由、そのひとつは、不意に流れ出した涙を、ペトロにもマリサにも見せないよう、そっぽを向いて話していたからである。


「ああ、そうだな、そうだったな」と言ってペトロは起き上がった。彼の甥を強く抱きしめ返しながら、「お前は絶対、弱くなんかならないんだったな」と彼特有の優しい声とほほ笑みで、「なんてったってお前は、俺の甥っ子だもんな」そうして――、


     *


「それで?」とそれからしばらくがしてマリサ・コスタは訊いていた。安心したのか泣きつかれたのか、ペトロの膝で眠りに付いたアーサーに、やさしく毛布をかけながら。


「それで?」ペトロ・コスタは訊き返した。彼女と同じ音量で、膝で眠る甥っ子の頭をなでながら、「それで……どうするか? だな」


 理屈も分からぬ奇妙な力で街へと戻り、こうして家族が再会出来たのはよいが、彼の抱える問題は山積したままであった。


「先ずは、殺人の容疑者だろ?」彼は続けた。それでもどうにか笑顔を保って、「しかし、俺がやったんじゃないのは確かだ」


 いくら日本の警察が優秀過ぎるほど優秀であったとして(皮肉)、山林で見つかった死体が彼の手によるものでないことは、いつかきっと突き止めるだろうし(希望的観測)、それに加えて厄介なのは、


「残っている天台への借金だな」


 殺人の動機としては弱い気もするが、警察が推理や捜査の材料にするには丁度いいサイズのネタだし、もちろん、天台側が「身内のかたき!」とかなんとか、ペトロを追う理由にするにももってこいだった。だったが、


「あ、そう、それがね、ペトロ」とここでマリサが口をはさんだ。「その、天台への借金なんだけど――」


 と、山岸富士夫とのことがこころに引っ掛かっていたからなのか、先ほどのレストランで言いそびれていたことを彼女は伝えた。天台の秘書・友枝久香による奇妙な依頼、そこで出会った山岸富士夫との取り留めのない会話と食事、そうしてその結果、彼の借金を天台側が帳消しにしてくれたという奇妙な事実を。


「帳消し?」ペトロは訊き返した。「まさかお前、その男と――」


 もちろん彼女は否定した。友枝の依頼にも“そんなこと”は含まれていなかったし、男も男でそんな話に乗って来るような男ではなかったし、それに、


「いざとなったら、ワインの瓶で殴ってたわよ」と。


 が、しかし、この件の奇妙さと問題はその先にこそあり、そうして、それこそが彼らが抱える、現在一番の厄介ごとだとも想うのだが――、


「消えた? その男が?」


「ええ。今日のあなたと反対にね。私の前から、不意に、ひゅっ。て感じで」



(続く)

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