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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第五話「もしも、間違いに気がつくことがなかったのなら?」
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その12


「いったいホント、なにがあったんですか? 左武さん」


 と小張千秋が珍しく、その灰色の脳細胞を悩ませていたころ、石橋伊礼は、彼の事務所の真ん中に立ち天井を見上げていた。ちょっと居心地悪そうに。


 体力は随分と回復していた。ヤスコとはあのあと別れ、彼の恋人・川島重雄は伊礼に、もう一日休むことを提案したが、二日も事務所を空けるわけにはいかない、と彼は言った。


「止まってる仕事も色々あるしね」


 となかば強引に出て来たかたちだが、それでも彼はいま、事務所の真ん中に立ち、天井を見上げ、パッと見はなにかを冷静に考えているようにも見えたが、実際のところ彼は、なにを、どこから、どう考えてよいのか、そこからさっぱり分かっていなかった。


 不明瞭な、だけれど妙な切迫感だけはあった。


 毎度のことではあるが、彼に未来のビジョン、予知、預言をお預けになる方々は、舌っ足らずで尻切れトンボで下請けへの丸投げ感がひどい。世界が終わるのは確からしいし、彼らがそれを止めようと、伊礼にビジョンを見せたのも確からしい。止められるのか? 答えもなければ応えもない。


 女子高生のジュリエット。彼女は誰だ? いつ殺される? 高校の文化祭? この時期にも文化祭が? 答えはない。


 彼女を救うことで世界を救う? 何故? どうして? どうやって? 応えはない。


 ミスターさんが現われた? これがヒントだろうか? いつものとおりの舌っ足らずで尻切れトンボで、ヤスコ先生への丸投げっぷりは苦笑を通り越し腹立たしくなることもあるが、彼は言った、「姪御さん」と。


 ヤスコ先生に姪御さんがいないのは確からしいが、僕の見た女子高生と彼の言った『姪御さん』は同じ女の子なのだろうか? 昨夜見た預言のなかで、僕は確かに、あの子のひかるイメージの先に、とおいとおい糸の先に、レモンや石鹸、買い忘れたミルクのような、ヤスコ先生に近いイメージも見たのだが――、


「あっ」とここで石橋伊礼は、ちいさく驚きつぶやいた。「やまぎし――山岸?」


 確かに彼は、その名前を聞いた。世界の終わりの直前で。誰かの未来の記憶を通して。そうしてそれが、ちいさな首飾りの映像とともに、ヤスコに繋がっていくことに彼は気付いた。


「実は、先生にもお聞きしたいことが」昨夜、寝室から出て行こうとする彼女を止めたのは、それが理由だったじゃないか。「そうだ。それを聞こうとしてたんだった」――『山岸』の名に聞き覚えはないか?


 ふたたび彼はつぶやくと、事務机の方へと歩いて行った。そこに自身のスマートフォンを置いていたからである。『ひかり』の方に気を取られ過ぎたのは確かだが、


「なんで、聞き忘れてたんだ」佐倉八千代にも連絡を取らなければ。着信やメールが溜まっているのはもちろん、預言はきっと、彼女の記憶だ。「まずはヤスコ先生に電話をして、そのあと八千代さんに――」そうみたび彼がつぶやいたとき、


 ジリリリリリリ。


 と彼のスマートフォンではなく、事務所の固定電話が鳴った。そちらの方が距離が近かったこと、昨日事務所を休んでいたこと等々、理由はいくつか考えられたが、それでも結局、これもなにかのお告げか直感だろう。


「もしもし?」その電話に彼は出た。「石橋伊礼行政書士事務所ですが?」


『あ、あの、すみません』男性? 女性? 電話の相手は、なんだか少年のような声の持ち主だった。『石橋伊礼さんは?』


「あ、はい。伊礼は私ですが」彼は答えた。「なにか、ご用件でしょうか?」


『あ、いえ、突然すみません』相手は言った。『カトリーヌ……あ、いえ、ある人物からあなたに連絡を取るよう言われまして――』


「ある人物?」


『ええ、はい。きっと奇妙に感じられるかとは想うのですが、実は――』


「あ、あの、すみません。その……、その前に。失礼ですが、まずはお名前を」


『あ、そっか、そうですよね、すみません。私、山岸と申します』


「……ヤマギシ?」


『山岸まひろ。赤い髪をした、奇妙な外国人の男性から石橋さんに連絡を取るよう言われました。山岸、山岸まひろです』


     *


 さて。


 とここで、右のやり取りを読まれた読者の中にはひょっとして、次のような疑問を持たれた方もおられるのではないだろうか?


「このふたり、まるで初めてみたいに話してるけど、前にどこかで会ってなかったっけ?」


 うん。たしかに彼らは以前、一度――少なくともこのお話の中では一度――出会っている。しかも直接。対面で。互いの名すら名乗って。


 どこで? それは、第一話の(その13)。まひろの祖母が住む花盛りの家の応接間で、彼女の遺言書の相談に来てもらった石橋伊礼と、そこに呼び出されたまひろを祖母が引き合わせたのであった。


 そう。たしかにあの時、山岸の家の祖母はこう言った。「それより、ほら、ちゃんとご挨拶して」と。孫のまひろに、


「こまった時には気軽に相談、

 あなたの街の法律家。

 行政書士の石橋伊礼さんだよ」


 と、伊礼の名前はもちろん、職業やそのキャッチフレーズも含めて。


 ではなぜ、伊礼もまひろも、その時のことをすっかり忘れているのだろうか?


 それはひょっとすると、例の赤毛のエイリアンが言っていた、


「時空不連続帯の乱れとキャブランチからの逆流時間漏れが――」云々。


 と関係があるのかも知れないし、それともちがうもっと別の、例えばこのお話とはちがう別のお話の内容や結末と関係してくるのかも知れない――と、いうことで。


 ここで場面は転換する。突然――なに?


 え? え? それはどこに?


 それは、山岸まひろの祖母が暮らす花盛りの家に。


 は? 時間は? 時間はいつ?


 時間? 時間はそうですね、このお話が始まる少し前、世界がもうすこし安定していて、季節は寒い寒い冬の真っ只中。彼らの住むこの台地が、雪で覆われていたあの時間に――用意はいいですか?


 は? え? ちょ、ちょっと、ちょっと待っ――、


     *


 そう。


 そのころ世界では、ようやく降り出した雨がとうとう雪へと変わり、そのままずうっとふり続く日々が続いていた。


 山岸の家の祖母の家では、はだかになったイチヂクが二階の窓を叩く代わりに、銀と黒のちいさな雪が、かすかにその窓をふるわせ続けている――そんな日々だった。


 そうして、そんな花盛りの家のリビングでは女性がひとり、なにをするともなく取り残され、せっかく抱き、そうして自ら手放した希望の感触に苛まれながら、そこのソファに座っていた。深く。


 雪が、ふり続いていた。


 そう。それは、その雪は、テレビやラジオの言うとおり、彼らの住むこの台地一帯へとふり積もり、黒い平野や森、浮かれ模様の街角や、もっと遠くの、川や海や山の境界線にまで届こうとしていた。そうして――そうして?


     *


 そう。


 そうして、そのはるか上空、時間的にも空間的にも遥かなる空の上では、赤毛の丸顔エイリアンが、ずうっとそのまま堕ち続けていた。


「うっわぁああああああああ!!!」


 と叫びながら。行く場所は決まっているのに、そこにまだ接続出来るタイミングではない、というそれだけの理由で、


「さむい、さむい、さむい、さむい、さむい」


 と雪と風と低気圧と、うっすいボロボロの服に身を震わせながら。そうして――そうして?


     *


 そう。


 そうして、


「また、つぎの花の盛りの日に必ず」


 と、山岸の家の祖母は、とおい夏の日に出会った客人の言葉を想い出していた。照り付ける日差しと、むせ返る熱気と、そうしてこれが夢なのだという奇妙な実感とともに。客人は続けた。


「この地にのこる孫のひとりは必ず、かならず、ひとりのおんなの子を、かならず、ちいさなおんなの子を、かならず、ひとり、得る事だろう。」


 山岸の家の祖母は訊き返した。


「いま、“おんなの子”とおっしゃいましたか?」彼にすがるような想いで、「“ちいさなおんなの子”、と?」――そうして?


     *


 そう。


 そうして、


「不破さん!」


 と男は声を聞いた。彼女の叫ぶような祈るような声を。この家に住む居候、赤い顔に黒いひげを生やした、まるで悪魔か元天使のような男は、聞いたのである。


「まひろは? まひろはいまどこだい?!」


 彼女が、目を覚ましたのである。


 雪は深く、遠く、どこまでも無限にふり続いていたが、目覚めた彼女の声に、恐れの色はもうなかった。


「やれやれ」


 とこの家の居候は椅子から立ち上がった。あれでこそ咲子さんである。そんなことを想いながら、


「分かりました、奥さま」闇におびえて泣くのは、ずっと昔に止めたのでしたね。「すぐにお探しします」――そうして?


     *


 そう。


 そうして、山岸まひろは後悔していた。


「***さん」


 と先述のソファに座り、そこで眠る女性の横顔を見詰めながら――彼女は、音も立てずに眠っていた。


「ごめんなさい。***さん」


 彼女はくり返していた。愛する女性の横顔に向かって。彼女が彼女であることを、彼女ではきっと、彼女の望みを叶えてあげられないであろうことを悟り、後悔し、そうしてそれを『とてもかなしいこと』そう感じながら。――そうして?


 ジリリリリリリリリッ


 と突然、リビングの電話が鳴った。ずっと鳴ることのなかった、ずっと決して、何年も何十年も、鳴ることのなかった花盛りの家のリビングの電話が。――そうして?


     *


 そう。


 そうして小さな音がした。


 ぽわん。と。


「うっわぁああああああああ!!!」とはるか上空を堕ち続ける男の前に。


 それは、小さなポータルであった。まだ開き切ってはいないが、それでも、


「やった! やっと開いた!」とそれは男をよろこばせ、いまにもそこに飛び込ませようとしていた。――そうして?


     *


 そう。


 そうして、


「もしもし?」と山岸まひろは電話に出ていた。ソファから離れ、問題の女性が見えない場所で、「山岸ですが?」


 すると、


「樫山さまでいらっしゃいますね?」電話の向こうで誰かが言った。「※※※※からお電話がはいっております」となんだか知らない、外国の名前を出された。


「え? いえ?」まひろは応えた。変な違和感を感じながら、それでも、「ここは、山岸咲子の家で、樫山***さんなら――」


 カチャリッ。


 と、ここで突然電話は切られ、


「なんだ? いったい?」と彼女がソファの方をふり返ろうとした。――瞬間、


     *


 ドォオオンッ!!!


 という音とともに、赤毛丸顔のエイリアンはポータルをとおり抜けた。修道士たちが用意したそのポータルを。――そうして?


     *


 ドッシーーーーーーン!!!


 という響きとともに彼は、花盛りの家のリビング、山岸まひろの立つうしろの床へと叩き付けられていた。


「いってー」男は言った。床をのたうちながら、「なっんで、あの修道士、いっつもいっつも、こんなジャンプをさせるかねえ?」と。――そうして?


「え? あ、あの……?」と山岸まひろは訊いた。そちらをふり返り、なんだか妙な既視感、未来の記憶のようなものを覚えながら、「だいじょうぶ? ……ですか?」


「あれ?」と男はつぶやき彼女を見た。「まひろくん?」一度くびを傾げてから、「……だよな? ……あれ? …………君だけ? …………ヤスコちゃんは?」


「え? あ? はい?」まひろは訊き返した。戸惑いながら、「え? …………あなたは?」


「なんだい、まだ会う前なんだっけ?」男は応えた。いつものとおり、彼女の戸惑いなんかは気にせずに、「あー、まあ、まずは、君だけでもいいか」と、どうにかこうにか立ち上がりつつ――「要は結局」と。


「要は結局、君たちふたりの、子どもに関することだからね」と。そうして――そうして?


 そう。


 そうしてここで、花盛りの家を中心とする記憶と時間の混乱、削除、入れ替え、コピー&ペーストは始まり、まひろと伊礼の初対面――このお話中での初対面――の記憶も勝手に削除されることになったのである。――どうして?


 そう。


 それはこの赤毛男が、あらゆる宇宙を救うついでに、彼らの望みをも叶えてしまおうとしたからである。



(続く)

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