その4
さて。
それと丁度同じころ――と言うことはつまり、山岸まひろや樫山ヤスコが、奇妙な赤毛のタイムトラベラーに絡まれ会話し、また急に去られたころという意味だが――祝部ひかりは、それでも気持ち落ち着きはしたものの、それでもやはり、ひき続きパニックのまっただ中にあった。
というのも、例の筋肉バカ――彼女に妙な恋ごころを抱いている(らしい)内海祥平――がひき続きの行方不明状態であったからであるし、そんな彼を引き込み取り込んだ(らしい)奇妙な《窓》もひき続き、
ぐぉぉおぉおぉぉ。
とまるでなにかの獣のうなり声のような、そんな奇妙で複雑な音波を放ちながらそこに開いていたからである。
「なに? これ?」彼女はつぶやくと、《窓》の方へと近付き、その淵をさわったり、その中をのぞき込もうとするのだが、
「だめっ! だめっ!」となにか生物的直観のようなものが働くのか、そのままぴょんっとうしろに飛び退いては、「なに? これ?」と改めてそれを眺める――というようなことをくり返していた。
《窓》の向こうには一瞬、そこにナニカなつかしいような腹立たしいような――それはひょっとすると、ちいさな赤ん坊を抱いた若い男女のシルエットなのかも知れないが――そんな感じを抱かせるイメージが見えることもあり、そのため彼女は、《窓》そのものの存在とそのうなり声に奇妙な恐怖をも抱いていた。
「お父さん?」彼女はつぶやいた。「お母さん? ……じゃないわよね?」
そうして、これも奇妙なことなのだが、ここは彼女の通う高校の一室で、放課後の遅い時間とは言え今は文化祭準備の真っ最中。彼女のクラスはもちろん、他のクラスでも何人もの生徒が残っているハズなのに、誰ひとりとして、この教室にはいって来るものはいなかった。そう。それはまるで《窓》が、あるいはひかりが、彼女たちだけにして欲しいとでも言っているかのように。そうして、
「だめっ! だめっ!」と何度目かの飛び退きを行ってから彼女は、急にはっと我に返ると、スカートのポケットに入れておいたスマートフォンを取り出した。
一瞬、清水朱央の顔が目の前でちらついたが、彼と一緒の写真が校内で出回っていることを想い出すとブルブルブルブル。首を振って目を閉じて、それから、それでも最初に想い出した男性――彼女の父親・祝部優太――へ電話を掛けることにした。こんな奇妙過ぎる出来事、そもそも信じてもらえるだろうか? 信じてもらえたとして、彼になにか出来るのだろうか? 流石にそれは分からなかったが、それでも、「きっとお父さんなら」と彼女――いや、彼女の生物的直観は、そう考えた様子であった。そうして――、
*
「いってててててて、ててててて」と問題の父親・祝部優太はうなっていた。腰を押さえながら、「こりゃあ明日は筋肉痛だな」と。
と言うのも、ここは前話の終わりで出て来た東京都立石神井公園けやき広場、そこのひと際大きなけやきの木(通称:けやきのボブ)のちょうど真下で、彼はちょうど今しがた、その木に引っ掛かっていた全裸男性・山岸富士夫を、そこから担ぎ下ろしたところだったからである。とそこに、
「あのー、もうふり向いてもいいですか?」と優太の部下・深山千島は訊いて来た。なんだかんだと色んな仕事をしている彼女だが、彼女自身はあくまで純真素朴な乙女(自称)であり、「さっさとそれ、しまって欲しいんですけど」
いくら仕事とはいえ、見も知らぬというか、見も知っててもイヤなんだけど、あれが丸出しの殿方を直視出来るほどの肝っ玉は流石に持ち合わせていない深山なのであった。
「あ、ああ、すまない」優太は応えた。着ていたスーツを地面に置いて、続けてシャツを脱ぎながら、「あまりにご立派なものだから、ついつい見惚れてたよ」
「ちょっと!」と叫ぶ深山に叱られつつも、「そーゆーのもセクハラですからね! 部長!」
「あー、わるい、わるい」と笑って応え、脱いだシャツを富士夫の下半身へとかぶせた。「あんまり大きな声は出さないでくれ、起きられたらこまる」
がここで深山、「だいじょうぶですよ」と優太の言葉に応えると、一瞬彼らをふり返り、「そのために私と来たんでしょ?」と続けてまた前を向いた。「想い切り眠らせておきますから、いまのうちに手足縛るなりなんなりして下さい。さっさと友枝のバアさんに引き渡しましょ」
「はいはい」と優太。地面に置いた鞄からケーブルタイを数本取り出し、「どんな感じだ? この人の能力は」
「うーん?」深山は答えた。それでもやはり、むこうを向いたまま、「よわいって言うか、ジャンプの直後だからですかね、ほとんど感じません」
「うん?」優太は訊き返した。富士夫の身体をうつ伏せにし、彼の両手を後ろ手に持って来てから、「そんなことがあるのか?」
「ないことはないですが珍しいですね」と深山。言われてみればあまりにも弱い、というか弱すぎる。「ねえ、部長?」
「なんだ?」
「そのひと、ほんとに私たちと“同じひと”なんですか?」
「友枝さんの話だとな」
「でも……、それにしては……」
とここで、深山の集中が途切れたからだろうか、それともなにかが彼女に疑念を持たせたからだろうか、それとも、なにか他の理由によるのだろうか、それは分からないが、
「いったい……、なにを……、」と優太の下から声がした。「いったい、なにを、」“想い切り眠ら”されているはずの山岸富士夫の声だった。「いったい、なにを、さっきから。ごちゃごちゃごちゃごちゃ、ごちゃごちゃと……」
「なに?」優太はおどろき、
「えっ?」と深山もおどろいた。ついつい後ろをふり返り、「そんな、起きられるハズがな――」そう言い掛けて、「ぎゃーーーっ!!!」と富士夫のものをまともに直視、「最ッ低! 信じらんないッ!!」
「あ、こら、深山、落ち着け!!」と言う優太の言葉も届かないのだろうか、
「やーだ、やだやだやだやだやだッ」と手足をばたばた、いままさに目にしてしまったモノを、視界からも記憶からも消そうとするかのように、目をつぶっては意識を逸らそうとするのだが――これがいけなかった。
ゴグッ!
と優太の股間から、なんか、こう、もう、男の方ならこの音だけで背筋がビクッとするような、そんな、男性性を揺るがしかねない鈍い音――彼のアレが蹴られる音――が聞こえたのである。
「*+*?! #$#&**ッ???」
と声にならない叫びをあげる優太。深山が意識を逸らしたせいで、富士夫に向けていた彼女の能力がうすれ、富士夫の意識も身体もすっかり自由を取り戻していたのである。
「俺を! どうするつもりだ!」立ち上がりつつ富士夫は叫び、
「み、みやま……」地面に突っ伏しながら優太は言った。「ち、ちから……をもど……せ……」
が、しかし、言われた深山はいまだパニックの真っ最中であって、
「いい? 千島? 落ち着くのよ、素数をかぞえて落ち着くの。いくらアレが、あんなアレだったとして、これだけ離れていれば、私に害を及ぼすことはないわ。そう。素数をかぞえて落ち着くの。4621、4637、4639、464……、でもあれ、みんなあんな大きいの?」
と、能力を戻すどころか、いまにもここから逃げ出しそうな様子ですらあった。なので富士夫も、
「俺を! 引き渡すとか言ってたな?!」とご自慢のアレをぶらぶらさせたまま、「“トモエダ”? 誰だそれは!」そう優太に詰め寄るし、優太は優太で、
「くっそ……」とひき続き地面に突っ伏したままつぶやくことになった。どうやら割れてはいないようだが(なにが?)、復活にはまだまだ時間がかかりそうである。
もちろん富士夫に組織のことを教えるわけにはいかないし、そうでなくても彼を拉致しようとしたことに変わりはない。“記憶を消していない”状態の富士夫をこのまま逃がすワケにもいかず、しかも自分と深山とは、この男に顔を見られている。
「くっそ……」ふたたび優太はそうつぶやくと、先ほど脱いで地面に置いておいた彼のスーツへと手を伸ばした。
「おい!」富士夫が叫び、「へんな動きを――」
パンッ
と小さな銃声がけやき広場に響いた。必要に応じて使用するよう上から持たされていた、小型の自動拳銃だった。
(続く)




