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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第一話「さようなら、いままで魚をありがとう」
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その4

 マリサ・コスタが信頼するネットの星占い『マダム・バタフライのあなたの運勢』によれば、この物語の年の彼女の運勢は、おおむね次のようなものだった。


「変わりばえのしない毎日に気が滅入ることも多いでしょう。家族や友人関係のトラブルが続き、その解決にはとても手こずりますが、そのトラブルを通して、その家族や友人こそが、貴女にとって最もかけがえのないものであることに改めて気付くのかも知れません。救いは想わぬ方向から訪れることも無きにしも非ずなのがこの世界です。気負わず気楽に行きましょう。ラッキーカラーは明るいピンク、ラッキーフードは小籠包でっす♡」


 この占いがどこまで当たっていたかについては、この後ご披露する物語を読んだ上で、皆さま各自にご判断頂ければと想うが取り敢えず、本日現在のマリサ・コスタに取って、「家族や友人関係のトラブルが続き」の部分は、まったくもってぴったり当てはまっていた。何故なら、消えた夫の借金取りが、いままさに彼女のマンションに入っていることに気付いたからである。もちろん無断で、


「お待ちしてましたよ、コスタさん」とかなんとか言いながら。「あんまり遅いんで、勝手に上がらさせて貰いましたよ」


 消えた夫の借金取りはふたり。取り敢えず、今日のところは。ひとりは猫背でずんぐりしており、ひとりは細身でおっとりしながら邪悪な感じもあわせ持つといったタイプだった。


「どうやってはいったの?」とマリサは訊かなかった。この国に来て随分経つが、巷間言われる“安全”だの“安心”だのはあくまで表向き、あるいは一部の人たち向けのサービスでしかなく、自分のように金持ちでもなく重要でもない外国人は、そのサービスの対象外だと彼女にははっきり分かっていたから。なので彼女はその代わり、


「すみませんね、金平さん」と細身の男に向かって言った。「甥っ子を迎えに行ってたもので」


 コスタ夫妻に子供はなかったが、代わりに年の離れた妹の息子を引き取っていた。彼女の妹は、夫とともに、ここに書くのもバカバカしい類の自動車事故に巻き込まれ数年前に他界していた。


「おばさん?」とここで、その甥・アーサー・ウォーカーが遅れて部屋に入って来た。


 アーサー・ウォーカーは小学四年生。年の割には利発かつ悪知恵の働く健康優良児的不良少年で、家に突然あらわれたふたりの男を見ても動じることもなければ叫び声をあげることもなかった。


「おばさん?」と彼は言葉をくり返すと、「大丈夫?」と言ってマリサの手をにぎった。


 コホン。細身の男がせき込んだ。「旦那さん、ペトロさんから連絡は?」


「ないですね」マリサは即答した。「まったく。それこそ、そちらに連絡は?」


「ないから来てんだろ」猫背の男が言った。こちらはあまり、頭はよくなさそうだ。「旦那の店の借金、あんたどうするつもりだい?」言葉の端々から、マリサを見つめるその目付きから、彼が卑猥な想像を彼女にしていることは分かった。


「おい」細身の男が言った。「奥さんにそんな口きくんじゃない。我々はあくまで、ビジネスでここに来てんだぞ」


「勝手に入っておいて、なにがビジネスだ」とアーサー・ウォーカーは想ったが、それを口には出さなかった。細身はともかく、猫背は言葉が通じそうになかったから。なので彼は、その代わりに、「なんでこんなにしつこいのだろう?」という疑問について考えることにした。


 そう。


 たしかに伯父のペトロ・コスタが自身のお店――そこは街でも人気のレストランだが――の運営資金調達に、彼らの雇い主である天台なんとかからお金を借りていたのは事実である。であるが、その金額は――伯父のパソコンを盗み見たところだと――彼が真面目に働きさえすれば、数年以内に、利息含めてきっちり返せる金額であった。伯父を失踪させ、警察を呼ばれるリスクを犯してまで家に侵入するほどの話ではないようにも想えるが、単にこのふたりがバカなのか、それともなにか別の理由が――、


「おい!」とここで猫背の男が叫んだ。きっとバカでもバカなりに、子供にまでバカにされていることに気付いたのだろう、「じっろじろ見んじゃねえ、このクソガキが」と。


「おいっ」細身の男も叫んだ。静かに。猫背をたしなめるように、「坊ちゃんにもそんな口をきくんじゃねえ」それからアーサーの目線まで屈んで、「ごめんなさいね、アーサーさん」と不気味なくらいに丁寧に、「もしアーサーさんに伯父さんから連絡があったら、隠さず、すぐに伯母さんに教えてあげて下さいね」


     *


 さて。


 と、その日の丁度同じころ、祝部ひかりは、公園沿いの小道を東へと歩いていた。


 その日の彼女は金欠で――その原因ともなった新しい靴とともに――小林乙葉女史が営む街の小さな古書店兼図書室兼貸本屋、『ウィリアム書店』へ向おうとしていたのだった。


 と言うのも、この古書店兼図書室兼貸本屋には、ひかりのような高校生でも気軽に買える安価な古本がたくさん置かれているばかりでなく、本日現在のひかりのような金欠高校生でも気軽に本を楽しめるよう、『ウィリアム貸出し文庫』なる書棚が準備されていたからである。


「残念。アダムスならまだもどって来てないわよ」書店に入るなり乙葉女史は言った。「ヴォネガットとプラチェットなら帰って来てるけど」


「えー」ひかりは応えた。「誰がそんなに長く借りてるんですか?」


 初めてこの書店に足を踏み入れた時、祝部ひかりはとてもおどおどとしていた。


 と言うのも、小林乙葉その人は、ひと当たりのよい、優しく、快活で、まるで少女のまま女を通りこしておばさんになったようなひとだったのだけれど、それでも彼女の書店には、新旧さまざま、洋の東西を問わない名著がところせましと並べられ、その壁や書棚には、この地に縁のある、きっとこの書店を拠り所としていたのであろう、こちらも新旧さまざまな、作家たちの署名が、ある種無造作なまでに掛けられ、置かれていたからである。


「いいわよ、読みたいだけ持ち出して」と乙葉女史は言った。棚の前でおどつくひかりに対して、「みんなもあなたに、読まれたがってるみたいだしね」


 それから彼女は、ひかりの読書力などお構いなしと言った感じで、


「先ずはツルゲーネフよね」


 と彼女に『猟人日記』を持たすとそこから、ロレンス、ジョイス、トルストイ、万葉、平家、ホメロスと来て、


「あ、でも、古典ばかりじゃつまらないわよね」


 とホーガン、ディック、ブラウン、ル・グィン、小松左京に荒俣宏など等々、自身の趣味全開のSF小説なんかも進めることとなるのであった。そうして、


「『グラン・ヴァカンス』は?」


「読んだ」


「『マイナス・ゼロ』」


「読んだ」


「『第五の季節』は?」


「読んだ」


「『鳥の歌いまは絶え』」


「面白かったですよね、あれ」


「『果てしなき流れ――』……も読ませたわね」


 と、現代の女子高生とは想えないSF読みに彼女を仕立て上げてしまうことになるのだが、


「だからー、誰ですか、私の趣味ともろ被りのそのひとはー」


 と、どうやら最近、この貸出し文庫には、ひかりが借りたい本を、ひかりが借りたいそのタイミングよりひと足はやく、借りてしまう人間が出入りするようになったらしく、


「ダメよ、流石に個人情報は教えられないんだから」


「むー」


 と、恐らく意図なく、ひかりをやきもきさせているのであった。


「わっかりましたよー」ひかりは言うと、今日はアダムスは諦めて、「そしたらなにかアンソロジーを」と、改めて貸出し用の書棚を見上げたところで、


「え? あれ? 祝部さん?」と彼女に声をかける者がいた。「あ、うわ、ほんとだ。ひかりちゃんじゃない?」


「え?」とひかりはふり向き考え込んだが、


「ほら、僕だよ。小学校のころずっと一緒だった。家も近かった」という少年の顔と、「え? なに? ひかりちゃんも読むの? SF?」彼が手にした単行本に、


「あっ」とその記憶を蘇らせることになった。


「アッくん? 清水朱央くん?」そうして、「ってか、あんただったの? それをずっと借りてたの」



(続く)

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