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その9


 祝部ひかりは、世界中がぐるになって自分をからかっているのではないか? と、そんな変な気持ちになりながら午前の授業を受けていた。誰かが何か具体的なことを言って来たわけでもないのだが、なんだかそんな雰囲気を周囲の空気から感じ取っていたからである。であるが、


「いやいやいやいや」と祝部ひかりは首をふる。こころの中で。これはきっと、今朝、家を出る前、ゴシップ好きでラブコメ好きで、精神年齢永遠の17才の母親から、彼女の友人――そう。あいつは「友人」。まだ「友人」よ――清水朱央との仲を勘ちがいされ勘ぐられ、深くふかく深読みされ、更には、思春期男子のいかんともしがたい生理学的欲求と、それをいかになだめ、すかし、傷付けず、そうしてそれでもなお彼との良好なパートナーシップを築くためにはどうすればよいか? みたいなことを延々得々赤裸々に語られたからに違いない――そう、彼女は考えていた。考えようとしていた。


 そう。これは私が、勝手にまわりの人の言葉や態度や空気感などを変な風に感じ取っているだけなのである。その証拠に彼らは別に、


「ほらほらあの子、恋をしちゃったんだってさ~」とも言っていなければ、


「相手は? 相手はどんな子なの? かわいい系? かっこいい系?」とも言って来ないし、


「えー、うっそ、やっだ、かっわいい~、祝部さんにはもったいないんじゃない? この子」みたいなこともささやいてはいないではないか。


 そう。まあ、そりゃあね、たしかに朱央はかわいいしさ、話も合うしさ、小さい頃から知ってるから気心も知れているしさ、昨日だって私のことを心配して家の近くまで送ってくれたりしてすっごく優しいしさ、とってもいいヤツだとは想うけどさ、それでもそれは友だちっていうか、幼なじみっていうか、そういう意味でのかわいい、いいヤツなわけで――、


「ひかりちゃーん!」がここで彼女は、不意打ちのように、彼の声と言葉を想い出すことになる。「やっぱり僕――」


 もちろんこれは、それでもただの尻切れトンボ。時間と空間にカットされた声と言葉だったけれど、それでもこれは、そんな尻切れトンボでも、それでもこんな彼女には――昨夜、別の世界の彼と彼女を垣間見て来た彼女にとっては――とても十分な尻切れトンボでもあった。


 ぴいぃっ。


 と、窓の向こうで一羽の鳥の鳴く声がし、


 ぴゅういっ。


 と、また別の窓の向こうで、別の一羽の鳴く声がした。


「……うん?」


 と、そうして彼女は気付いてしまった。自分の本当の気持ちってやつに。子どもの頃、いや、ずっとずうっと昔に離れてから再会し、まだすこしの時間しか経っていないにも関わらず。いや、時間は関係ない。どころか、空間すらも関係ない。そう。彼女は気付いてしまった。自分の本当の気持ちってやつに。彼女は――、


「わたしは?」


 清水朱央に――、


「朱央に?」


 ずっと以前から――、


「ずっと? 以前から?」


 ほのかな――、


「なあ、おい、祝部、ちょっといいか?」


 が、ここで突然、誰かが彼女に声を掛け、彼女の思考は途切れることになった。


「ほぇ?」彼女は応えた。穴のあいた浮き袋のような声で。「なに?」一瞬、ここがどこで、相手が誰か分からなくなっていたが、「……内海くん?」


 と、相手の名前を間違えずに言うことだけは出来た。ふとあたりを見まわすと、教室内は既にお昼の休みに入っていて、いつもお昼を一緒にする友人たちは、ひかりの前にすわる内海祥平のある種想い詰めたような態度に恐れ、彼と彼女を遠巻きに見ているだけだった。


「なに?」ひかりはくり返した。さすがの彼女にも、内海の態度がいつもと違うことは理解出来た。「――どうかしたの?」


 さて。


 賢明かつ懸命なる読者諸姉諸兄におかれましては、きっちりしっかりご記憶のことかとは想いますが、こちらの内海祥平くん、野球部所属のさわやかエースで筋肉バカ、女子にモテモテなわりには純真素朴で、しかもお家のご近所さんには、兄妹のように仲よく育った、釣り目ダウナーかわいい系の幼なじみもいるという、正直、この連載でなければ、もうちょい良いポジションを与えられてもよさそうな男の子なのですが、それがどうにも如何せん、この連載はご覧のような連載ですし、彼は彼で、この連載の登場人物としては、あまりに純真素朴で可哀そうなバカでありました。


 と、言うのも。


 こちらも前に書いたとおり、ここ最近の彼は、祝部ひかりにほのかな恋心を抱いていたワケなのですが、それが昨晩、こちらも前に書いたとおり、その釣り目ダウナー・サイコパ幼なじみ、風見千尋ちゃんから、仲睦まじい感じで話す祝部ひかりと清水朱央の隠し撮り2ショットをメールされており、その写真と、千尋ちゃん特製の捏造文章を、それをそのまま、それこそ純真素朴アホに受け止め、ひと晩こころをかき乱されまくっていたからなのであります。彼は応えます。


「祝部……」と彼女の目を見て、「あいつ……」


 と、いまにも彼女の手を握りそうな勢いで。しかし、それはどうにか抑えつつ、「いや……」


 ガタン。


 と、不意に椅子から立ち上がる彼。改めて彼女を見詰め、「俺、負けねえからな」とだけ言うと立ち去って行きます。行きますが、もちろん言われた祝部ひかり――彼女はこのお話の読者でもなければ、百戦錬磨の恋愛モンスターでもないので――去って行く彼の背中をながめながら、


「は?」と想うだけでありました。「なに? あれ?」と、流石に気持ちわるいとまでは言わないまでも、「まったく、意味わからない」と。


 そうしてそれから彼女は、しばらく首を傾げていたのですが、気を取り直して我に返ると、いつもお昼を一緒にする級友たちの方を見、そちらに声を掛けようとして、


「ねえ、ちょっと、ひか――祝部さん」とここでも突然声を掛けられることになります。「すこし、教えて欲しいことがあるんだけど」


 と、こちらはまだ、怒っているのが分かりやすい、彼女の旧友・先名かすみでありました――「例の写真の、男の子のことで」


     *


 さて。


 ここで話は変わって、樫山ヤスコが現実の石橋伊礼と知り合いになったのは、この物語の7~8年ほど前。


「ほらアナタ、契約関係が苦手だって、ずっと言ってたじゃない?」


 と、契約文書の途中に“甲”だの“乙”だのの文字が入り込んで来たり、数字の前後に“¥”だの“円”だのの記号なりがくっついて来た途端、思考回路がストップ、四則演算もままならなくなるヤスコの、基本的な社会人スキルの欠如を心配したカトリーヌ・ド・猪熊が、彼女に彼を紹介したのがはじまりでありました。そのため、それ以降の彼女は、


「え? じゃあ、編集長から頼まれたこの解説文も、原稿料請求していいんですか?」とか、


「うっそ! こんなのまで経費で落としていいんですか?!」とか、


「エクセル? あー、はいはい、これですね。これのここに数字を入れる? で? 次にここには計算式を入れる? それでそれから? マウスをポチッと押したまま下…………え? うわ! すっごい! え? え? これ、電卓要らないじゃないですかッ!!」みたいな?


 いまどき気の利いた小学生なら誰でも知っていそうな常識的質問を伊礼にしては、懇切丁寧適切に教えてもらい、目からは鱗をぼっろぼろ落とし、それまでの貧乏小説家生活を、どうにかこうにか、一般的貧乏小説家生活にまで引き上げて頂いたのでありました。


 ほんと、よくそんなんでその年まで生きて来られましたね、先生――と、こちらはこちらで他人ごとではないこの物語の作者なんかは想うワケでありますが、それはさておき。右のような事情に加えて、先に「カトリーヌ・ド・猪熊が彼女に」と書いた事実から何となくお察し頂きたいのだが、ヤスコもまた――なんか色々面倒な事件に巻き込まれたりして――石橋伊礼の秘密の能力=預言の力については知っており、そのため、


『こまった時には気軽に相談、あなたの街の法律家。行政書士の石橋さん。』


 というキャッチコピー以上の信用度・信頼度を彼に対して抱いており、いわゆる契約関係、納税関係以外の不思議な出来事、奇妙な事件についても、相談することがよくあったのである。


 そう。それは例えば、今回のように突然亡くなった父の遺産についてであるとか、彼が遺した奇妙な手帳や首飾りや、天井裏から見つかった奇妙なカギの使い先であるとか、そういう類のことについて――でもある。



(続く)

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