九分五十三秒九ミリ秒。
「なあ、おい、神が死んだって?」
「ああ、残念なことに、昨夜おそく」
「死因は? 死因は分かっているのか?」
「ああ」
「いったい、なにが神を殺したんだ?」
「どうやら、信じられなくなったらしい」
「誰が? なにを?」
「神が、神の存在を」
「あ、ねえねえ、お嬢ちゃん」赤い髪と丸い顔の手品師は言った。食べ物を取りに行こうとする彼女の肩を、奇妙なラチェットレンチのようなもので叩きながら、「読心術は? 読心術はやらないのかい? 必要じゃないのかい? いまの君には」
「え?」彼女は応えた。すこし怪訝そうな顔で、「あ、いえ、別に、間に合ってますので」
確かにさっきの木を消した手品はすごかったけれど、だからと言ってこの男の顔はあまり信用の置ける感じの顔でもないし、話し方もなんだか詐欺師と云うか何かの中毒患者のようにも見えるし――「これは絶対、関わり合いにならない方がいいやつだ」そう彼女は考えていた。が、
「いやいや、間に合ってなんかいないはずさ」とここで男も応える。「“自分も知らない自分のこころ、行き先、希望、望むべき場所、等などなど”それが知りたい場合には、どうぞ直接声をかけてね――ってさっき言ったよね? 僕」
「え? はい、ですから」彼女は続けた。歩く速度を少し上げ、彼から離れるように、「自分のこころは、自分でちゃんと分かってますから」
彼の後ろにはすでに数人、その“自分も知らない自分のこころ”ってやつを読んで貰いたがっている人たちがいた。楡の木を消した後に披露したその“読心術”とやらが、あまりに見事だったからである。であるが、
「だったら、“行き先、希望、望むべき場所”は?」男も続けた。後ろに続く彼ら彼女らを無視しつつ、「それはまだ、分かっていないだろ? ナオちゃん」
彼女は足を止め、男をふり返った。先ほどまではなかった――と想う。多分――ピエロのメイクがそこにはあった。彼女は訊いた。「どうして? なんで分かったの?」
「どうして?」男は訊き返した。すこし躊躇って、それでもすぐにおどけて、「ですから、これこそ我が秘術。我が惑星秘伝の――」
「じゃ、なくて」ナオは叫んだ。小さく。そういう手品の話はいいから、「なんで私の名前を知ってるの?」――“ここ”に着いてからは一度も、口にしたことはないのに。
「あ、」男は言った。しまったという顔つきで、「名前? 君の?」さっき見たピエロのメイクはキレイに消えてなくなっていた。「そんなこと言ったかな?」
「言ったじゃない!」ナオは叫んだ。今度は大きく。私の名前を知っている人はもうどこにもいないのに、「どうして? どうしてナオって分かったのよ!」
突然の彼女の叫びに周囲は急に静かになり、男は目を泳がし始めた。が、しかし、こちらをにらむ彼女の瞳に男は、「こまったな、お母さんそっくりじゃないか」みたいなことを考えると、ふたたび変身、おどけたポーズとピエロのメイクで、この場を誤魔化そうかとも考えたのだが、「うーん?」と空を見上げてしばし熟考、「出来れば、もうすこし打ち解けてからにしようと想ってたんだけどね」と、彼女の前に膝を突き、目線を彼女に合わせつつ、「実は、頼まれて来たんだよ、山岸ナオちゃん」
「え?」ナオは訊き返した。名字を間違えているのが気になったが、それより、「頼まれたって誰に?」私の知っている人たち、いや、私の知っている世界は、もうどこにもないハズよ、「あなた一体、誰に頼まれて――」
と、ここで突然、
ピピッ、ピピッ、ピピピピピッ
ピピッ、ピピッ、ピピピピピッ
ピピッ、ピピッ、ピピピピピピピピピッ
と、男の左腕から古くさい感じのアラーム音がした。
「ウソだろ?」驚いた様子で男は袖をまくると、そこに巻き付けられているダッサイ感じのデジタル時計に目をやった。「こんなに早いなんて聞いてないぞ?」
が、しかし、それはウソではなかった。時計に電池は入っていなかったが、それはいつでも“正しい時間”を彼に教えてくれていた。時計は、この世界の残り時間が、あと正確に九分と五十三秒九ミリ秒しかないことを彼に伝えていた。
「クッソ」男は立ち上がると、「ダメだ、ナオちゃん」と言って彼女の手を取りそちらに引き寄せた。「逃げよう。すぐに嵐が来る」
(続く)




