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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第二話「オルバースのパラドックス」
32/91

その13

「お父さんもね、おやすみなさい」


 そうして優太は取り残された。


 娘のひかりは自室に戻り、入浴中の妻が上がって来るには……まだまだたっぷり、三十分はかかるだろう。スマートフォンの画面を眺めた。


 それは、会社から届いた、一本の動画だった。


 動画に映っていたのは、彼女の娘・祝部ひかりと、彼女が再会したという幼なじみ・清水朱央、それに彼らが再会した、街の小さな古書店兼図書室兼貸本屋、『ウィリアム書店』の女店主・小林乙葉で、舞台はまさしく、彼らが再会した時と場所そのものであった。


「うーん?」優太はうなり、画面の中の時間を進めた。


 どこから撮った動画なのかはよく分からないが、それでも、彼らの会話も、その一部始終を、耳に付けたワイヤレスイヤホンから聞くことが出来た。


「うーん?」ふたたび優太はうなった。画面の朱央をトントントン。と叩いてから、「“転生者”? には見えないが――」


 それから彼は、更に時間を進めたが、すると場面は、近くの公園へと移った。登場人物はもちろん、ひかりと朱央のふたりである。優太は続ける。


「うーん?」さらにうなりながら、「問題ないとは想うが……」彼らの会話の他愛なさに微苦笑しつつ、「一応、監視だけは続けさせてもらうか」そうして――、


    *


「そのためになら俺は、なんだってお前のためにしてやるさ」


 それと丁度同じころ、山岸まひろは目覚めていた。暗い部屋の中、ひとりで。窓の外にはぼんやりとした月がのぼっていたけれど、それでもひとりで。


 体調はかなりよくなっていた。夢の中か記憶の中かは忘れたが、兄・富士夫の言ってくれた言葉が、彼女に元気を与えてくれたようであった。


「なんだってお前のためにしてやるさ」


 そんな兄のやさしさが嬉しかった。ベッドを下り、寝汗を拭こうとして、窓の外の月に気が付いた。


「なるほど」まひろは想った。「それでも自分は、ひとりではないのだな」と。


「俺や家族や、いや、お前の家族になってくれる人も含めて、彼らを泣かせたり、ひとり取り残したり、そんなようなことだけは絶対にするな――分かったか?」


 そんな兄のきびしさが彼女を勇気づけた。不愛想で年も離れ、正直ずっと苦手な兄ではあったが、それでも、彼のことを想うと勇気が湧いてくるような気がした。洗面所へ向かい、顔を洗おうとして、鏡の向こう、リビングの中央あたり、開いた扉の向こう側に、なにかの光が見えた。光の塊のようなものが。


 ボワッ


 という音とともにそれは現れた。高さ1mほどの、世界の終わりで現れるはずの、あの、《壁》のひとつが。そうしてそれは、


 ジジ、ジジ、ジジジ。

 ジジ、ジジ、ジジジジ。


 そんな音を断続的かつ連続的に立てながら、まひろの耳を、続いて目とこころを奪おうとしているようにも見えた。何故ならそれは無数の、無限にちかい無数の、恒星たちが集まり見せている光景、まったくの明るみ、ひと粒の闇すら付け入る隙のない光の集合体だったから。時間的空間的フィルターを通さず、あり得るすべての宇宙を、ほんのプランク長ほど位相をずらし、無限にちかい状態で重なり合い浸食しあっている、そんなモザイク模様の光のパレードであったから。


「なに?」とまひろは想い、「あれ?」と、彼女がふり向くとそれは、


 ジ、ジ、ジ、ジジッ、

 ジ、ジ、ジ、ジジジジッ。


 と微妙に音を変え、しばらくなにやら、震え揺らいでいる様子であった。が、一歩、二歩、三歩とゆっくり、おそるおそる、リビングに出た彼女が、それに手を伸ばそうとした、瞬間、


 バチッ。


 と小さくするどい音がして――きっと、あらゆる世界との“接続”が切れたためだろう――それはそのまま、あとも残さず、重なり合った宇宙たちとともに、まるで元々そこにはいなかったかのように、ふっ。と消えてしまった。


「なに?」まひろはつぶやき、「なんだったの?」と言って床に腰を落とした。「いまの」


 それから彼女は――きっと、あらゆる世界との“接続”が行なわれたためだろう――そこにそのまま、かたん。と倒れると、ふたたび泥のような疲労と闇に襲われ侵され、「どこかで見……」そう言い掛けてから、ぶつ。と気を失った。


     *


 そう。


 そうして今度は時間が進んだ。いや、止まろうとしていたのかも知れないが。なぜならそこは、世界の終わりに近付こうとしている時間だったから。


 が、しかし、それでも世界には、まだ少しの猶予があった。なぜならここは、世界の終わりの直前で、そうして未だ佐倉八千代の夢の中であったから。夢の中で時空は歪み、曲がり、押しつぶされ、引き伸ばされ、並び変えられ、槐夢、槐安、邯鄲の夢に変わっていたから。


「石橋さん?」彼女はくり返した。返事はないと知りつつも、「……だいじょうぶですか?」と。


 すっかり色あせ閉じられた彼の身体に、その肩に触れるか否かを逡巡しながら。なぜなら彼は、既に亡くなっていたから。それは紛れもない真実だったから。壁にもたれくずおれ、床には大量の血が流れ出していたから。


「そ、そ、そうだ」彼女はつぶやいた。触れかけていた手を胸元へ戻しながら、「か、かれ、彼氏さんに、で、でんわ――」


 それから彼女は、いつも持ってるスマートフォンを、腰から取り出し、伊礼の恋人の名前を探そうとして、今度はその手も止められることになった。窓の外が、にわかに騒がしくなったから。


 そう。


 それは昨夜見た夢の続き、世界が終ろうとしているその風景だった。窓の外には大小無数の《壁》が現われ、見慣れた街の風景と折り重なっては街の人々を《壁》の向こうへ吸い込み、あるいはそこから吐き出していた。


 そう。


 《壁》の向こうにはいくつもの星空、無限に近い宇宙、恒星たちが集まり見せているまったくの明るみ、光の集合体、あり得るすべての宇宙の位相をずらしたエレクトリカルパレードがあり、そのため街は、世界は、宇宙は、恐ろしいほどの光に包まれていた。


 そう。


 そうして彼女は、佐倉八千代は、そこにそのひとを見た。いまだ現実には会ったことのないその人を、光の乱舞の中心でひと際燃えるその人を。彼女は想った。


「ああ、」と未来の記憶の中で、「結局、間に合わなかったのね」


 彼女の首もとには、ひとつの、青い首飾りが懸けられていた。まるで碧い水のような惑星のような、しかし傷ひとつ気泡ひとつない、それこそ神話の英雄にこそ持たされることが許されるような、そうしてそれこそが、彼女とその恋人との繋がりを象徴するような、そんなカットガラスの首飾りが。


「****さん!!」


 佐倉八千代は叫んだ。いまだ名前も知らぬその人の名を。また助けられなかった、そんな後悔とともに。世界が光で包まれ、終わって行くのを眺めながら――と、ここで彼女の夢は終わった。



(続く)

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