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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十四話「たとえば朝のバス停で。」
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その8


 娘が結婚した夜、山賀理は眠れなかった。


 そのとき理は58才。突然の事故で愛する妻と生まれたばかりの孫を失くして一年数ヶ月。相手の男は48才。娘はまだ26才。


 娘も男も、よっぽどぶん殴ってやろうかと想ったが、それが出来るほどの若さも気力も彼にはなかった。


 男は、ちょっとした資産家のひとり息子でそれが初めての結婚だった。披露宴は、彼の自宅の裏庭。


 縞模様のテントや豪華なケータリング、それに着飾った大勢の男女を寄せ集めて行われた。


 縞の色までは憶えていないが、男はたいへん幸せそうに見えたし、娘もそこそこ幸せそうに見えた。彼らは、事故の前からの付き合いだったそうだが、もちろん孫の父親は彼ではなかった。


「くっそ」


 娘の花嫁姿を想い出しながら彼は悪態を吐いた。クイーンの消えたベッドに座り、壁の花など数えながら。貰って来たシャンパンをラッパ飲みした。


 月が、昇っていた。


 月明かりの中、彼はベッドから離れた。キッチンに置き放した電話機が鳴ったからだった。


 彼は酔っ払い、妻に先立たれ、娘には見放されていた。



 ジリリリリ、

 ジリリリリ、

 ジリリリリリリリリ。



 電話に出た。


『山賀さまでいらっしゃいますね?』奇妙な声の男が言った。『※※※※からお電話が入っております。』なんだか知らない、外国の名前を出された。


「そんな所に知り合いはおらんよ」彼は答えた。涙が出そうだった。「そもそも、ここにかけて来るものなど誰もおらんよ」悲しいが、それが現実だった。


 ガチャン。


 電話を切った。


 山賀理は、一瞬そこが何処だか分からなくなった。


 目の前にはしまい忘れたナイフがあった。


 引き出物のケーキかなにかを切ったんだったか、娘の、そこそこ嬉しそうな笑顔と、ウェディングドレスを想い出した。あいつはきっと、亡くした子供も忘れているのだろう。


「くっそ」


 ふたたび彼は悪態を吐き、しまい忘れたナイフを洗った。水を切り、布巾でぬぐい、いつもの場所にしまう代わりに、その刃を手首に当ててみた。が、そのときである。


『山賀さまでいらっしゃいますね?』先ほどの男が彼にささやいた。『***の町に、『窓』が現れました。』


 彼は、彼の左腕がほのかにひかり輝いていることに気付いた。左腕全体が、強い静電気を帯びたような感触。それはまるで、青白い象牙のように見えた。


     *


「おじいさん?」


 とここで彼の意識は現在へと戻った。彼に自殺を踏み止まらせたものが何か? それは彼にもよく分からないのだろうが、ひょっとするとそれは、『孫はまだどこかで生きている』そんな妄想を彼が持たされたからなのかも知れない。


「おじいさん?」


 ふたたび誰か――あ、いや、ちがうな、ひかりちゃんの友だちの清水くんだったな――が彼に声をかけた。「どうかされましたか?」


「あ、いや、なんでも」彼は答えた。「ちょっと、むかしのことをね」


 男の両親が何と言ったか知らないし、男がどう考えていたのかも知らないが、娘は、そいつとの間に子供を設ける気はなく、また実際そのとおりになった。結婚後十年もしないうちに相手は死亡。肝硬変だかなんだか、それでも当人の不摂生と言うよりは遺伝的な要因の方が大きかったらしいが。男の遺産はすべて娘のものになり、男の両親の財産もいずれは彼女のものになるだろう。


 娘は現在42才。夜遊びや男遊びをするような女ではないが――逆になにを楽しみに生きているのやら――それでも彼女は、周囲から色々とわるい噂をたてられることもあった。彼女はいつまでも若く美しく、周囲と距離を取りながら、彼女が披露宴をあげたその広い屋敷にひとりで暮らしていたから。数人の、年老いたお手伝いたちとともに。


「おじいさん?」清水朱央が訊いた。「大丈夫ですかね、ひかりちゃん。ひとりで」


 彼らはいま、そのひろい屋敷から5分ほど離れた和菓子店のテーブルにいた。濃いめの抹茶とお茶菓子を間に置いて。


「あいつの希望でね」山賀理は答えた。「悪いようにはせんはずだよ」


 ふたりだけで会いたいと言ったのは彼の娘、山賀理主で、彼らにこの店で待つようにと言ったのは彼の孫、祝部ひかりだった。


「インスタ見てたら出て来てさあ」彼女は言った。いつものように笑いながら、「ぜったい寄ろうって想ってたんだよね」


 が、ただ、強いふりをしているのは朱央にも理にもよく分かった。朱央が言った。


「なにかあったらすぐ電話して」彼女を抱きしめたくなる衝動をゆっくり抑えながら、「すぐに迎えに行くから」


「うん」ひかりは答えた。明るく。だけれど膝は少し震えていたから、彼に抱きしめて欲しかったけれど、それはどうにか我慢した。逃げ出すわけにはいかなかったから。「ありがとね、朱央」


     *


 がしかし、十六年ぶりの母娘の再会は、膝がふるえるほどの怖さもなければ緊張感もなく、互いに抱き合い涙を流すほどの感動もなければ高揚感もなかった。


「うん」娘の母・山賀理主は言った。「父親にもあんまり似なかったのね」とまるで買い物帰りのようなテンションで、「ま、女の子だし、その方がいっか」


 彼女が娘を迎えたのは、彼女の屋敷の大広間――の裏廊下を突き当たりまで行った先にある小さな小部屋だった。間口1.8m、奥行3.0m。ただし高さは、広間に合わせたのだろう、6.1mもあった。中央にはしろい丸テーブルが置かれ、それを囲むように背もたせのまっすぐな椅子が四脚置かれていた。いずれも高級品とは言い難かった。


「それで?」娘に座るよう促しながら理主は言った。「なんの話?」


 先述したとおり、彼女は若く美しく、光の加減にもよるが、三十代前半、いや二十代後半と言ってもとおる肌とスタイルをしていた。


「なに……と言われましても」ひかりは戸惑っていた。彼女の勢いに飲まれそうだった。手伝いの老婆がはやく飲みものを持ってもどって来てくれないかと考えていた。「……あ、そだ、まずは自己紹介から」


 部屋は片側だけが明るく、もう片方は暗かった。ひかりは話した。自分がいまどこに住んでいるのか、どんな人たちと暮らしているのか、どんな本が好きで、どんな食べ物が苦手で、とか、そんなことを、口に出るまま、ただただ漠然と、目の前の女性と打ち解けようとして。しかし、


「ふーん」と女性はただただ返す。「それは楽しそうね」とか、「それは私もきらい」とか、「それは相手の男が悪いわよ」とかまあ、そんな感じで。


 言葉はくだけた感じだったが、いっこうにひかりの方へ歩み寄る感じはしなかった。彼らの間に、薄いがダイヤモンドで出来た膜のようなものがある印象を受けた。


「うん」理主が言った。ひかりの『自己紹介』をさえぎるように、「でも、訊きたいのはそういうんじゃないんでしょ?」


 彼女のかたわらには、『棕櫚の日曜日』という変わった装丁の小説と、旧いタイプのギデオン聖書が置かれていた。どちらにも紙のしおりがはさまれていたが、それらはどちらも、ソドムとゴモラの物語のクライマックス――消えゆく町をふり向き眺めたひとりの女――の場面で止まっていた。


「あのね、ひかりちゃん」彼女は訊いた。「あなた結局、どんな力を持っちゃったの?」


 彼女もまた、塩の柱に変えられた女のひとりであった。



(続く)

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