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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十四話「たとえば朝のバス停で。」
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その7


 さて。


 米国バージニア州出身のボーカルグループ、スタットラー・ブラザーズ最大のヒット曲と言えば、1966年にリリースされた彼らのデビュー・シングル『フラワーズ・オン・ザ・ウォール(壁の花)』であろう。


 彼らは歌う。妻子に出て行かれ、ひとり寂しくテーブルに座る男の姿を。異世界に逃避するわけでもなければ、人生を再起動するわけでもなく、ただただ、自身の甲斐性が尽きた現実を突き付けられる男の姿を。妻や子どもに「あんな親父、さっさと死ねばいいのに」と想われている男の姿を。いや、ひょっとすると、いや、ひょっとしなくても、彼の妻や子どもはそんなことは考えたことすらないのかも知れないが、それでも社会が、あるいは彼自身が、彼にそう想わせている男の姿を。



 『まったく気らくにやってるさ、

  クイーンの消えたトランプで。

  かべの花などかぞえてみたり。

  ひとつ、ふたつ、みっつ……』



 そうして、彼はその歌詞をこんな風に訳して憶えていた。この一節だけをくり返し歌っていた。いつから? 多分、この十六年ほど前から。


 彼にはもはや守るべき妻はいなかったし、愛する娘に連絡を取る勇気もなかった。彼女に必要とされるとは到底想えなかったし、自分にそれだけの甲斐性があるとはとても想えなかったからである。彼女を守るため、飛んで来る銃弾をその身に受け止めたり、彼女と一緒に暮らすため、十分なお金をどこからか稼いで来たりといったことが、自分に出来るとは到底想えなかったからである。



 『まったく気らくにやってるさ、

  クイーンの消えたトランプで。

  かべの花などかぞえてみたり。

  ひとつ、ふたつ、みっつ……』



 そのため、彼の後半生は、ただただ、壁紙の花を数えることに費やされていた。酒とバラと自己嫌悪の日々。ある友人はギャンブルにのめり込み、ある友人は両目を閉じて偽りを愛していた。


 そう。そのため、それはまるで奇跡のようでもあった。死んだと聞かされていた孫からの報せ。それはまるで天使が彼のドアをノックした瞬間でもあった。


「ひかりちゃんかい?」


 彼女を間近で見たとき、彼はその場にくずれ落ちそうになった。こんなに美しいものがまだこの世に存在するとは想ってもいなかったからである。その大昔、海沿いの道を歩きながら、こちらをふり向きわらった、娘の声を想い出していた。


「山賀……オサムさん? ですか?」


 正直、全体の顔の印象は娘にあまり似ていなかった。声をかけるのが遅れたのはそのためだった。しかし、連れの男の子に話しかける様子や、特にふっくらとしたその耳のかたちが彼女にそっくりだった。


「うん、うん、うん」言葉につまり、彼はそのまま、「君の、おじいちゃんだよ」そう言いそうになった。


 しかし、言えなかった。


 こんな孤独で、年老いて、友もなければ技能も資力もない男が祖父では、彼女も負担に、恥ずかしく想うに違いない。そう考えたからであった。せめて速やかに、彼女の要望にだけ応え、私はまた、いつもの酒とバラと自己嫌悪の――、


「あ、ほら、やっぱり、この人だったじゃない」彼女が言った。連れの男の子に向かって、「『あの人が私のおじいちゃんじゃない?』って、さっきたしかにそう言ったわよね、私」


 ふたたび彼はその場にくずれ落ちそうになった。神さまに、いや、彼女をここまで、こんな素直な子に育ててくれた、彼女の育ての両親に対して、彼は、感謝の祈りを捧げた。


「あれ? ちょっと山賀さん。大丈夫ですか?」


 彼は涙を流していた。下を向き、ハンカチを取り出して、鼻をまっ赤にさせながら、ふたたび彼女の育ての両親に感謝の祈りを捧げた。


 きっと彼らは、とても善良な人たちなのだろう。


 そんな風に想った。


     *


 ブブッ、

 ブブッ、

 ブブブブブ。


 山賀理が祝部ひかりの養父母たちに感謝の祈りを捧げていた頃、その中のひとり・祝部守希は買い出しからもどって来たばかりだった。両手にエコバッグを持って。リビングから聞こえる鳴動音に、スマートフォンを置き忘れていたことを想い出した。昨日突然会社泊まり込みになった夫からのメールだった。



 『守希へ。

  大事な資料を忘れた。

  書斎の机に置いてある。

  新人の宮野くんが取りに行くので、

  彼に渡して下さい。

             優太』



 宮野という名前に聞き覚えはなかったけれど、新しい人がはいったというのはどこかで聞いたような気がする。夫の書斎に入ると、確かに茶色の封筒が机の上に置かれていた。


「うん」


 と彼女はひと声つぶやくと、中身を確認しようかどうしようか一瞬悩んだものの、なんだか封もしっかりされており、結局それは止め、代わりに、夫からのメールをもう一度読んだ。


「うん?」


 と彼女は首を傾げた。手にしたスマートフォンをテトテトテト。慣れない手つきでメールを一本。それをそのまま発信し、部屋を出ようとしたところで、


 ピンポーン。


 と玄関チャイムが鳴った。


「もしもし?」ドアホン越しに彼女は訊ね、


『祝部部長の奥さまですか?』カメラの向こうで青年は応えた。『私、**商事の宮野秀一と申しますが、部長に資料を取って来るよう言われまして――』


「ああ、はい、うかがってます」彼女も応えた。青年の首には確かに、夫の会社の社員証が掛けられていた。「すぐに参りますので、少々お待ち下さい」


 青年の声はドアホン越しでも耳にここちよく、先ほど抱いたわずかな疑念、クエスチョンマークも、なぜだかそのまま、スッと流されて行くようだった。


     *


 ふぅーふぅ、

 ふぅーふぅぅ、

 ふぅーふぅぅぅぅ、


 はっ。


 と自分の呼吸におどろくように優太は目を覚ました。


 がしかし、彼のまぶたは、かすかに、ゆっくりと、開かれている途中であって、ここが一体どこなのか、昨日からの記憶をたどる必要があった。



 した、した、した、した。



 耳を伝って、なにか液体の垂れる音が聞こえた。



 した、した、した、した。



 全身の筋はこわばり、彼の手のひら、足の裏に至るまで、まるで小さなひきつれを起こしているかのようだったが、だけれど、それらはまったく動く気配もない様子で、どこかに張り付けられているようだった。



 した、した、した、した、

 した、した、した、した。



 重いまぶたがようやく開き、彼は自分がどこにいるかを想い出した。彼の目の前には、依然として四人の男と二人の女の死体が転がり、彼らの血で床はどす黒い赤へと変わっていた。



 した、した、した、した、

 した、した、した、した。



 きれいな赤いしずくが数滴、床に届き跳ね返るのが見えた。あれらもそのうち、どす黒い赤へと変わるのだろう。



 した、した、した、した、

 した、した、した、した、

 した、した、した、した、

 した、した、した、した。



 あのしずくは、身体を伝って落ちた彼の血であり、彼は依然、隔離ルームの天井に、手足をしばられ口を閉ざされ、張り付けにされていた。



(続く)

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