その5
ヒュッ。
と小さく風を切る音とともに、オフェリア・モンタルトのフォークとナイフがそれぞれ牧師と弁護士の首もとへ向けられた。
「?!」弁護士はおどろき、その巨体を後ろにのけ反らせたが、彼女のナイフはすでに彼の頸動脈を捉えていた。まさかファミレスのナイフで首が切れるとは想えなかったが、そのナイフは不気味な光を帯び、彼の身体は死の恐怖を感じていた。
「ふん」と彼女は鼻を鳴らすと、今度は牧師の方を見た。彼女のフォークは、こちらも彼の頸動脈を見事に捉えていた。が、しかし、
「――Pontio Pilato, crucifixus, mortuus, et sepultus, descendit ad infer……」彼の祈りは続いていた。止めるつもりはないようだった。
「コ、コスタ夫人……」弁護士が言った。ようやく。蚊の鳴くような声で、「ぶ、無礼、があ、あったのなら、あ、謝ります。どうか、ど、どうか、ナ、ナイフを……」
「ふん」ふたたび彼女は鼻を鳴らすと、フォークとナイフを彼らから離した。「モンタルト」彼女は言った。「ミセス・オフェリア・モンタルト」そのままソファに座り直した。「で? 私になんの用なの?」
いつもなら、彼女が殺意を見せた瞬間、小うるさいマリサの声が聞こえて来るところだが、いまはまったく聞こえなかった。不思議に想いつつ、彼女は続けた。
「誰かを殺すの? それとも誰かを誘惑するの?」
「あ、いえ」弁護士は答えた。汗をふき、呼吸を整え、「それは後日、天台さんの秘書の方から――」
「ふん」オフェリアは応えた。「応じるかどうかは報酬次第だけどね」それから牧師を目で差しながら、ふたたび、「あと、こいつは一体なんなんだい?」
*
「彼は、その国では並ぶものない歌い手だった。ギター片手に、両脇にはコーラスを、バックにはダンサーを従えて。その国に伝わる様々な物語を弾き語ってくれるんだ」
ミスターの話は続いていた。どうやら彼は、裸同然の姿で女性たちに連れ去られたあと、なんやかんやのテンヤワンヤの末、例のお姫さまに気に入られると、そこの王さまにも気に入られ、そこのお妃さまにも気に入られ、いまは客人として王宮の宴に参加しているところだった。
「最初の歌は、その国の女神と人間のラブロマンスだった。コメディ風味のね。女神のお父さまは人間ぎらいで、自分や娘に人間が近付くだけでそいつに雷を落としていた。だから彼らは父親に見付からないように――」
と、そんな彼の話を、この家の住人・樫山詢吾は笑って聞いていた。もちろんあくまで創作、ホラ話としてだが。マンガのネタにでもなればラッキーだし、ただただ彼の話しっぷりが面白いというのもあった。
「そうして、彼女たちの踊りが終わると、さっきの師団長――僕を逆さ吊りにした女の人ね――がやって来て、僕に大振りの太刀を持たせた。「客人よ、まずは先ほどの無礼をお詫びしたい」ってね。その大太刀は王様からの贈り物だったんだけど、柄のところには銀の装飾が――」
そうして、山岸まひろも、そんな彼の話を笑いながら聞いていた。ただ、彼女の場合は、それをまったくの創作、ホラ話としては聞けなかったけど。テーブルの上には、詢吾が用意してくれた軽い食事が置かれ、まるで彼らは――詢吾とまひろは、親戚の風来坊の話を聞く兄弟、家族のように見えた。
「それから、最後に王さまが頼んだのは、一人の少女と、黄金髪持つ時の女神の物語だった。女神が少女を家へと送り届けるまでの長いながいおとぎ話。そのクライマックス部分。歌い手は先ずは王さまに、それから僕ら観客に一礼ずつするとこう言って歌い出した。『歌の女神デナンダよ、私にかの少女の物語を語って下され。蒼くも青い故郷を追われ、流浪の旅に明け暮れた、かの氷種黒曜石の瞳持つひとりの少女の物語を――』」
どうして彼がこのお話を彼らに語って聞かせたのかは不明――いや、ただただまひろに、少しでも長く、この家の雰囲気を味あわせてあげたかっただけなのかも知れない。なぜなら、それが証拠にいま彼は、周囲の空間にちょっとした細工を加えてもいたのだから。
「いっやあ、やっぱりデントさん、お話作りの才能ありますよ」詢吾が言った。笑って。もらい物のナツカンをデザートに出しながら、「今日のお話も最高でしたし、なんてったって臨場感がちがいますもんね。まるで本当に体験して来たみたいに話すんですもん」
「うん? 僕のお話はいつも本当にあったことだよ?」ミスターは応えた。「みんながそれを、忘れているだけでね」
「またまたあ」とふたたび詢吾はわらい、「ま、でも、ほんとすごい才能ですよね。これだけ長いお話なのに全然時間を感じさせ――あれ?」と続けて首を傾げた。
と言うのも、壁に掛かった時計を見るとそれは、ミスターが話し始めてから三十分と針を進めていなかったからである。
「あれ?……、え? でも……?」
改めて窓の外を見てみても、そこはようやく、夕闇が拡がり始めたところであった。
「ところでさ、詢吾くん」とつぜんミスターが訊いた。「お父さんの本って、いまどこに?」
彼が仕掛けた「ちょっとした細工」。それは、彼らのまわりに、『タイムバブル』と呼ばれる亜空間を生成・展開することだった。この奇妙なバブルは、要は、『ドラゴン○ール』に出て来る「精神と時の部屋」、あれの簡易携帯改良版のような代物で、そのバブルの内と外で時間の進め方を変えてくれるという大変便利な秘密道具であった。
「親父の本?」詢吾が訊き返した。「それなら物置きと、姉貴の部屋にもいくつかありますが――なんでデントさんがそれを?」
「このまえヤスコちゃんに聞いてね」ミスターは答えた。「興味深いものも結構ありそうだったから、機会があれば見たいって想ってたんだ」
彼が『タイムバブル』を使った理由。そのひとつは、先述の物語と同じく、まひろに少しでも長くこの家の雰囲気を味あわせてやりたいということであり、もうひとつは、ここにいる間にヤスコとまひろを鉢合わせさせないようにという配慮であり、そうして更にもうひとつは、ヤスコと詢吾の父、エジプトで客死した昭仁が残した本や資料をじっくり見ておきたい、というものであった。そうして――?
*
「え?」
とそうして、件のヤスコは、そんな彼らのことなどまったく知らずに、おどろきの声を上げていた。石橋伊礼の事務所のソファで。いまにも立ち上がらん勢いで、
「あのバカ、そちらの妹さんにもご迷惑かけているんですか?」
と言うのも、この一時間ほどまえ彼女は、こちらの所長の石橋伊礼に、
「預言の力で、まひろさんの居場所を探して貰えないでしょうか?」
という結構な無茶ぶりをしていたからだし、そんな無茶ぶりに伊礼は伊礼で、
「あ、いえ、私の預言は基本ランダムなもので」とすぐにそれを断ろうとしたのだが、「そういう特定の人探しには使えな……あれ?」
と突然押し黙ると、ペンとノートを持って来て、
「すこし……お時間を頂けますか」といつもの預言者モード――と言うよりは、『半・預言者モード』のようになり、「なにか……? 見えたような気がします」
そうして結果、ヤスコの無茶ぶりに応えることになったからであり、且つ、その預言の内容と言うのが、
「すみません、ヤスコ先生」と伊礼に謝らせる類のものだったからである。「まひろさんと一緒に、何故か、ミスターさんの顔も見えたのですが……」
(続く)




