その1
「そこでようやく目が覚めたんだよ、ボールをぶつけられたところでね。バレーボールぐらいの大きさの真っ赤なボールだったんだけど、寝ている僕の顔にまっすぐ落ちて来て、バゴンッ!「うわ! なんだ?」って感じさ」
赤毛の男が喋っていた。安っぽい木のテーブルに座り、出された麦茶を飲みながら。ちょっと昔の旅の想い出を想い出しながら、楽しそうに。
「するとそこに、茂みの向こうから女の子たちの声が聞こえて来たんだ。「ごめーん、あったー?」とか、「こっちであってますよねー?」とか、「もっと右の方じゃないー?」とか、そんなこんなを話しながら。
すると、そのうちのひとりがガサガサガサガサ。茂みをかき分けながらこっちに来るわけだ。どうやらボールは、彼女たちの誰かが間違ってこちらに投げ込んで来たものらしかった。
こっちはびっくりだよ。ボールをぶつけられたこともそうだったけど、なにしろそのとき、全身まっぱだかだったからね、ぼく」
「“全身まっぱだか”?」とここで彼の話相手は訊いた。「どうして? どうして全身まっぱだかだったんですか?」
「さっき話しただろ?」男は答えた。「二日二晩荒波にもてあそばれたって。そのとき海の野郎に根こそぎ服を持って行かれたってわけだけど……って、ま、そういう意味じゃあ、全身は言い過ぎかな。下着が一枚、かろうじて残っていたから。だけど、それでも若い女の子たちから見たらまっぱだかみたいなもんだろ? その下着も所どころ破けてたしね」
「なるほど」相手が応えた。苦笑しながら、「警察に突き出される案件だ」
「そうそう。だから急いで起き上がってさ、茂みの中をサササササッと移動したんだ。見付からないように。ほら、前の晩に僕が打ち上げられた河口の方に向かってね。そこなら水の中に隠れることが出来るからさ」
「なるほど」
「だけどこれが逆効果でさ。どうやらみんな狩りの素養があったらしくて、「なにかいます!」って先ずはボールを探しに来た子が言って、「右に逃げたわよ!」とか「けっこう大きいわ!」とか「きっと※※だわ!」とか、手に手に棒とか枝とかを持って追いかけて来るわけだな。「右に回って!」とか、「河に追いつめるわよ!」とか。
そしたらなんだか急にこわくなっちゃってさ、獲物に間違われるのもそうだけど、こんな格好で彼女たちの前に出たらなにをされるか分かったもんじゃない。それくらい血の気の多い子たちに見えたんだ。
で、まあ、とにかく走りに走って、必死の想いで河にドボンッと飛び込んだんだけど、そしたらそれを追うように――」
と、まあ、こんな感じに、我らが赤毛男ことミスターの、ウソかホントか分からない、ホントかウソかも分からない冒険譚はまだまだ続きそうなのだが、ここで、
ガラ。
とキッチンの扉が開き、ひとりの女性――と言うか、見た目はやっぱり立派な青年男子だが――山岸まひろが入って来て、彼のお喋りはここで中断されることになる。
「あ、まひろくん。おかえり」とミスターが言って、
「大丈夫ですか?」と彼の話し相手は訊いた。「よかったら何か飲みます? って言っても麦茶くらいしかありませんけど」
「あ、すみません。大丈夫です」まひろは答えた。それでもまだ目は赤かったが、「あ、でも、麦茶も頂けるなら……えーっと?」
「詢吾です」話し相手は答えた。木のテーブルから立ち上がり、「樫山詢吾。あ、どうぞ、適当に座っていて下さい。いま麦茶と……そうだな、編集さんに貰ったクッキーがあったから、あれも出しちゃおう」と言って流し場へと向かって行った。
と、言うことで。
前回第十三話のラストでは、まひろとミスターが、お手洗いを借りるため『壁』から出て来たところで終わっていたが、
「でもびっくりしましたよ」と彼、麦茶を入れる樫山詢吾の言葉からも分かるとおり、「三日ぶりに家に戻ったら姉貴はいないし、トイレの中ではデントさんが叫んでいるし(注1)、トイレットペーパー取りに行ったら洗面所では山岸さんが――ほんと大丈夫ですか? おなか痛いの」
ここは、彼と彼の姉ヤスコが暮らす例のオンボロ一軒家、東石神井台の片すみに建つあの小さな小さなお家であり、主人のヤスコは現在不在、トイレにゃ奇妙なエイリアン、洗面所には見知らぬイケメンが、しかも泣きながらうずくまっており、普通の人なら、ここで彼らを追い出すか、110番でもするところなのだが、この樫山詢吾という男は、問題の赤毛男を筆頭に、奇妙な訪問者には慣れっこになっていたし、また、たいへん心根の優しい青年でもあったので、先ずは泣き崩れるまひろを心配し、次に久方ぶりの再会となるミスターの長話をイヤな顔せず聞いてやっていたわけである。
「はい。どうぞ」詢吾は言った。麦茶とお菓子を出しながら、「無理そうだったらクッキーはいいですからね、食べなくても」
「あ、いえ、頂きます」まひろは答えた。腹痛と言ったのは、咄嗟に付いたウソだった。「ありがとうございます」涙の理由は結局、彼女にもよく分からなかったが、なんだか彼に悪いような気がしていた。「ありがとうございます。詢吾さん」
彼女のこの態度と言葉に詢吾は、すこし小首を傾げると、
「あのー」と自身の中を探るように言った。「ひょっとして……」と。
がしかし、彼が彼女に「前にどこかで会っていますか?」と問うよりはやく、
「ねえねえ、それより詢吾くんさ」とミスターがその問いを止めた。「話の続きを聞いてくれよ、ここからがいいとこなんだからさ」
きっとミスター的には、彼と彼女の再会を祝してあげたい、出来れば記憶を戻してやりたい、そう考えたのかも知れないが、それでもそれは、これから始めるまひろの修行や、その後に続く彼女の試練を考えた場合、やはりまだ早すぎる、そう判断したのでもあろう。彼は続けた。
「だってさ、僕を追って来た彼女たちのひとりってのが、実はその国の王女さまで、彼女たちに捕まった僕は、そのまま手足を縛られ、逆さ吊り状態で彼女たちの都へと――」
そうして――?
*
「それで?」と敏腕弁護士は訊いた。100kg越えの巨体を軽く揺らして、「もうひとりの方のお名前は? なんとお呼びすれば?」
彼の前には今、小エビのサラダとほうれん草のソテー(どちらも大盛り)、チキンのチーズ焼きとイタリアン風ハンバーグ(これらも大盛り)、それにビッグサイズのフォッカチオと大盛りのライスが置かれていた。
「もうひとり?」マリサ・コスタは訊き返した。しかめそうになる顔をどうにか止めて、「なんの話ですか?」
彼女の前には、まだ開けられていない炭酸水のボトルとグラスだけが置かれていた。ここは、彼女が勾留されていた石神井東警察署から1kmと離れていないファミリーレストラン、その窓際テーブル席である。
「ほんとうにそれだけでいいんですか?」巨大な弁護士は訊いた。彼女の質問には答えずに、「どうせ経費で落とせますし、頼まないと損ですよ」
マリサが料理を注文しなかった理由、それは――別にここのチェーンを否定するつもりもないが――自分たちの店の味と比較した場合、どうにもそれらに手を出す気にはなれなかったからである。が、そんな彼女の答えも待たずに弁護士は、
「ほらほら、神父さまも」と隣にすわる『牧師』に語りかける。「そんなパンだけじゃ物足りんでしょう。このチキングリルなんか結構いけますよ」
牧師の前には、何もついていない、薄切りのパンと乳酸菌飲料だけがあった。彼は、「いえ、私は結構」というジェスチャーだけで問いに答えると、改めて両手の指の先と先とを合わせ、なにやらブツブツブツつぶやき始めた。自分一人の世界へと沈み、マリサも弁護士もまるでいないかのように扱う。何故なら彼の仕事は、食事をすることでも、会話をすることでも、ましてや弁護士の誤りを正すことでもなかったからである。
「まったく、禁欲的なお坊さまだ」弁護士は言った。半分に切ったハンバーグをそのまま口に放り込み、「あなた、おひとりじゃないでしょう?」とふたたびテーブルに置かれたメニューを眺めた。「警察官を打ちのめし、あなたをお家に帰れなくしているのはその方だ」
「え?」マリサは訊き返そうとしたが、
「ご安心ください」とそれに構わず弁護士は続ける。「神父さまがいらっしゃいますからね」
牧師は構わず引き続き、含み声でなにやら祈りのようなものを上げていた。
「この話は、誰にも、どんな方にも聞かれませんから」弁護士が言った。「いらっしゃるんでしょ? あなたの中にもうひとり。その方とお話してくるよう頼まれたんです。私たち。天台さんから」
(続く)
(注1)
アーサー・フィリップ・デントは地球の人。英国ロンドンの出身と言われているが詳細は不明。背は高く、髪は黒く、生まれてこのかた、寛ぎというものを知らなかった。が、その寛ぎの知らなさは、彼が三十を過ぎたころ、銀河バイパス建設の影響で地球が破壊された後で加速度を増した。地球人類最後のひとりとなってしまったのである(後にもうひとり生き残っていたことが判明)。
ヴォゴン人に宇宙に投げ出され、頭ふたつに手が三本の銀河大統領に殴られいじめられ、核ミサイルに追われていると想ったら、それらをマッコウクジラとペチュニアの花瓶に変換、パラノイアロボットに感動を邪魔され、ネズミ姿の高次元生命体に脳みそを奪われそうになるデント氏。なんだかんだのすったもんだの七転八倒の末、地球が復活したり、とってもキュートな恋人が出来たり、やたらとキツイ女の子の父親になったり(母親は恋人とは別の女性。と言うか、とってもキュートな恋人は別の宇宙に飛んでっちゃったし、その母親とは付き合ったこともなければ子供が出来るようなこともしていないのだけれど、この辺は書くと長くなるので、天才ダグラス・アダムスの傑作小説『銀河ヒッチハイクガイド』シリーズ第五作『ほとんど無害』を参照下さい)、かと想えば再び地球が破壊されて、改めて宇宙を放浪することになったりする。
と、まあ、そんな感じで大変不遇なデント氏なのだが、そんな彼の物語が地球で実写映画化された時のビジュアルというのが、我らが赤毛エイリアンに大変よく似ており、実際本人も、今の身体に若草色のバスローブをあてがわれた自分を見て、「これじゃあまるで、ミスター・デントだ」とこぼした程であった。三代前の身体のときに行った惑星ラミュエラで、サンドイッチをご馳走してくれた彼の下手くそな笑顔を想い出したからである。
であるが、どうしてこんなどうでもよさそうな話を長々書いているのかと言うと、彼の本名が地球人には発音しづらいどころかほとんど聞き取れないというのは前にも書いたとおりであり、だからと言って、いつものように『ミスター』で通そうとすると、
*
「あ、姉貴のお知り合いですか?」
「あ、君が例の弟さんか。ヤスコちゃんから話はよく聞いてるよ」
「ええ、はい、詢吾ですが……えーっと?」
「え? ああ、ごめん、ごめん。僕の名前はミスター。よろしくね、詢吾くん」
「ミスター……さん?」
「そうそう。お姉さんとは、彼女がまだ小さい頃からの知り合いで――」
「へー……あの、すみません」
「なんだい?」
「ミスター・『誰』さんなんですか?」
*
みたいな?
何故だかみんな流しているが、普通の人なら右のような、英国BBC製作の超人気SFドラマがしているようなやり取りが発生するわけで、そんな時は仕方なく、想い付いた地球人の名前を借りるようにしているわけで、この時、樫山詢吾と初めて会った時、彼は咄嗟に、惑星ラミュエラ在住のサンドイッチ職人の名前を想い出しそれを拝借、いまに至る……ということであった。
うん。なっがい脚注、失礼しました。




