その11
「すみません。両手を見せて頂けますか?」小張千秋が訊いた。
すると女性は、その細く長くきれいな指を大きく開いて彼女に見せた。掛けられた手錠がジャラジャラと鳴った。
「あ、すみません、コスタさん」小張が続けた。「見たいのは手の外側です」自身の手の甲を相手に見せながら、「こっち側です。分かりますかね?」
ここは、彼女が長を務める、そうしてマリサ・コスタが殺人の容疑と公務執行妨害で身柄を拘束されている石神井東警察署、その取調室である。
二十名近い男性警察官が美貌の人妻にメッタメタのギッタギタのケッチョンケッチョンにされたというニュースは、やられた当事者たちが堅く口を閉ざそうとしていたにも関わらず、そのボッロボロの見た目や容疑者への態度、それにその中の一人が右のタ○タ○をつぶされ救急搬送された事実なんかもあって、またたく間に署内を行ったり来たり、面白そうなニュースはいっつも最後に聞かされるはずの小張の耳にもすでに届いていた。そうして、
「うっわ、ほんとに美人さんだあ」とキレイなお姉さまには目のない彼女と、
「すみません、俺たちイタリア語とか全然で」と常に外国人には及び腰の石神井東署署員のヘタレっぷりなんかもあって、彼女、マリサ・コスタの取り調べは、署長の小張自らが行うかたちになっていた。
ちなみに。小張はなんと六ヵ国語を操る才女だが、マリサさんの日本語があまりにも流暢だったため、彼らのやり取りはすべて日本語で行われることになった。「何故こんなご都合主義的展開になるのだろう?」と毎回いぶかしく想われる方も相当数居られるかとは想うが、これはもちろん、作者の語学知識が中学生レベルで止まっているためであることは火を見るよりも明らかなので、その辺についてはいちいちツッコまないのが、賢明な大人の態度というものであろう。小張がうなった。
「うーん?」と差し出されたマリサの両手を手に取って、「きれい……過ぎますよね?」
とそれから今度は、マリサの顔をしばらく見、「これは?」と自身の頬を突っつきながら、「うちの署員がやったんですか?」
キズ・シミひとつない彼女の顔には不釣り合いの、殴打の痕が、そこだけはっきり残っていたからである。
「いいえ」マリサは応えた。小張の視線から目を逸らした。
「でもでも、けっこうなキズですよ?」続けて小張が訊いた。「どなたにやられたんですか?」
この殴打痕はもちろん、彼女がオフェリアに身体を奪われていた間に、ペトロの拳を受けて出来たものであるが、二十人近い警察官とあれだけ派手な立ち回りをしておいて、どうしてこの傷しか出来ていないかの説明はむずかしい。マリサは黙った。
「…………」と考えをめぐらせながら。すると、
「うーん?」とふたたび小張はうなり、それから、「ハザマさん?」と後ろに立つ刑事に訊いた。「ご家族と連絡は?」
「旦那さんがいらっしゃいますが」刑事は答えた。手にしたノートを確認し、「ちょっとつかまらないようで、まだ連絡は取れていません」
「そうですか」小張は言った。なにか奇妙な直感があった。「それではもう少し、連絡を取るのを待って頂けますか?」
*
「ああ、ちょっと待って下さいよ」木花エマが言った。例のトンチキ宇宙人に、「ヤスコ先生に連絡入れないのは分かりましたけど、それなら先にお金払って下さいよ、お金」
「お金?」トンチキ宇宙人が訊き返した。「なんの?」ととぼけた顔で。
「あー、もー」エマは言った。どうやら彼とはそりが合わない様子で、「それですよ、それ」とイラつきながらコンコンチキチキのお腹を指す。「手間賃はさておき、材料費は出すって約束ですよ」
と、言うことで。こちら場面変わって、開店前の喫茶『シグナレス』。
「お腹が空いて力が出ないよお~」
と満腹ふとるみたいなことを言い出したエイリアンのため、急遽呼び出されたエマちゃんが彼に大量の食事を提供したのは前回書いたとおりであるが、なにしろこの(日本政府の無策による!)食料品高騰が続く昨今、気になるのは世界の命運よりも、立て替え払いでふっわふわに軽くなった自身の財布である。
「払えるんなら今すぐにでも払って欲しいんですけど」と画学生のくせに絵の具も買い控えしているエマちゃんは言います。「それがダメならヤスコ先生に連絡入れて代わりに――」
するとエイリアン、よほどヤスコに連絡を入れられては困るのか、
「ああ、待って、待って」と腰のポーチをゴソゴソゴソ、「ちょっとうっかりしていただけで、もちろん代金は払うよ――って、あれはどこに入れたんだっけなあ?」
ちなみに。彼のこのウェストポーチは四次元空間へと繋がる特殊なポーチで、ほぼほぼ無限に物体を収納出来る大した優れもので、その見た目も機能も、まるであの国民的大人気マンガの、あの国民的なんとか型ロボットがいつもお腹に着けている、あの誰もが知る国民的ポケットのパク……そっくりな代物であった。であるからして、こちらのポッケも、あちらの秘密のポッケ同様、小まめに中身を整理しておかないと――、
「えーっと? あ、あったあった。テッテレ~……ちがった。これは非常時用に残している、うさぎやさん(練馬区富士見台)の栗ようかんだった」とか、
「えっと~? たしか~? こっち……あ、あったあっ……いやいや、これはイヴに頼まれて預かってるホープダイヤの本物だった」とか、
「あっれー? ほんと、どこに入れたんだっけなあ…………、あれでもないし、これでもないし……、こっちは探したし、あっちも探……あっ! ……ちがうちがう。これは『地球破壊爆弾(携帯カイロ型)』だった」
みたいな?
どこになにを入れたのか入れた当人にも分からなくなるほど広いし、入れているものの中には結構物騒なもの(独裁実行トランプとか、ポータブル宇宙製造機とか、ひと口飲んで全て忘れるカクテルとか)も入っているようだし、それよりなにより、このままこのバカのペースに合わせていると話がいっこう進まない。なので――、
「ね、ねえ」と八千代ちゃんもエマちゃんにそう伝えます。「あの人まってたら長くなりそうだしさ、また後日にしてもらったら?」
が、そんな気づかいはお構いなしなのがこのバカのバカたる所以で
「お! あったあった!」と突然叫ぶエイリアン。「これこれ! こんどこそ見つけたぞ!」とようやく取り出だしたるは、「テッテレー! 『かっなりおっきなルビー』」
……は?
「今回の報酬の先払いでいくつか宝石をもらったんだけどさ、ほら、僕、こういうの興味ないだろ? 現金の持ち合わせはないし、君たちにはこれからもお世話になるし、これで何とか我慢して貰えないかなあ?」
……って、ミスター……、こ、これって……、
「ほ、ほ、本物? ですか?」
とエマちゃんも驚くとおり、ぱっと見10カラット(約2g、直径約1.4cm)はあるし、色は濃いし、内包物も全然見えない見事なルビーだけど……、
「もちろん本物だよ」とミスター。「今回の依頼主は本物しか扱えない存在たちだし、彼らが持っていた物から直接くれたからそれは間違いないだろうし、きっと今回は呪いの類も掛けられてはいな――」
「で、で、でもでも、でもでもでもでも」とエマちゃん。バカのセリフを断ち切りながら、「だったら相場は……」とスマホを取り出しテトテトテト、「きっとA、いやSランクでもおかしくないか…………キャーッ!!!」
とそうして彼女の態度は一変。ニッコニコ笑顔でホックホクしながら、取って置きの高級チョコアイス(お客さまから貰ったもの)なんかも奥から取り出して、彼の肩など揉みながら、話をようやく本題に戻す許可を与えてくれたのでした。
「なんだい。それじゃあまだ、なんにも知らないのと同じじゃないか」とミスター。アイスのお皿を舐めながら、「こまったなあ、タイムライン的にはもう少し進んでいると想ってたんだけど……」
彼はいま、八千代ちゃんとエマちゃんから、ここ最近彼女たちに起きたこと――世界が終わる夢、全裸で落ちて来たおっさん、石橋さんの死の預言に森永さんが殺されたこと等々――を聞き終えたところであったが、
「うーーーーーーん?」と腕組み、しばし黙考。「いや……だからこの時間に僕が来たのか?」そう呟き、改めて前のふたりに目をやります。
きっと、森永久美子の一件が尾を引いているのだろう、気丈に振る舞ってはいるものの、八千代はいつもよりずっと暗い――というか切羽詰まった感じがするし、エマはエマで、そんな彼女を気づかっているのか、刺激しないようにと距離を置いているのがよく分かる。
「こまったなあ」と今度は、こころの中だけでつぶやくミスター。「彼女が“あっち”に振れたら、きっと誰にも止められないよ」
とそのため彼は、組んでいた腕を解くと、それをそのまま口もとに当て、さらにしばらく考えた後、
「うん。よし」と今度はきちんと声に出して言った。努めて明るくなるように、「でも、まあ、それも仕方ないよ。八千代ちゃんの能力はあくまで『この宇宙』のものだし、君たちふたりとも『転生者』ではないからね」
「は?」とエマが訊き返し、「『この宇宙』?」
「『転生者』?」と八千代も訊き返そうとしたところで、
「うん。よし」そうミスターは言った。ふたたび、努めて明るい声になるように、「先ずは力の制御から。修行の時間だよ、八千代ちゃん」
(続く)




