その7
小張千秋の捜査スタイル、推理方法というものは、ある意味大変合理的であると同時にある意味大変素っ頓狂でもあった。
彼女は、物的証拠はもちろん尊重しつつ、と同時に、事件関係者らの何気ない会話や行動にも力点を置き、各々の人物の思考傾向・行動傾向から彼らの心理を分析、これらを組み合わせた推理でいくつもの難事件を解決して来た――とだけ書ければ簡単なのだが、そうは問屋が卸さないのが、現代社会というか、彼女のところに落ちたり舞い込んだりする事件の面倒なところであった。
ホームズやポワロの時代に比べて世界はよりややこしくめんどくさく、時間と空間もそれに輪かけて、より“くんにゃらがりにくんにゃらがり”して来ており、さらに一番の問題は、ドイルやクリスティの頭脳に比べると、この作者の頭脳は幼稚で、明晰さに欠け、適当で、取っ散らかっており、そうしてなにより、登場人物たちの善意や努力やキャラクターに依存し過ぎているのである。
そう。そのため小張千秋の思考スタイル・捜査方法も、これら理不尽に対抗するため、先述の物証主義・心理主義に加えて、敢えて言葉にするのなら『直感主義』といったものにも重点を置くことになっていたし、それが、これまで彼女が直面して来たいくつもの難事件を解決するキーとなっていることも確かであった。はた目にはある種素っ頓狂な彼女に見えたとしても。
そう。そうしていま彼女は、その『直感』というヤツを必死で立ち上げようとしていた。珍しく署長室にこもって。あまりに奇妙な二つの案件に関し、壁に貼られた二枚の地図の、その中間辺りに真っすぐ立って。
そう。向かって右側の地図は、東京を中心とした関東圏の地図で、そこには灰色のマップピンが、一種螺旋を描いているようにも見える形で、それでもきっとランダムに、いくつも刺されていた。
そうして、向かって左側の地図は、石神井公園を中心とした練馬区及びその周辺の地図で、そこには赤とピンクのマップピンが、こちらはそれこそランダムとしか言えない取っ散らかり方で押されていた。
灰色のピンは、警察本庁より教えてもらった『GQ』その他の名前で呼ばれる連続殺人鬼――我々の知っている名前で呼ぶなら灰原神人――が起こしたであろう、そう想定される殺人現場の位置を、ピンクのピンは、ここ数日、練馬区周辺で起きた火災現場を、赤のピンは、その各火災現場周辺で正体不明の青年が目撃された場合の位置を示していた。
もしもこの地図が、時間軸も同時に視覚化出来る地図であったとしたら、この赤のピンはより“くんにゃらがりにくんにゃらがり”して見えたのかも知れないし、それが出来れば逆に、小張千秋の『直感』は、もっと簡単明瞭に、機能したかも知れなかったが。
そう。小張千秋の捜査は行き詰っていた。物証的にも行動心理的にも、ついでに言うと確率時空間的にも。
先名かすみ殺害事件の犯人を祝部優太の会社? グループ? が連れ去った? 匿った? という彼女の直感は――我々はそれが正しかったこと知っているが――なんの物証もなければ、優太以下関係者の言質を取ることも出来なかったため――、このままお蔵入りしそうになっていたし、
また、現在逃走中の戸柱恵祐については、最初の取り調べで母親殺しを認めはしたものの、その最中に忽然と姿を消し、その後はアトランダム・行き当たりばったり的に、問題の各火災現場に姿を見せているだけのようであった。
彼の能力を目の当たりにしていた小張は、これらの火災もきっと戸柱が原因だと直感しており、それはもちろん正しかったのだが、それを第三者に説明出来るだけの証拠はなく、また、仮にそれを説明出来たとしても、今度は、どうして彼がこれだけの放火をくり返すのかを説明出来るだけの心理的根拠がなかった。「能力が暴走しているから」と言ってしまえばそれだけだが、であれば、彼を見付け、説得し、暴走を止めさせなければならない。が、先述のとおり、彼の出現≒火災の発生場所には法則性が見出せない。
「むーーーーーん?」小張はうねり、また改めて二枚の地図を見比べた後、しばし呼吸を止め、そのまま両手をバンザイのかたちに伸ばそうとした。とここで、不思議なことに、想わぬところから、回答へのヒントと言うか、その補助線が運ばれることになった。
と言うのも、彼女が長を務める石神井東署の署員複数名――彼らはいずれも、屈強を持って知る名うての警察官だった――が、ほっそい美人の外国人のお姉さまひとりに、ケッチョンケッチョンのボッロボロのメッタクソにやられて戻って来たからである。
と言ったところで――、
*
ガリガリガリガリ。
ムシャムシャムシャムシャ。
モグモグモグモグ。
クチャクチャクチャクチャ。
「ねえねえ、ヤッチ」
「うん? なに? エマちゃん」
パクパクパクパク。
ボリボリボリボリ。
ムシャムシャムシャムシャ。
バリボリバリボリ。
「取り敢えず来てって言われたから来たけどさ」
「うん、ごめんね、突然。でもこの人たくさん食べるしさ、私の料理でなにかあっても困るし」
「あ、いや、そこは、ヤッチにしては賢明な判断だったと想うけどさ(注1)――ほんと連絡入れなくていいの?」
ガリガリ、ムシャムシャ。
ガリムシャ、ガリムシャ。
ムシャムシャムシャムシャ、
ムーシャムシャムシャムシャムシャ。
「連絡? って、樫山先生に?」
「うん。材料費は出してくれるって言ってるからそれはいいんだけどさ、あの人ってやっぱほら、あの人じゃん。保護者っていうか、ブレーキ役にはいて貰った方がよくない?」
モグモグモグモグ、モグモグモグ。
モーーグモグモグ、モグモグモグモグ。
「でも、樫山先生には連絡しないでって言われてるし」
「だからそこもさ、余計にあやしいって言うか、こわくない?」
「うーん? でも、今回来たのは私たちに話があるからだって言ってたし」
「でも、だったらだったで、さっさと話を始めてもら――って、ちょい待ち。私“たち”?」
と言ったところで。
すでに皆さまお気づきのとおり、こちらは、場面変わった街の小さな喫茶店、青い扉の『シグナレス』。今話の(その4)で、ケヤキ広場で泣いてた八千代ちゃんと、そんな彼女の前に文字通り落っこちて来た赤毛エイリアンの続きとなりますが、どうして場所が移動し、しかもエマちゃんまで登場させられているのかと言うと――、
*
「うっわぁああぁあああああああ」と落っこちて来た彼に対し、
「ミスター……さん?」と彼女が声を掛けたところ、
「あれ……? 八千代ちゃん……?」と最初は戸惑っていた彼ですが、
「どうしたんですか? と言うか、大丈夫ですか?」と続ける彼女の声にいつもの陽気さがないこと、また、ついさっきまで泣いていたであろうことに気付くと、
「あっ、今度はそのタイミングか」と突然理解、「いや、君とエマちゃんに会いに来たんだよ」
と、よろよろヨタヨタ立ち上がろうとして、
ぐっ、ぎゅっ、ぐるるるるるるるる~~~。
と大きくお腹を鳴らしたからなんですね。
「ごめん。なにか食べるものないかい?」と。「ここ何日も食べてなくてさ、お腹ペコペコで死にそうなんだよ」
*
みたいな感じで?
八千代ちゃんも彼の食欲は知っていましたし、普通の食堂やレストラン、あるいはコンビニやスーパーのお弁当で彼の食欲を満たそうものなら、それはもう金銭的に大変なことになる。そこでエマちゃんに電話で相談、開店前の『シグナレス』を開けてもらい、彼女に料理をお願いした――ということらしいのですが、
「いっやあ、食べた食べた」と我らが赤毛エイリアン。パッツパツになったお腹をポンポコ叩きながら、「すっごく美味しかったよ、腕を上げたねえ、エマちゃん」
「はあ」とこちらはエマちゃん。とにかく安くてかさばる食材を味付け濃くして提供しただけだけれど、「まさかホントに完食するとは……」と、改めて彼の食欲に圧倒されているところであります。
ちなみに。このとき彼女が提供したのは――って、それ不破さんの時にもやったからまあいいか――ってことで、やっとと言うか、いよいよ本題なのですが、
「ってことで本題なんだけどね」とミスター。冷たい麦茶をゴクゴク飲んで、「君たちのタイムラインは、いまどんな感じに、“くんにゃらがって”いるんだい?」
(続く)
(注1)
佐倉八千代の料理の腕前。これはかなり壊滅的なものである。
それはもう、樫山泰士作品の他のヒロインたちが総じて食いしん坊的お料理上手な中で「どうして彼女だけ?」というくらいに壊滅的に壊滅的である。
であるので、この件について書くだけでも軽めの中編小説が三本くらいは作れるのだが、いまの私に、そんなものを書いている余裕もなければ時間も紙数もないので、ここは、そうだなあ、その代表的な例をふたつほど上げるに止めてお茶を濁しておきたいと想う。そう。それらはつまり、
『「ひと口ハンバーグのトマトソース煮込み」を作ろうとして上石神井の人口を半分にしかけちゃった爆発未遂事件』
『エマちゃんにあげようとした手作りバレンタインチョコを電車に置き忘れたところ、それが回りまわって爆弾テログループのお口に入って全員気絶、そのため都庁を狙った爆弾テロは未然に防がれ、一命を取り留めた爆弾犯らも全員改心(天国を見ちゃったらしい)、組織は解散、いまではみんな善良な練馬区民として真面目に働いているけど、もちろん、そんなことがあったとは、八千代もエマも気付いていない事件』
の二件であるが、これらふたつのエピソードは、八千代のお料理壊滅エピソードの中でも大体60~70点レベル(100点満点中)の壊滅エピソードでしかないので、その他の、これらよりももっとひどい、壊滅的壊滅エピソードの壊滅さ加減については、この点数から各自ご想像頂ければ幸いであるし、別に八千代も悪気があってやっているわけではないことは、ここに書き添えておこうと想う。私もお正月のお汁粉とお雑煮をご馳走になって死に掛けたけど許したので。




