その2
『さあ行こう青空の彼方へ、
太陽へ向かって高く昇れ。
さあ行こう青空の彼方へ、
今こそ敵を薙ぎ払うんだ。』
クラスのメンバーと一緒に、寮のロビーで、天の底が抜けたような雨を見ていた。選ばれたのは四人。三十四人――いや、ひとり欠けたから三十三人――のうちの任意の四人。もちろん自分から手を挙げるようなバカはいないので、席が近いとか、名前が近いとか、同じ班にいただとか、そんな適当な理由で教師が選んだ四人だった。
「同じクラスの仲間だったんだぞ」と教師は言ったが、おまえはその同じ口で、「成績を上げろ」と言っていたんだぞ? 「仲間を蹴落としてでも」だとか、「まわりの奴らはみんなライバル、敵だ」とか、なんとかかんとか――クソ野郎が。
『さあ行こう青空の彼方へ、
炎にまみれて急降下しろ。
さあ行こう青空の彼方へ、
地獄の雄叫びを轟かせろ。』
部屋着姿の奴らが何人か、ロビーのベンチに座る俺たち四人の前をとおり過ぎて行った。制服姿の俺たちを、葬式に向かう俺たちを、まるでそこにいないかのように無視をして。
カチャリ。
ロビーの横の寮監室のドアが開いて、例の教師が出て来た。ここの寮監長と一緒に。喪服を着ているのは教師の方だけだった。寮監長は葬儀に出ないし、出しては貰えない。
自衛隊出身のこの感激屋は、「仲間のひとりが」とか「同じ釜の飯を」とかなんとかかんとか、目に涙を浮かべながら、今回の件に大変胸を痛めている様子だったが、こいつはやはり、俺たちが日々置かれている立場も、彼らが日々なんの片棒を担いでいるのかも理解していなかった。よっぽど愛されて育って来たんだろうな――くそったれが。
『さあ行こう青空の彼方へ、
敵機が急上昇してきたぞ、
さあ行こう青空の彼方へ、
我らの雷撃をお見舞いしてやれ。』
*
「え? すまない。なんだって?」優太は訊き返した。なんだか雨が鳴っているような音がして、相手の声がよく聞きとれなかったからだ。「こいつの薬がどうかしたって?」
ここは、例の地下室――彼の会社の監視ルームで、『こいつ』とは、壁のモニターに映った彼らの監視対象者――目隠し、猿ぐつわ、拘束具をはめられた、灰原神人のことである。彼は眠っているように見えた。柱に縛り付けられたままの状態で。
「これ以上は危険だと言ったんです」相手の男性は答えた。彼は小柄で小太りでうす汚れた白衣を着ていた。「これ以上投薬を続けると死んでしまいます」
「能力は?」と優太。相手の男を一瞥し、モニターの灰原に目をやって、「こいつがかおるを、小紫をどうやって自殺させたのか、殺したのかは分かったんですか?」
白衣の男、この会社の研究員は答えた。小さく首を振りながら、「それが、まったく」
柱に縛り付けられた男・灰原が、なにがしかの能力を使い、優太の部下・小紫かおるに、銃で自分を撃つよう促がした、動かしたのは、前にも書いたとおりだが、その『なにがしかの能力』が一体どのようなものであったのかは、監視カメラの映像はもとより、心拍数や脳波その他の記録を見てみても、まったく見当すら付かない状態であった。男は続けた。
「データを見る限りでは、彼はただただ眠っていただけです。いまと同じように」
実のところを言うと、この研究員は、優太が確信を込めて言う「どうやって自殺させたのか」を少々懐疑的、留保付きで受け取っていた。
と言うのも、手もとのデータを見る限りでは、彼の下した「ただただ眠っていただけ」が間違っている可能性はあまりに低く、また彼は、どうしても、研究者目線・ラボベース目線から離れることが難しく、かおるや深山ら『能力者』と接触して来た経験も少なかったからである。
そう。彼は、優太や深山が肌感覚で捉えている灰原神人への恐怖、彼が『なにがしかの力』でかおるを動かした(かも知れない)ことへの得体の知れない不安が、どうしても理解出来なかったのである。
仮に何かが起きていたのだとしても、小紫かおるの失敗は、あの部屋の中に、あの男の近くへ、しかも銃を持ったまま、入って行ったからではないか? そう彼は考えていたし、そのため彼はこう続ける。ふたたび、
「これ以上投薬を続けると死んでしまいます」それから、「こちらにいれば大丈夫ですよ、祝部部長」と優太の更に上から言われた指示を想い出し、「薬の量を減らし、目を覚まさせ、彼から話を聴いてみては如何でしょうか?」
*
さて。
東京都立石神井公園在住のニレ科ケヤキ属落葉高木のひとり、通称『ケヤキのボブ』は、ここ最近災難続きであった。
と言うのも、一週間ほど前の夜、素っ裸で生殖器まる出しのヒトのオスが彼の頭のてっ辺に突然落ちて来たかと想えば、それを助けにやって来た(?)別のオスとケンカを始め、しまいにはその別のオスが銃などというヒトの愚かさを見事に象徴した武器を取り出し、こともあろうか、彼が名付け親となった通称『ケヤキのリチャード』の美しい幹に傷を付けたばかりか、謝罪もせずに逃走、よほど地面から抜け出し追いかけてやろうかとも想ったが、もともと彼ら植物族は奮起することを好まず、その日もそのままアンガーマネージ。頭に昇った樹液を押さえ、リチャードを慰め、彼ら愚かなサルの子孫を見逃してやることにした――のだが、その数日後、今度はとにかくうるさいヒトのメスが――流石にこちらは衣服を着ていたが――先日のオスと同じ場所に落ちて来ては小一時間ほどギャーギャーギャーギャー、もう少しで失禁するのでは? となったところで仲間のメスに助けられたわけだが、この助けに来たメスというのもとにかく雑なメスで、彼の上へのぼるときに二本、下りるときにも三本、計五本もの彼の美しい小枝をペキパキペキパキ折って行ったのである。であるからして流石の彼も、今度こそは、よほど岩でも持ち上げて、あの真っ赤な頭にぶつけてやろうかと想いはしたものの、それでもやはりそこはそれ、先述したように彼ら植物族は争いを好まぬ種族であるし、また、それもこれもこのメスが仲間のメスを想ってのことだろう、そう考えると我慢し、微笑み見送ることにしたのであった――『ケヤキの顔も三度まで(注1)』とも言うしな、と。
が、もちろんこれは前振りで、きっといつか三度目は来るのだろうが、それは一旦置いといて、いま彼は、また別の災難というか面倒を被っていた。と言うのも、いま書いたメスの片割れ(頭の赤い方)が、暗い顔して彼のところにやって来て、ひとり幹に頭をゴンゴンぶつけたり、突然固まり涙を流したり、かと想えば――これが一番厄介なのだが――ものすごいマイナスオーラ? 念波? みたいなものを放ったりして、周囲の小鳥やリスなんかの小動物を、多分に無意識に、追い払っていたからである。
『おいおいどうした、お嬢さん』とボブは言った。刺激せぬよう優しい声で、『なにがあんたをそこまで悲しませているのかは知らんが、そんなネガティブモードで広場に来られては、まわりの動物たちが逃げ出してしまう。ほらほら悲しい涙は拭いて、笑ってみてはくれんかのう? かわいいお顔が台無しじゃし、ワシでよければ話は聞くぞ』
が、しかし、もちろんこれは植物的テレパシーで、しかもケヤキ語だったので、問題のお嬢さん――我らがヒロイン佐倉八千代――には、サワサワとかザワザワとかザワワザワワとか葉が風に揺れ擦れる音にしか聞こえず、ボブの知性あふれるこの優しさを、彼女ははっきり受け止ることが出来ていなかった。
「森永さん……」と彼女はつぶやき、その場にくずおれると、頭をボブに預けた格好で、地面に膝突き、目を閉じ、ふたたび涙を流し始めた。彼女のくやしさ、友を、愛する人を亡くした悲しみ、その仇を取れない憤りがボブにも伝わるようであった。
『お嬢さん……』とそうして、そんな彼女の悲しい思念をボブは受け取ると、彼女の肩にそっと、大きめの葉っぱを落としてやろうとした。が、その時である。彼に問題の三度目が落ちて来たのは。
(続く)
(注1)そもそも、我々がよく知る『仏の顔も三度まで』ということわざは、「仏というのは大変慈悲深いものであるけれども、それでも顔を三度もなでられると腹を立てる」という仏教説話から、「どんなに寛大な人物でも、無法なことを何度もされると怒り出す」ということを意味する言葉である。が問題は、この「それでも顔を三度も――」というお話は、実はどの史書にもお経にも載っておらず、後世の創作である可能性が高い点であり、これを補足するのが、実はここでボブが語った『ケヤキの顔も三度まで』であり、彼らケヤキ族の口頭伝承の中には、『顔を三度なでられ怒った巨大なケヤキのパセーナディが、そのなでたヒト族の村を壊滅させた』という話が見られ、この話を聞いたどこかのヒト族の僧侶が、「でも、ケヤキを悪者にするのもなあ」と、ケヤキを仏に変え、人口に膾炙させた可能性があったら面白いと想うのだけれど、どうですか?




