その16
「よお――ヤスコ先生ってのは誰だい?」
そうして時間は進み空間は移動する。いつに? かおるの死の数時間後に。どこへ? 樫山家へ。彼の死を伝えに来た祝部優太のところへ。そう。たしかに彼はこう言っていた。
「好きだったようですな、あいつ」と部下の死や想いを利用するように、「先生のことを。どうやら、本気で」とそうしてそれに罪の意識を感じながらも。
この言葉にヤスコは、絶句し、うつむき、握った手を見詰めなみだを流しそうになった。
「気付いていらしたんですね」優太は続けた。残酷にも、「あなたも、あいつの気持ちに」
もちろん彼女は気付いていた。気付いていて、あえて気付かないふりをしていた。きっと彼の気持ちには応えてあげられないことが分かっていたから。突然、カーッと、胸が熱くなった。
「そうですか」優太は言った。分かっていたが、それでもわざと、「それが分かっただけでも、今日来た甲斐がありました」彼女の沈黙を肯定の意味だと確認し合うために。
雨はふり続き、その音は激しさを増していた。ヤスコはまだうつむき下を向いていた。彼女の胸の奥から、自分でも驚くほどの悲しみが、気付いてもいなかった悲しみが、どっと吹き上げ、なみだがあふれ出した。あふれ出して止まらなくなった。あとから、あとから、あとから、あとから……。
すると、そんな彼女の様子を確かめた優太は、彼女の紅茶に仕込んだ薬が効いて来たのだろう、そう判断した。彼は続けた。
「かおるを殺した灰原という男は――」と本来伝えるべきではない情報までをも含めて、「その特殊な能力できっと、お父さまのことも――」云々。
このときヤスコは、本来なら、そんな話を聞かされたのなら、驚くなり、呆れるなり、怒って優太を追い返すのが普通だろうが、それでも彼女はどれもせず、ただただ、ひき続きうなだれたまま、彼の話を聞いていた。「きっと、そうなのだろうな」と、ぐるぐると回り始めた部屋の風景に意識を奪われたまま、かおるの最期に大きな怒りを、彼の気持ちに応えてやれなかった自分自身に大きな憤りを感じながら。続けて優太は訊いた。お父さまの手帳ですが――、
「お父さまの手帳ですが、かおるの話では、あの中の記述をヒントに、なにやらリストのようなものを作成されているとのこと」と。「それはいまどこに? どの程度まで出来上がっているのですか?」
そうして――?
*
そう。そうして深山千島も大きな怒りと憤りを感じていた。が、彼女には、絶句したり俯いたり、じっと手を見詰めて泣いている余裕なんかはなかった。彼女は言った。するどく。
「ごめん。いまのところすこし戻して、もっと拡大出来ますか?」と。会社の研究員に、「そう。あいつの横顔にフォーカスする感じで」
ここは、灰原神人の監視ルームで――と言うことは、彼を閉じ込め、かおるが殺された監禁室のすぐ隣ということだが――いま、そこのモニターに映されているのは、ひとつは現在の灰原神人――改めて薬を打たれ、柱に縛られ、目隠しと猿ぐつわ、それに大音量のヘッドホンを追加された彼であり、もうひとつは、数時間前の灰原神人、それに彼に銃口を向ける小紫かおるの姿である。深山は続けた。
「これ、やっぱり眠ってますよね?」と数時間前の灰原をのぞき込みながら、「バイタルサインは?」
かおるが監禁室に侵入した際、カメラに細工をしたことはあのとき書いたが、その際のデータをサルベージして復元、彼らがいま見ているのはそれであるが、カメラと並行記録していた心拍数その他のデータはそのまま残されており、サルベージの必要はなかった。きっとかおる的には、その場の監視さえ誤魔化せればいいと想っていたのだろう。
「呼吸も血圧その他も特におかしな箇所はありませんね」研究員は答えた。「いまと同じ、完全に寝ている状態です」
「小紫さんが」続けて深山は訊こうとしたが、すこしためらい言葉を変えると、「自分で自分を撃った瞬間も同じ?」
「はい」研究員は答えた。「まったく変わっていません。いまと同じ、彼はずっと眠り続けたままです」
映像を見る限りでは、あのとき放たれた銃弾は七発。最初の六発は、部屋の壁の、灰原とは遠く離れた場所に向かって撃たれ、それからしばしの沈黙の後、何かを想い出したようにかおるが弾を再装填、そのまま何やら念仏のようなものをぶつぶつ呟いてから、おもむろに銃を口にくわ――、
「ごめん、止めて」深山は言った。かおるの後頭部から目をそらしつつ、「やっぱり眠ったままですよね? こいつ」
祝部優太が灰原神人から訊き出したところによると、彼が人々を殺して回ったのは、『彼らの力を分けてもらうため』であり、詳しいやり方は不明だが、『彼らの中には“ひかり”があるんだ。特にその血液の中にな』その“ひかり”を取り込むと、その人の力が彼のものになるらしい。
「だから、不可抗力みたいなもんさ」と灰原神人は言ったという。「血を抜けば死ぬ。人間だからな」
クソ野郎が。
と深山は想ったが、その言葉は口には出さずにおいた。なんだか、かおるの口まねをしているようになりそうだったし、それ以上に考えないといけないことが山ほどあったからである。
考えないといけないこと?
そう。そのひとつは、灰原神人が盗んだ、現在保有中の彼の能力の数と内容である。仮に、彼が殺した人の全員が何かしらの能力を持っていたとしたら、その数はゆうに二十を超える。
そうして、またひとつは、彼の能力で我々が目にしたことがあるのは、実は念動力だけ、という点である。これは、偶然それしか目撃出来なかっただけなのか、それとも、盗んでも使えない・使い方が分からない能力ばかり彼は盗んだのか、あるいは、何か発動条件のようなものがあり、それを満たしていなかったのか? 等々。
そう。そうして更に、これらに加えて、現在一番考えなければならないのは、
「小紫さんが自分で自分を撃ったとき、そこにはどんな能力が使われていたのか?」と、
「こいつは結局、小紫さんの能力を奪ったのか?」のふたつである。
かおるが、少なくともここ最近のかおるが、自殺をするような人間でなかったことは、深山も優太も理解していた。ほんとふざけんじゃないわよ。であれば、やはりこれは、灰原神人の持つ能力で起こしたことだと考える方がしっくり来るし、それは、人のこころや行動を動かすという意味では、深山やかおると同じタイプの能力であり、そこに更に、かおるの強力な“パープルマン”が盗まれていたとしたら、それはもう、到底深山ひとりでは対処出来るものではない。いっそのこと本当に、このままこいつを殺した方がよさそうな状況だが、上の指令はいまもただただ単純に『殺すな』だけ。
「くそったれが」深山千島はつぶやいた。今度はちいさく、だけれどはっきり声に出して、「同僚の死をいたむ間もないわけね、こっちには」
(続く)




