その15
「どうかなされましたか? まひろさま?」
そう。そうして作者は、小紫かおるの話をし忘れていた。彼の最後と、その動機について。いや、動機については、結局よく分からないのだけれど。と言うのも彼は、きっとその能力故だろう、本心を隠したり偽ったりすることがよくあったし、その隠したり偽ったりで彼自身、自分の本心がどこにありどんな形をしているのか分からなくなることがよくあったから。
そう。それは例えば、どうして彼女に別れの口づけをしてしまったのかとか、そういうことも言うのだが。
そう。そうしてそのため、今回の彼の行動も、彼は彼女になり代わり、彼女の父親のかたきを討とうとした――と考えることも出来るのかも知れない。よく分からないけど。ただ、それでも、問題のかたき・灰原神人は、かおるが所属する会社によって捕まえられていたし、会社が彼を捕まえた以上、彼が司法の場に突き出されることは先ずないだろうし、会社は彼を調査・分析、あるいは、かおるや深山のように改めて雇い入れ、会社のためになる仕事をやらせるのかも知れない。罪の償いもさせないまま。
「殺された人たちのリスト見たでしょ?」
そう深山に問われたとき、彼はこう答えている。もちろん本心は隠したまま。
「別に俺たちゃあの人たちの身内でもなけりゃあ正義の味方でもねえだろうが」と。「上が殺すなって言ってるもん、どういう理屈で殺すんだよ」と。
そう。せめて身内であれば、身内からの依頼が、希望があれば、まだ理屈は通ったかも知れない。だから彼女に訊きに行った。「もし自分が」と。もし自分が「犯人に手を下せる立場にあったら」どうしますか? と。しかし彼女の答えは、「それでも私は、天の裁きを待つんだと想います」であった。
「ふん」とかおるはほほ笑んだ。彼女の下唇の感触を想い出しながら、「だよな、先生らしいよ」と。
何故ならその答えは、彼の希望であると同時に明らかな絶望でもあったから。ふたりの間には、絶対的な『壁』があった。
「“ふーん、ふふー、ふーふーー♪”」
そうしてこの日の午後、彼はひとりで扉を開けた。監視カメラに細工をし、警備員には能力をかけた。深山千島は外出していたし、祝部優太も上に呼ばれて不在だった――身内になれないなら、正義の味方でいいさ、先生。
「“パーン、パパー、パー、パー、パーーー♪”」
薬を打たれ、柱に縛り付けられている灰原神人がそこにいた。かおるの手には、一丁の拳銃があった――いや、これ以上は堕ちたくないだけかもなあ、俺は。ヤスコ先生。
彼と灰原神人の間に『壁』はなく、彼は、灰原の中に、自分自身を見ていたのかも知れない。そうして――?
*
パンッ!
引き金は軽く、その音はもっと軽かった。
パン、パン、パン。
続けて三発。さらに引き金をひいた。それから頭のなかで数をかぞえて、
パンッ! パンッ!
計六発。薬にやられ、柱に縛り付けられ、きっと意識もないであろう男に、その預言者のような横顔に向かって、至近距離で、六発の銃弾を撃ち込んだ。
これまでにも人は殺して来たが、自身の手で直接殺したのは数える程度、それぞれの罪の軽重はよく分からないが、多分にそれは、殺す手段や目的よりも、殺す相手による所が大きいと感じていたからかも知れない。どんな理由があるにせよ、お茶を出してくれた老婆のときはしばらく悩んだし、“あいつ”のかたきのクソ野郎は、何度この手で殺しても、ずっとずっとずっと、最後の最後の最後まで、クソったれなクソ野郎のままだった。
「殺された人たちのリスト見たでしょ?」深山千島は訊いた。
ああ、見たさ、もちろん、深山さんよ。この男はクソ野郎だ。あの雨のなかで直感した以上に最低のクソ野郎だ。どんな理屈かは知らねえが、八才の男の子もいたんだぞ? テメーの能力コレクションのために。人を殺して、へらへらへらへら笑っているようなやつさ、クソッたれ。
「ふぅ」とここで彼は汗をふいた。すこしの違和感があった。
シリンダーを開き、新たな銃弾を込めた。慣れてはいないから、ひとつひとつ慎重に。ひとつ……、ふたつ……。
「そうですね」あの人の声が聞こえた。「すこし冷たく感じるかも知れませんが」そんな気がした。「そこはやはり、司法の判断に従うことにしたいと想います」
ダメだよ、先生。分かっちゃいねえよ。本物の犯罪者が捕まる確率なんて一割あるかないか、そのうち公正な裁きに掛けられるヤツなんてのは――クソッ、なんでだ、なんで手がふるえてやがる。彼の違和感は続いていた。ひとつ……、ふたつ……、みっ……。
「それでもですね、小紫さん」また、彼女の声が聞こえた気が、「それでも私は、天の裁きを待つんだと想います」――くり返している?
オーケー、分かった。いいよ、先生。ヤスコ先生、あんたはそれでいい。彼女の下唇の感触を――やはり、くり返している?――彼は想い出した。ふたつ……、みっつ……、よっ……、
「これは俺の問題だ」彼はつぶやいた。「こいつは、消さなきゃならないやつだ」
ひとを殺したときのイヤな、いや、奇妙な興奮が彼の頭を過ぎった。みっつ……、よっつ……、違和感は続いていた。よっつ……、いつつ……、むっ……、が、それでも、弾は、すべて、入っ――「よし」
ふたたび、薬にやられ、柱に縛り付けられ、きっと意識もないであろう男に、その預言者のような横顔に彼は、その銃口――、
「あ?」とここで彼は気付いた。その違和感の正体に、「こいつ、なんで無傷なんだ?」
男だけでなく、自身の手にも顔にも、先ほど撃った男の欠けらはおろか、一滴の返り血も付いていなかった。ただただ、ただただ、ただただ大量の汗が、冷たい大量の汗が、額からしたたり落ちているのが分かった。
「よお」男が訊いた。はっきり目を開け、うれしそうに、「ヤスコ先生ってのは誰だい?」
そうして――?
(続く)




