その3
木花エマは一貫して、佐倉八千代の良き友人であり理解者であった。
言うまでもなく彼女は、八千代や伊礼のような特殊能力を持ってはおらず、その理解も「うっわ、なんだか映画みたいね」なレベルに留まり、更にそのレベルのまま、彼らに恐怖を感じることもままあった。
そう。それは例えば、伊礼の預言が彼女の近しい人の不幸という形で当たった時であるだとか、それこそ例えば、森永久美子の死を受けた八千代が暴走したときのこと等を言うのだが。
がしかし、それでも彼女は、いつも、八千代や伊礼のためになることを、なにか彼らの役に立てることをと想い、願い、行動して来た。
それは何故なら、彼らが彼女の友人であることもそうだったが、それ以前に彼らが、根っからの善人であり、その特殊な能力を、出来得るならば善きことに、それが無理でも、出来得る限り悪しきことに繋がらないようにと願い、望み、悩み、失敗していたから、そのことを彼女が知っていたからである。
あるとき彼女の叔母――それはあの喫茶店の女主人のことを言うのだが――は、彼女にこう言ったことがある――とにかく、
「とにかく、先ずは描くこと。何十回だろうと、何百回だろうと、何千回だろうと、とにかく描かなきゃ、絵は描き上がらない」
もちろんこれは、絵描きを目指すエマに対し、その先輩(彼女もまた売れない絵描きだった)からの忠告の意味であったが、
「それから、くり返して、くり返して、くり返す」
と彼女は続ける。もちろん上手く行かないことの方が多いわけだけれど、
「それでも構わないのよ」と。ただし、
「出来るだけ善いものを」と。
「ささやかだけれど、誰かのなにかの、役に立つものを」と。
そうすれば、その何百回、何千回、いや、何万回のうちの一回くらいは、自分が、この世界に対して、なにか役に立てることをしている。そう実感出来ることがあるはずだ――そう彼女は言うのだった。
「誰かのなにかの、役に立つもの?」エマは訊き返した。
「誰かのなにかの、役に立つもの」叔母は応えた。「それが、『ギフト』を持っているものの勤めなのよ」
くり返しになるが、木花エマに佐倉八千代や石橋伊礼のような特殊能力はなかった。
そのため、ここで彼女の叔母が言った『ギフト』とは、あくまで彼女の持つ「絵が描けること」そのものを指していた。
が、しかしそれでも、この『ギフト』という言葉を聞いたときの彼女は、自身の才よりも先に、佐倉八千代や石橋伊礼のことを、特に八千代とその能力のことを、想い出していた。
というのも、前にも書いたとおり、彼女、佐倉八千代は、幼いころに一度封じたその能力に改めて気付いて以来、何十回、何百回、いや何千回と、まるで何かの罪でも贖うかのように、その能力が誰かの何かの役に立つようにと願い、努めていたから。そのことをエマは知っていたからである。
そう。そうして彼女は声を掛ける。ゆるやかな坂の途中で。後ろをふり返り、片手にスマホを、もう一方の手に小さな地図を持って、
「ヤッチ?」と出来る限りの優しい声で、「どう? ここもちがう?」
が、しかし、声を掛けられた側の少女は、坂の下から彼女を、そのゆるやかな坂の上を――というかその先の何もない空間を――まったくの無表情で見つめるままに立ち尽くし、それに応じる気配はなかった。
ゾクッ。
とエマは背中に冷たい、いや、恐ろしいものを感じると、上げていた両手を下ろし、いま来た道を八千代の方へと下り始めた。こちらも出来得る限りゆるやかに。彼女を驚かせないよう注意しながら、
「ヤッチ?」彼女は訊いた。ようやく八千代の横に立って、「大丈夫?」
しばらくして八千代は答えた。
「うん」と。それからすこし苛立たし気に、「たぶん、ここもちがう」と。
彼女たちはいま、八千代や伊礼が夢あるいは預言で見たという場所――花盛りの丘――を探しに、東石神井台周辺を調査しているところであったが、最初はそれこそ八千代の能力や直観から直ぐにでも見付けられるだろうと考えていたその場所は、いくつもの坂を上り、坂を下り、時には同じ坂を何度か上り下りしてみても見付からず、あの呑気で気が長いことが取り柄の八千代の表情にも、どこか険しさ、憤りのようなものが見え隠れし出してもいた。
「そっか」エマは言った。彼女の手を取ろうかどうしようか悩んだが、それは出来なかった。「どうする? すこし休む?」
「ううん」八千代は応えた。エマの顔も見ずに。ふたたび歩き出しながら、「休んでいるヒマなんかないわよ」
そんな彼女のうしろ姿を見ながらエマは、叔母が語った『ギフト』のことを想い出していた。
佐倉八千代には確かに『ギフト』があったし、それを彼女は、多分に無自覚に、誰かの何かの役に立てようと使って来た。
しかし、果たしてその行為が、彼女自身になにか善きことをもたらしたのだろうか?
いや、もちろん、そんな詰まらないことを考えるような彼女ではないが、それでも、その積み重ねが今回の悲劇であったとしたら? その積み重ねをしても今回の悲劇を回避出来なかったのだとしたら?
いや、これももちろん詰まらない考えではあるが、それでも、それでも世界は無慈悲に、彼女から彼女が愛した――もう、そう書いてよいだろう――愛した女性を奪ったのである。とても残虐な方法で。
「森永さんのかたきを討たなきゃ」
もちろんそんなセリフを彼女が言うはずもなかったが、それでも。それでもエマにはその怒りが、彼女の『ギフト』が、暴走する不安をぬぐい切れないでいたのである。
(続く)




