表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十二話「勇気とプライド、それに恋する乙女の観察眼」
200/251

その1


「だが、安心しろ」と確かに兄はささやいた。それから、「お前も、俺の家族だ」と強く自分を抱き寄せながら。


 がしかし、それに続く言葉は、時間と未来の記憶の渦に巻き込まれては飲み込まれ、「――生と仲良くな」というその断片しか聴き取ることが出来なかった。


 そう。これは彼女の、山岸まひろの、コントロール不能の夢、あるいは未来の記憶、あるいはその予感であった。


 そのため彼女が、その兄のささやきを追い掛けようとした――つぎの瞬間。


 彼女もまるで、そのささやきに歩調とリズムを合わせる、あるいは乱すように、時間と未来の記憶を逆行あるいは順行、あるいは加速、あるいは減速しながら、無限に続く迷路、迷路で作り上げられた迷路、曲がりくねって重なり合い、繋がり、いくつもの過去や未来が同時に現われ、星々までをも取り込みつつ、と同時に暗闇へと消えて行く迷路――に放り込まされ投げ込まされ溶かされて行った。


 彼女は見た。あらゆる宇宙の崩壊を。


 あるものは欠け、あるものを膨れ、あるものはバランスを崩し、あるものは隣り合う宇宙とぶつかり、互いに取り込み、あるいは取り込まれ、そうしてふたたび均整を崩し、連鎖反応的に、指数関数的に、ランダム且つ行き当たりばったり的に、数多の星が無へと帰していく様子を、彼女は見た。


 数万、数億、数兆、数京、いや、数穣、数溝、数澗、いや、那由他、不可思議、無量大数、いやいや、そんな単位ではとても追いつかないほどの、無限に近い宇宙、その宇宙たちに存在する無限に近い星々、そうしてそこに生存する数多の生物あるいは非生物たちが、その存在ごと消滅して行く、そんな光景を、彼女は見たのである。その夢、あるいは未来の記憶、あるいはその、切実な予感の中で。


     *


 彼女は美しく、未亡人で、四十代の中盤。すらりとしていて、十七かそこらの息子がひとりいた。息子は、すこし離れた土地で全寮制の進学校に通っていた。


 彼女は毎年、夏、その息子と旅行に行くのを楽しみにしていた。


 今年の夏は、ギリシャのキクラデス諸島へ行くつもりだった。


 がしかし、ゴールデンウィークを過ぎたあたりから、その息子から、今年の旅行は遠慮したいとの連絡が入るようになった。


 詳しい理由は教えて貰えなかった。


 友人がどうとか勉強がこうとか言っていた。


「まさか恋人が?」と彼女は、存在も疑わしい女の子に嫉妬しそうになったが、そこは理性で自分を律した。


 くり返しになるが彼女は美しく、未亡人で、すらりとしていて、腰もしまり、とても優雅で、皮肉でも誇張でもなく、いまが花の盛りと言っても、誰しもが納得してくれただろう。


 そう。それは例えば、日傘を差し白い服を着た彼女が、エーゲ海の、あの岩の多い山々を背景に水辺に立つ姿を想像して頂きたい。


 すると、そんな彼女を女神と勘ちがいしたギリシャ男の腑抜けた笑顔が、ゴロゴロゴロと、道に転がることになるだろう――と言ってもよいくらいには、彼女は美しく魅力的だった。


 だったがしかし、それでも彼女は街に残った。亡夫に遠慮したわけでも、息子に当て付けたわけでもなく、ただただ、こころが踊らなかったからである。そうして――、


「ふう」とそうして彼女はため息を吐いた。すると同時に、


 コンコンコン。


 と彼女の扉を――診察室の扉を――叩く者がいた。診察は始まっておらず、受付すら、いや、受付の担当すらまだ来ていないのにである。


「はい?」おそるおそる彼女は訊いた。「どちらさま?」


「すみません。先生」扉が、扉の向こうの女性が答えた。「どうか、助けて頂きたいんです」聞き覚えのある声だった。


「どちらさま?」ふたたび彼女は訊いた。


「……です」扉の向こうの彼女は応えた。「コスタです。マリサ・コスタ。助けて下さい。先生」


     *


 ひかりは眠っていた。ベッドの上で。ただし横にはならず、壁によりかかって。ゆるく閉じられた瞳、高くはないがすっと通った鼻。その姿は、見るものが見れば、中世盛期イタリアの聖女を想い起こさせたかも知れない。


 彼女は泣いていた。取り敢えず、涙は流していた。ひと粒だけだが。右手には、彼女の記憶を消した女のハンカチが握られていた。もちろん、その女の香りと同情とともに。なぜなら、記憶の消去は、彼女が目を閉じている間に行われ、目を開けた瞬間に完了するのだから。


「ハンカチくらいはいいでしょう?」――これも女の同情だった。


 そうして、つぎの瞬間、祝部ひかりは目を覚まし、目を開いた。人生に、いくつかの記憶を失くした人生に、目を開き、引き戻されていた。


 彼女の記憶から消されたのは、まずは先名かすみが殺されたシーン。それから、彼女を探しに来た父・優太が彼女を抱きしめるシーンまで。そうして、それに合わせて、彼女の前に現われた奇妙な『窓』に関するシーンを、これは確認出来るところまで。それから更に、彼女の友人・清水朱央に関する記憶をすべて――幼少期のものも含めてすべて――を彼女は消されたのであった。


 それから、目を覚ました彼女は、頬に流れる涙にも気付かぬまま、しばらくの間、呆けた顔と頭で、ゆっくりと周囲を見まわしていたのだが、なにかの拍子に、突然ハッとなると、スマートフォンの通知を確認し、その場にゆっくりくずおれた。父や母や級友たちのメッセージから、改めて、先名かすみの死が現実であることを想い出したのである。


 彼女は嘆いた。目をかたく閉じ、口もかたく閉じ、かすみとの記憶を想い返すとともに、それをどこかに消し去ってしまいたいと想いながら。何故ならそれは、想い出すにはあまりにも辛すぎる想い出だったから。


 が、ここで彼女は、とても奇妙な事実に気付くことにもなる。とても奇妙な、感覚に襲われることになる。


 そう。それは、こんなに悲しい事態にも関わらず、いま彼女が、一滴も涙を流していないという事実であり、また本来ならば、偽の記憶をでっち上げ穴埋めするであろう消された記憶のところに、はっきりとは見えないが、確かに何かの留保マークが置かれていることをも、同時に感じ取れたからである。


 そうして、この『留保マーク』は、彼女と先名かすみの記憶――と言うことは、彼女と清水朱央の記憶もという意味になるが――は、『この宇宙』に来る前からつながっており、それは決して消えることはないことをも示していた。


 そう。そうして、もちろんこれは、彼女の『この宇宙』における記憶の一部を消した・隠した深山千島ですら気付けていない・扱えない部分であり、だからこそ彼女、祝部ひかりを戸惑わせることにもなったのである。


「こんなものなの?」ひかりは想った。「大好きな友だちが亡くなったのに?」


 そのためひかりは、この不思議を、誰かに相談しようと想った。がしかし、母の守希はひかりよりも更に様子がおかしかったし、父親の優太とは何故か連絡が取れなくなっていた。


 と言うのも、守希は守希で深山に消された記憶の穴埋めで忙しかったし、優太は優太で、灰原神人への対処で忙しかったからである。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ