その9
「転生者?」驚きと、そこに少しの失笑と軽蔑がまぎれ込むよう注意しながら祝部優太は訊き返した。「――ですか?」
「他の呼び方も考えたんですがね」樫山昭仁は答えた。あくまで冷静に。相手が引いてしまわぬテンションで。こちらはこちらで注意しながら、「この事象を表すのに適したものが中々見つからなくて――」
ここは、昭仁が宿泊しているホテル――に併設された喫茶店の一角。時間は、「ひかりさんの件で、実は折り入ってのお話が」と彼が優太に電話をかけた――彼が灰原神人に出会った――翌日の昼である。
「ま、仮の名ですよ」昭仁は続けた。「実例を集め、研究し、体系立てられるころには、またちがう呼び名を想い付くかも知れません」
「ふーむ」優太はくり返した。「転生者?――ですか?」
この日は三連休の最終日だったが優太は、仕事用のスーツに仕事用のネクタイで昭仁に会っていた。これは家族に「急な仕事が入った」と言って出て来たためでもあるし、先ずはこちらが彼にまともな社会人であることを示しておこうと考えたからでもあるし、そうして何より、昭仁の話によっては昨日もどって来た部下――あのバカ、まだ後頭部が痛い――や新しい部下も呼び出して、なんらかの“対処”をする必要があると考えていたからである。娘・ひかりに対するストーカーや変質者の類なら加減はいらない。そう考えていたからである。であるが、しかし、これは――、
「突飛な話であることは分かっていますよ」と昭仁は続けた。「しかし実際に、各地である種の小規模な重力異常は起きており、またその周辺で、なんらかの物理定数あるいは素粒子構成の変化が――」
と細かい部分の解釈違いはさておき、彼の理解・認識は、彼が解明している現象のレベル次第ではあるものの、別の意味で、その“対処”の対象となるものでもあった。昭仁は理解し過ぎていたのである。
「しかし樫山さん」優太が訊いた。少しの失笑と軽蔑の態度――彼が昭仁の言葉を信じがたく感じているように見える態度――を忘れずに、「何故、そんな突拍子もないことを?」
すると、この態度に昭仁は、「ああやはりこの人も」とここで席を立とうかとも考えたのだが、それでも優太がここまで来てくれたこと、それに昨日出会えた青年――彼はまだ、彼の希望であった――のことを想い出すと、
「まだ、七つの女の子でした」と彼がこのリスト作成を試みることになった理由を語り始めた。そうして――?
*
そう。そうして結局のところ、十数年ぶりの母と娘の対面は娘が部屋を追い出されるかたちで終わった。十分も経たないうちに。彼女は、娘の顔もかたちも、孫の顔もかたちも、はっきり認識出来ないどころか、にも関わらず、実の娘への根拠のない、理由も定かではない嫌悪と憎悪、それだけははっきりと想い出すことが出来、それを目の前の女性にぶつけて来たからである。枕もとに置かれた雑誌やティッシュやその他の小物類と一緒に。
「なにしに来たんだい! この悪魔!」と。昔はさぞや美人であっただろうその顔を、怒りと羞恥で醜く歪めながら、「あんたなんかにゃ殺されないからね! さっさとここから出ておいき!」と。骨と筋ばかりになった青白くほそい腕をぶんぶんぶんと振り回しながら。
なかば予想していたこととは言え、想像以上の母の変わりようにマリサ・コスタは、背を向けうつむき、アーサー・ウォーカーを抱きしめると彼を部屋から出そうとした。が、そこに、
「なにさ、まるで母親気取りで」と彼女が更なる、そうして決して言ってはならない言葉を彼女に投げかけて来た。娘の顔もかたちも、孫の顔もかたちも、はっきり認識出来ていないにも関わらず、である。彼女は叫んだ。
「あんたなんかどうせ誰の親にもなれやしないじゃないか」と。「リザを殺したのもどうせあんたなんだろう?」と。「自分じゃ子どもが産めないからあの子の子どもを――」
びぎっ。
とこの時である。マリサ・コスタが母の方をふり向き、彼女の背後にある小さな鏡に気付いたのは。それが縦にひび割れているように見えたのは。そうして、
パシン。
とこの時である。それまで沈黙を押し通していたペトロ・コスタが、妻を守ろうと、彼女と義母の間に立ち、そこにうすい光の膜のようなものを見付けたのは。そうして、
バヂッ。
とこの時である。突然病室の、いやそのフロア全体の電気が落とされたのは。まるでそれ以上の怒りや言葉を彼らに発させないために、まるで幼いアーサー・ウォーカーを、彼らの怒りや言葉から守るかのように。“リザ”とは、亡くなった彼の実の母、エリザベッタの愛称であった。そうして――?
*
「お父さん?」と買い物帰りのひかりが優太に声を掛けた。家までの帰り道、近所の公園に彼がひとりでポツンと座っていたからである。「どうしたの? やけにはやいじゃない」
結局彼女はこの三連休を、一日目はいつもの道場で、二日目はひさしぶりに遊びに来た友人と過ごし、本日三日目の今日こそは、父親を連れ出しなにか美味しいものでもおごらせようと企んでいたのだが(彼女の母親はおどろくほどの倹約家であった)、問題の父親は朝方、毎度の如く突然の休日出勤、そのため彼女は、腹いせとばかりにいつもの古書店『ウィリアム書店』で散財、自身の懐を大変厳しい状況にして来たばかりであった。彼女は考えた。
「どうにかしてこの埋め合わせを彼にさせなければ」
と要は、如何に彼からお小遣いをせしめてやろうかという意味だが(くり返しになるが、彼女の母親・守希は、特に彼女の娘に対して、おどろくほどの倹約システムを構築していた)、ここで彼女は、上目づかい右斜め四十五度の視線プラス『マキちゃんのポーズ』(注1)で彼に接近すると、
「こんなにはやく帰れたんなら、お母さんと三人どっかで落ち合えばよかったね」
と先ずは、この三連休どこにも連れて行って貰えていないことをそれとなくアピールしつつ彼の横にすわり、それから、
「でねでね、これも想い切って買っちゃったんだー、前からずーっと読みたいって想ってたんだけどー、ずーっと絶版で中古も高くてー」
と次には、今のご時世電子書籍で読めば済むだろう的マニアックなSF小説単行本をご披露しつつ、如何に現在、自身のお財布事情が厳しいものになっているかをもアピールし、そうして更には、
「ほらほら見てみて、これは昨日かすみちゃんに教えてもらったんだけど、彼女が着けてたアクセサリーがかわいくって――」
と、友人から教えてもらった通販サイトを見せながら年相応の女子高生らしい話題も――別にお小遣いのすべてをおっさん臭いSFにつぎ込むわけではないことを伝えるために――盛り込みつつ、いよいよ核心のお小遣いおねだり作戦に進もうとしたのだが――、
「おとうさん?」とここで彼女は、言葉に詰まることになる。「どうしたの? なにかあった?」
何故なら彼女の父親が、いまにも泣き出しそうな、あるいは何かとても想い詰めたような表情で彼女を見て来たからであった。
(続く)
(注1)
この『マキちゃんのポーズ』とは、彼女の母親・祝部守希が結婚前、その夫・優太を、よく言えば籠絡、悪く言えば騙すために多用していた「これさえ決めれば楽勝だったのよ、優太くん」と得意顔でひかりに直伝した必殺・悩殺のポーズのことであるが、今のひかりには色々と(主にその女性的ふくらみの部分で)不足する箇所も多く、効果としては全盛期の祝部守希の20~30%程度で、なんなら優太からは「どうした? 具合でも悪いのか?」と籠絡どころか体調を心配される類いのもので――頑張れ! ひかりちゃん!




