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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十話「だからお願いだ、ペギー。どうか僕ら想い出だけは、どうか怒りに変えないで欲しい。」
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その7


 うろたえたのは山岸まひろばかりではなかった。不破友介も同様だった。なかば予期していたこととは言え、彼女の涙を見たとき彼は、すこしうろたえ、すこし後悔し、と同時に、あのバカへの憤りを感じてもいた。


 いくら当人からその記憶を消した、抜き取ったとは言え、それら記憶は、彼ら人間の身体や彼ら人間が触れた物たち――机やイスや涙を流したソファなど――の中に蓄積され彼らに影響を与える。いま、彼女、山岸まひろの目に厚くたまり、あふれ、頬を伝い落ちる涙は、きっとそれら外部メモリーから彼女が、彼女の身体が、何がしかの信号のようなものを受け取り反応してしまったものだろう。


「あのバカ」と不破友介は想い、「ひとの心というものがないのか」そう続けて想ったが、もちろんそれは声には出さず、また「私が言うのも奇妙な話だ」と自身の職分を想い出しつつ苦笑した。もちろん、まひろに気付かれないよう気を付けてだが。彼は言った。今度はきちんと声に出して、


「どうかされましたか? まひろ様?」と彼女のすわるソファに寄って行きながら、「不破さん?」と応える彼女のなみだの美しさに、より一層とまどいながら。


 第七話の最後にも書いた通り、ここ半年ほどの彼女の記憶は、すでに抜き取られ、別のものとすり替えられていた。


「こわい夢でも見られましたか?」彼は続けた。出来得る限り彼女の顔を、彼女のなみだを、見てしまわないよう気を付けながら、彼女の横に、そうっと座りながら。


 床に落ちた虹色のアフガンが目にはいった。これがいけなかったのかも知れないな、そう彼は想った。


「夢?」彼女は応えた。不破が差し出したタオルを目に当て、「夢なんか――」


 そう。実際それは夢ではなかった。例の赤毛が彼女の記憶を抜き取りすり替える際に生じた残滓、記憶と記憶の間に存在するグレーゾーン、数値化出来ないゴーストのようなものであった。


 明け方に見る夢、うろ覚えの曲がり角、川沿いですれちがう見知らぬ誰か、やさしさに包まれ見詰めた手のひら、南風に揺られる早咲きの花、幼子を抱く女性のイメージ。


「すみません、まひろ様」不破はつぶやいた。彼女の肩に左の手を乗せながら、「あの方の技術だけでは足りなかったようですな」


「あの方?」まひろは訊き返した。タオルから顔を上げると、彼の、悪魔の右手がそこにはあった。「不破さん?」


「悲しみは身体に、雨に滴る立木の中に、死せるものたちの、ゆらめく存在のなかに」不破は続けた。何かの呪文か祈りのように、「何処かへ流れ消える雲、ながれ落ちる雨のなかの涙」目的には同意したが、このままでは彼女の身体がもたない。


「すみません、まひろ様」やはり、全てを消すことは出来ませんが、「もう少しだけ、魂に触れさせて頂きます」


     *


 彼女たちのデッサンはとても順調に進んでいた。構図は最初から決まっていたし、彼女の特徴を、彼女は彼女以上に理解していたから。


 アタリを付け、改めて彼女の輪郭をよく確かめる。光の当たり方、影の見え方、その中間の凹みや模様を軽く描いて一度テーブルに立て掛ける。すこし離れてチェックして、そこで鉛筆を削ろうとする。彼女と目が合う。恥ずかしさで目をそらすが、いやいや、それがいけないんだった。先ずは軽く、鉛筆削りで削ってから、カッターナイフで仕上げて行く。彼女といくつかお喋りしながら。いつものように、他愛ない会話を重ねながら。なにかの拍子に彼女が歌を口ずさみ、それから彼女はデッサンに戻った。


「あ、ごめんなさい」彼女が訊いた。「動いてちゃダメですよね、口」


「別に全然いいですよ」彼女は応えた。「どうぞ、続けて下さい」


 彼女がほほ笑み、彼女は続けた。


 『扉の向こうに出よう。

  夏は今が花のさかり。

  暖炉のそばに立って、

  そんな顔はしないで、

  わたしの心はきっと、

  そんな言葉では動かせない。』


     *


 母方の親戚に預けられた灰原神人を周囲の大人たちは憐れみ、あるいは厄介がっていたが、当の本人はそれほどつらさを感じてはいなかった。中にはもちろんかなり厳しいことを言って来る者もいたが、彼らの多くは善人で、特に“さかえ”という名の老婆と彼は、実の祖母と孫、あるいは年の大きく離れた姉弟のように接していた。


 彼女はひとり身で、当然実の子どもも孫もおらず、兄や姉と一緒の家に暮らしていた。彼女はライトな、だけれど本当の信仰心を持ったクリスチャンで、一度として来てくれたことのないサンタクロースを信じ、幼いころソーダとクッキーを分けてあげた男性のことをずうっとキリストその人だと勘違いしていた。


 灰原神人は彼女のことが大好きだったし、そうすれば彼女が喜び、そうしなければ彼女が悲しむことを知っていたので、そういった彼女の言葉や経験を信じてあげることにしていた。彼女は言った。彼が階段から転げ落ちたり、テストでよい点を取った時に、「これもきっと、『神のご意思』ですよ」と。そうして灰原神人も次第にこうつぶやくようになっていた。体育の授業でゴールを決めたり、結局母親が彼の誕生日を無視した時なんかに、「『主の御心』は誰にも分からない」と。彼の背中をさする“さかえ”の節くれだった手をうれしく、そうしてひそかに疎ましく感じながら。


     *


「すると、なにかこれと言った現象は起きていないんだね? 灰原くん。君のまわりでは」


 そうして樫山昭仁と灰原神人の会話は続いていた。例のビジネスホテルの一室で。いくつもの本やノートやメモの間に埋もれて、彼は答えた。


「ええ、特に、その……、先ほど樫山さんが言われたような、アニメやマンガで見るような現象は、なにも」


 昭仁の見解に依れば、問題のリストの登録者、あるいはその周辺には特殊な重力場ないしは空間異常が発生し、そこから、その『裂け目』からまぎれ込んだ、この世界にはないはずの素粒子や、この世界とは異なる物理定数の影響で、何かしらの特殊事象、異常現象が観測されるはずなのだが――、


「ふーむ?」昭仁はうなり、腕を組んだまましばらく天井を見上げ、それからふたたび灰原の方を向いた。「それでは何か、見たりはしていないかね? 奇妙な光やプラズマ、それこそ空間に出来た『裂け目』とか、そういった景色・風景を」


「風景?」灰原神人は訊き返し、しばらく記憶をたどろうとした。が、ここで、


「おーい、シンちゃん」と彼を呼ぶ“さかえ”の声が聞こえた。「どこ行ったんだい? よーく風が吹いてるよ」と右手にヨレヨレの凧を持つ彼女の声が。


     *


「こっちだよ、サッちゃん」とそうして彼は応えた。こちらはこちらで、押入れの天袋に入れておいた手作り凧を取り出しながら、「今日は空いてるもんね、グランド」


 彼らの家の近くには、森につながる小さな野球運動公園があった。とは言っても、ベンチは錆び付きネットは破れ、雑草は年に一度刈り取られるだけの古びたグラウンドだったけど。


 が、ただそれでも、そこには平日昼間はゲートボールが、夕方過ぎれば近くのサッカー教室やゲームに飽きた子どもたちが集まり、休日昼間にはお腹の出たおじさん達が、若い日々を想い出しつつ草野球に興じていた。そのため――、


「はやく! はやくおいでよ、サッちゃん」と幼い神人も言うとおり、「こんな日にグランドが空いてるなんて奇跡だよ!」


 凧あげのためだけにそこを占拠出来るのは、年に数度あるかないかだった。


 これらの凧は、来てくれなかったサンタクロースの代わりに、彼らが互いに贈り合った、手作りのクリスマスプレゼントであった。



(続く)

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