その14
「まったく。どこに行ったんだ、あいつは」
と、祝部優太が消えた娘の行く先に気を揉んでいた頃、彼女・祝部ひかりは、いまだ体育倉庫の中にいた。
「本当におぼえていないの?」と、ここにいるもう一人の人物に質問しながら、「あんなにずっとまぶしかったのに?」
倉庫の扉は閉まっていて、出られるとすれば窓からだが、高いところにある上に、小さく、更には格子も付けられているようだった。大声を出して助けを呼ぶ手もあるにはあるが、それだと例の男に居場所を教えることにもなりかねない。もう一人の人物、山岸まひろは答えた。
「おぼえてないわけじゃないけどね」手もとのスマートフォンを繰りながら、「ぼくが見たのは暗闇だったよ」石橋先生とは何故か連絡が取れない。他に頼りになる人物と言えば兄の富士夫くらいだが、こんな状況、どう説明すればいいのか分からない。「ねえ、君、ほんと、お父さんの番号とか覚えてない? 自宅とか」
ひかりは首を横にふった。彼女のスマートフォンは自宅に置いままである。
「困ったなあ」まひろはつぶやいた。
本来なら警察か学校に電話するのが筋だろうが、それこそどう説明すればいいか分からない。ひかりが言った。まひろのつぶやきが聞こえなかったのか、
「暗闇なんてはずないわ」と、ここを出ることよりも先ほど経験した不思議な現象について語り合いたいという風に、「あんなに明るかったのに」
実際のところ、今回の「ジャンプ」に関して言うと、ふたりの言い分はどちらともが正しかった。ひかりはきらめく光の洪水を見たし、まひろはただただ暗闇を見ていた。これは先日、内海祥平が「ジャンプ」の際に光の洪水を見たこととも関係しているし、灯台の中は暗く、台風の中心では風が止んでいることと、理屈的にはさほど変わらない現象であった。なのでそのため、彼らのこの状況も、しばらくすれば解消するはずなのだが、どうしてもそこには、いつも通りのランダム的かつ痙攣的かつ行き当たりばったり的要素が絡むことにもなる。何故ならまひろも、ひかり同様、自身の能力をコントロール出来ないどころか、その存在を認識すらしていなかったから。なのでそのため、
「あっ」と突然ひかりは声を上げることにもなる。「ほらっ!」とまひろのうしろを指差しながら、「また光ってる!」
「え?」山岸まひろはふり返った。「なにが?」とひかりの指さす方向を、「別になにもな――」
が、しかし、そこに「それ」はあった。門のような裂け目のような、白い大きな窓のような、圧縮させられた光のような、それら全てを重ね合せた壁のような「それ」が。そう。そうしてそれは、
「やあッ!」
と愛想がよく歯並びもよい無数の金属的発生装置が、叫ぶと同時にぶっつり途切れたような音をさせると、
ポッ。
キュッ。
ヒュンッ。
と彼女たちを飲み込み取り入れ、いずこかへと飛ばして行った。もちろん今回も、痙攣的かつランダム的かつ行き当たりばったり的にだが。
そうして――?
*
そう。
そうして今回の「ジャンプ」はとても短いものだった。何故なら彼女は、倉庫から外に出ればよいだけだったから。
が、しかし、そのとても短い「ジャンプ」の中で祝部ひかりは、彼女の意識は、24時間かそれよりもっと逆行し、順行し、別のルートに入り込み、ドレスを着、友と抱き合い、観客たちの前で涙を流していた。彼女はささやく――ああ、ロミオ、
「“ああ、ロミオ、まだ唇が温かいのね。”」
と、小さな体に広がる死の痛み、あるいは来世での喜びを感じながら、
「“私の感じていること、考えていること、すべてなくなっても――”」
と、床に倒れるロミオーーいや、友のほほを優しくなでながら、
「“二度とここには戻ってこれなくても、私はきっと、あなたのそばに居るわ。”」
そうして彼女は謝罪し、約束した――ねえ、かすみちゃん、と。
「“ずっとわたしは、わたしはずっと、ずうっとわたしは、あなたのそばに――”」
が、しかし、ここで、彼女の「ジャンプ」は終了した。
最後の口づけを、別れの口づけを、彼女に与えることもなく。想いは届かず、約束も履行出来ないまま。ふたたび彼女は、彼女の意識は、時間を逆行し、順行し、本来のルートへと強制的に引き戻され、部屋に入れられ、抜け出し、走り、彼女の死を目の当たりにさせられていた。彼女は涙を流した。やっと。止まっていた涙を。わあわあわあ。と、小さな子どものように泣きわめきはしなかったが、こっそり、静かに。雨が降っていてくれればいいのにと想いながら。この涙を、洗い流してくれる雨が。
そうして――?
「おい! 起きろ! ひかり! 起きろ!」
次の瞬間、彼女の意識に映ったのは、雲の去った空であり、心配そうにのぞき込む中年男の顔であった。眼鏡の隅に、なにか赤いものが付いていた。
「……おとうさん?」彼女はつぶやき、すべてを想い出した。ここは、先ほどの体育倉庫からほど遠くない高校の裏庭、その芝生の上である。
「ごめんなさい……」彼女は続けた。くどいようだが、これは彼女が、ひとりの友を失うまでのお話である。「勝手に抜け出して、ごめんなさい」
彼女の言葉に優太は、安堵と後悔と、これから来る不安の中で彼女を起こして抱きしめた。彼女が涙を、怒りと悲しみを、こらえているのが分かったからである。彼は答えた。
「俺の方こそ」と。他になにか手立てがあったのでは、と。預言を、運命を、あまりにあまく考えてはいなかったか、と。「かすみくんのことは、本当に悪かった」
そうしてやっとひかりは泣いた。わあわあわあ。と声を上げて。優太の肩の付け根に顔を埋めながら。彼を抱きしめ、同時に彼を叩きながら。何故なら彼女は、こっそり静かに泣くにはまだ幼すぎたからである。
「お父さん……」ひかりはつぶやいた。告解する信徒のように。なみだが一旦おさまるのを待ってから、「聞いて欲しいことがあるの」
そうして――?
*
「うっわぁああああああああ!!!」
そう。そうして彼女の、山岸まひろの「ジャンプ」は、とても長く面倒なものだった。
長く、曲がりくねっていて、どこかのドアに繋がるように見えるのにどこにも繋がらず、決して消えることのないように見える割にはすぐまた消えてちがう道が現われるような、そんな長く、面倒なものだった。
何故なら彼女は今回、彼女の祖母の家に向かってジャンプしているのだが、普通の道を行くならいざ知らず、このジャンプで――過去や記憶や別ルートの宇宙が垣間見えるこの「ジャンプ」で――あの花盛りの家へ向かうには、色々と、彼女に見せてはいけないものや、読者の皆さまへのネタバレ禁止的なものや、なんなら作者がこのお話すべてを最初っから組み直さなくっちゃいけなくなるような(それだけはごめん被る、絶対に)、そんな彼女の、過去や記憶や別ルートの宇宙なんかを回避しつつ飛んで行かなければいけなかったからである。であるので――、
「うん?」と、花盛り家の居候・不破友介がその波動を感じ、
グッグ、グググググ、
ググググ、グイイッ。
と、その時空の壁というか歪みというか裂け目みたいなものも曲がりに曲り、
「うっわぁああああああああ!!!」
と、引き続き叫ぶ彼女を、その曲がりに曲がった時間というか空間というか量子ゆらぎの反動で持って、
ポーーーーーーーーーーーーーンッ。
と、花盛りの家のリビングに吐き出す頃には、
「まひろさま?」と訊く不破に対してまひろは、
「え? え? なに? なに? 不破さ…………オェエェエエエエエエ」
と、上下左右も未来も過去も訳も分からぬうす暗がりの中を、歪みに歪みまくった空間の中を、あっちへ行ったりこっちへ来たり、ぐわんぐわん、ぐぅわんぐぅわんと引っ張りまわされふり回されていた彼女は――ほんとゴメンね、まひろくん――まあ……、その……、なんと言うか、その……、この日のお昼に食べてしまったものをだな……その……………………ということになってしまうのであった。
そうして――?
(続く)




