その11
*
『ところは花のヴェローナに、
威勢をきそう名門ふたつ。
ふるき恨みがいまもまた、
今もその手を血に染める。
かかる仇より生まれるは、
ふこうな星の若人ふたり。
憐れふたりはその死もて、
両家の不和を埋めたりて、
死のかげふかきその恋は、
ふたり非業に遂げざりし。
いまは怒りも解けざりし、
その仔細をば、この舞台、
力の限りつとめあげたく。
何卒、何卒、ごゆるりと、
是も非もなしにご高覧を。』
*
そうして舞台は始まった。ローレンス神父の高木さんを序詞役にして。
「“そこで僕は我に返った。美しき女神が友を連れ、こちらにそっと近づいてくるのだ。幼子のようにあどけなく澄んだ瞳。咲きたての白百合のような瑞々しいほほ笑み。神々の創りたもうた美が、何の準備もなく、突然そこに現われたのさ。”」
内海祥平のロミオは好調だった。時々飛びかけるセリフは、台本・演出の村上くんが裏からフォローしてくれた。そうして、
「“しかしなパリス殿、あなたに不足はあらずとも、ジュリエットの方に不足があるのだ。あの娘はまだまだ若い。”」
「“なにを言われるキャピュレット殿、いまはたしか14に。”」
「“いえいえ、あの娘はまだ13。ほんの小さな子供です。”」
と、他の役者陣も、前二回の舞台で自信と度胸を貰えたのだろう、なかなか堂に入った演技を見せ、観客たちを感心させていた。が、しかし、当然、
「“おや、まだ来られておりませぬか? さきほど元気な返事があったのに――ジュリエットさま! ジュリエットさま!”」
「“どうしたの、ばあや。そんな大きな声を出して。誰か呼んでるの?”」
と、観客たちのこころと魂を奪ったのは、先名かすみ演じるジュリエット姫であった。前二回の評判が評判を呼んだこともあったのだろうが、彼女が登場するや否やすべての観客たちは、
ほぉ……。
と、こころからのため息を漏らすことになった。彼女の声と美しさに。愁いを含んだその演技と表情に。舞台は続いて行く。
「“しかし巡礼どの、せっかく作法にかなうご信仰ですのに、そのようなことを仰ってはいけませんわ。聖者の方々にもお手はあるでしょう? 巡礼の方の口づけは、そちらにされるべきでは?”」と、先名かすみのジュリエットは訊ね、
「“しかし聖者にも巡礼にも唇はございます。”」と、内海祥平のロミオは応えた。
「“そうね。でもそれは、お祈りだけにお使い下さい。”」
そう。
結局祝部ひかりは舞台に間に合わなかった。いや、正確に言うと、開演の五分前に、楽屋である教室の方にはたどり着いていた。が、そこから先、舞台がある教室の方へは、廊下にあふれる立ち見の客に道をふさがれ、それ以上、先名かすみの下へは近付けなかったのである。であるが、しかし、
「“ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの? どうかお父さまを否定し、そのお名前をお捨て下さい。もしもそれが出来ぬのなら、私への愛をお誓い下さい。そうすれば、私が代わりに、キャピュレットの名を捨てましょう。”」と、先名かすみが語り、
「“あなたが望むなら! この名前を捨てましょう!”」と、セリフを一行間違えた内海祥平が叫んだとき、それでもかすみはそこに見た。あわててふり返った舞台の上から、廊下に出来た黒山の人だかりの中から、その世界の片隅に、愛しい友の――祝部ひかりの姿があるのを。
一瞬、時は止まり、彼女たちの窓は開いた――が、その間もわずか、
「先名さん、先名さん」と台本・演出の村上くんが、ささやく声で彼女に言った。「次のセリフは、“誰? 夜の闇に包まれ――”だよ」
ハッと我に返り、彼女は続けた。
「“誰? 夜の闇に包まれ――”」とそれでも彼女の、もう二度と会えないと想っていた彼女の到着に、涙を流しそうになりながら、「“他人の秘密を聞く人は?”」
そうして、このとき誰も気付いていなかったのだが、満員の観客の中にひとり、舞台そのものではなく、舞台の上のジュリエット、いや、その役を演じる先名かすみ――いや、このとき彼女は、文化祭のプログラム上は『祝部ひかり』のままだったのだが――そのものに注目している男がいたことに。聖者と巡礼と獣を狩るハンターを掛け合わせたような瞳の、グレーのハンチング帽を被った、ある男を。
そうして――?
*
ザアアアアアア――、
そうしていよいよ、雨はふり始めた。本格的に。街をおそい、川や公園をおそい、すべての罪や記憶を洗い流そうとするかのような、はげしい雨が。
が、しかし、それでもいま、この場において、この場の観客たちにとって、窓を叩く激しい雨音も、とおく響く雷の鳴音も、まったく全然、別世界の事がらであった。彼らは泣き、わらい、ため息を吐いては、彼と彼女のすれ違いに、その恋の行き先に、胸をときめかせては痛めてもいた。
そう。何故なら彼らは知っていたから。いまのあなたと同じように。この恋の行く先がなにをもたらすのかを。とうとう彼女は言った。
「“さあ、これがあなたの鞘よ。どうかそこで錆びて、私を死なせて。”」
と、すれ違いのすえ毒をあおり、地面に伏す恋人の傍らで、彼の短剣を握り締めながら、
「あっ」
と観客のひとりが叫んだ。小さく。恋人の後を追う彼女を止めようと、止めたいと想い、ほそい右手を舞台に向けながら――が、しかし、そのほそい右手も、
「ああっ」
と叫ぶ周囲の声に、止める間もなく刃を刺した彼女の行動に、かき消され、仕舞われることとなった。代わりに彼女は口を押さえた。涙が止まらなかった。先名かすみは続けた。まるでジュリエット姫そのままに――このセリフも、もう何度目か分からないわね。
「“ああ、ロミオ、まだ唇が温かいのね。私の感じていること、考えていること、すべてなくなっても、すべて消えてなくなっても、二度とこの地に、この場所に、戻って来ることが出来なくなっても、私はきっと、ずうっとあなたのそばに居るわ。ずっと、ずっと、ずうっと……あなたのそばに、ずうっと…………、お休みなさい。ロ……。”」
最後、彼女は相手の名前を呼ばなかった。呼べなかった。ただ言い忘れたのか、それとも他の誰かのことを想ってのことなのかは、いまとなっては確かめようもないが、それでも、ここで、ふたたび、床に倒れる彼女の姿に合わせるように、
わぁああああああああああああああああああああああ!
と、観客たちの間から大きな拍手と歓声は起こった。二回目の公演と同じように。そうして、その公演の反省から、舞台はここで幕を下ろすことになった。演出の田中くんと担任の石田先生の提案により、この後のローレンス神父とヴェローナ大公のシーンは飛ばして、簡単なナレーションを入れるだけにして。そう。舞台は大成功だった。
*
「すみません、通して下さい。すみません、通して下さい」
それからしばらくして祝部ひかりは、ごった返す観客たちの中を、今度は楽屋となっている教室の方へと向かっていた。トランプ姿の風見千尋の手を取りながら。なぜなら、長身の内海祥平の頭が、そちらに向かうのが見えたからである――かすみちゃんもそっちにいるだろう。
「内海くん!」最初に声を上げたのはひかりだった。
「祝部?」内海祥平はすぐにそれに応えた。観客やクラスメートにもみくちゃにされながらも、「来てたのか?」そう驚きながら。
「かすみちゃんに呼ばれたの!」ひかりも応えた。「やっぱり一緒にやりたいって!」こちらも観客たちのすき間を縫って、「結局間に合わなかったけど! それでよかったみたい!」
と、かすみの演技の素晴らしさを、もちろん内海の演技もほめつつ、口に出るまま彼女は語った。
「やっぱ登場からちがうのよ、華があるっていうか、パァっと明るくなるっていうか」とか、
「スタイルもいいしさあ、私のうしろで見てた子なんか、ずーっと「うらやましい、うらやましい、うらやましい」って言ってて」とか、
「あと、空を見上げて彼への想いを語るところなんか、わたし嫉妬したからね、内海くんにっていうか、ロミオに」とか、
まあ、そんなことを熱く、興奮気味に彼女は語っていたのだが、
「特にバルコニーの――」そう言い掛けたところで彼女は気付いた。ようやく。いま、自分が、とてつもなく大変なおじゃま虫になっているという事実に。と言うのも、
「どうだった? 俺……」とか、
「うん。けっこうイ……、先名さんのジャマにはなってなかったな」とか、
「実は、ジュリエットへの気持ちを語るとき俺、お前のこ……、お前のアドバイスを参考にしてたんだ」とか、
「うん……。あの辺は……、うん……。あー……、あの辺は、その……、よかった? んじゃないか? 分かんねえけど」とか、
「そうか……?」とか、
「うん……。かっこよかったぜ」とか、
みたいな?
なーんか青春ど真ん中な会話を、目の前のロミオ(内海祥平)と、彼女が連れて来たスペードの2(風見千尋)が、なにやらそこだけ別次元みたいな感じでやり出していたからである。瞳はうるうる、ほっぺはほんのり桜色なんかにしやがってさあ――そのため、
「えーっと?」
ひかりはつぶやくと、先ずは、繋いでいた千尋の手を、そのまま内海に渡したのだが、
「えーっと?」
とこいつら、照れる風もなければ、なんかそのままチューでもおっぱじめそうな顔で歩み寄ったり、瞳と瞳を重ねたりなんかしやがったもんだから、
「えーっと?」
とみたびひかりは、今度はすこし強めにつぶやくと――それでは、
「それでは互いに、つもる話もあるでしょうから」と腰を引き引きその場を離れ、「ここは若いふたりにお任せして……」
と、かすみがいるであろう楽屋の方へ回ろうとしたのだが、
「あ、おい、祝部」と、内海にそれを止められることになった。千尋の顔を見詰めたままの彼に、「先名なら、そっちにはいないぞ」と。
(続く)




