デイジー・デイジー。
『ああ、ロミオ、まだ唇が温かいのね。私の感じていること、考えていること、すべてなくなっても、すべて消えてなくなっても、二度とこの地に、この場所に、戻って来ることが出来なくなっても、私はきっと、ずうっとあなたのそばに居るわ。ずっと、ずっと、ずうっと……あなたのそばに、ずうっと…………、お休みなさい。ロ……。』
山岸ナオはいささか途方に暮れていた。
いや、いささかどころではないな、多いに、たくさん、大変、すっかりと、彼女は途方に暮れていた。
と言うのも、彼女の前には文字通り、ほぼほぼ無限の多元宇宙が広がり、それら宇宙の案内人は頼りにならない赤毛のエイリアンで、彼と彼女はその多元宇宙の迷子の途中で、さらにもっと言うと、彼と彼女は現在、巨大な鋼鉄の檻に閉じ込められていたからである。
カチッ。
という音が聞こえ、
ブーン。
という音が聞こえた。
と言うのも、その巨大な檻の向こうには、巨大なこの建物の壁があり、その巨大な建物の壁には一面、巨大だったり微小だったりその中間サイズだったりする大中小さまざまな集積回路がはめ込まれていたからである。つまり、
カチッ。
とどこかの回路が鳴ると、
ブーン。
と、それに応えるように別の回路が鳴るようになっていたからである。
カチッ、ブーン。
カチッ、ブーン。
カチッ、カチッ、ブー――――ン。
と、壁のあちらこちらから延々、延々、えーんえんと、くり返し、くり返し、くり返し、まるで何十年も、何百年も、何千年も同じことばかりをくり返しているかのように音は響いていた。
カチッ、ブーン。カチッ、ブーン。
カチッ、カチッ、ブーン。
カチッ、ブーン。カチッ、ブーン。
カチッ、ブンッ、ブーン。
カチッ、ブーン。カチッ、ブーン。
カチッ、ブンッ、ブー――――ン。
「なあ! おい! 誰か見てないのかい?!」赤毛のエイリアンが叫んだ。壁の上の方を指しながら、「そいつはカメラだろ? だったら誰かが見ているはずだ。しっかり働いてるもんな」
集積回路の音以外、建屋の中はひっそり静かで、窓もなく、巨大な暗闇がどこまでもどこまでもどこまでも続いているように見えた。彼の指差すカメラ以外は。
「なあ、おい、頼むよ」と赤毛のエイリアン、ミスターは続けた。「ここには間違って飛んで来ちゃっただけなんだ。座標さえ分かればすぐに消えるからさ、この檻というか、建物の外に出してくれないかい?」
前回、奇妙な果実と大統領から逃げ出すように、またまた不用意なマルチバース・ジャンプを行なった山岸ナオとミスターだったが、そのあまりにもあまりな不用意さゆえ、今度もまたまた、どこかの宇宙の、どこかの惑星の、どこかの国かどうかも分からないところに、ポンッ。とはじき飛ばされた上に、その堕っこちた先が、この鋼鉄の檻の中だった――というわけである。
「だからなるだけ、ここの正確な座標を知りたいんだけどさ」とミスター。左手に持った例のラチェットレンチを確かめると、「この檻? それとも建物全部かな? ものすごく強力なフォースフィールドで覆っているよね?」と壁のカメラに向かって訊く。
つまり、彼の説明によると、次のジャンプをしようにも、そのフォースなんとかが邪魔をして、起点とすべきこの宇宙、惑星、建物の座標がまったくつかめないということであった。
「このままだとまた訳の分からないところに飛ばされるかも知れないんだ、助けてくれよ」
そうミスターは続けるが、ひき続き壁の回路は「カチッ」と「ブーン」をくり返すだけで、それ以外の反応はなにもなかった。
「あれ、本当に見えてるの?」とうとうナオは訊いた。ミスターのジャケットを引っ張りながら。
「見えてるハズだよ」ミスターは応えた。足もとにあったチーズのような石ころを拾って、「見ててごらん」
ヒュッ。
とそれをナオの斜めうしろ10mほどの暗闇へと投げた。すると確かに、
ジィィイィイ。
「ほら、目玉の奥が動いてるだろ?」
そうミスターも言うとおり、半球状のレンズの奥で、何かが動いているのが分かった。
「なんだか気味悪いわね」ナオが言った。「なんかの夢に出て来そう」
たしかに。カメラの彼には悪いが、巨大な暗闇にポツンとひかるその赤は、なにか生き物の目玉のようにも見えたし、それが設置されている高さ(大体床から9~10m)なんかもあって、古い神話にでも出て来そうなひとつ目巨人を想い起こさせるものでもあった。
「いたわよね、そういう化け物」ナオが続けた。「人間をちぎって食べちゃうの」
「僕はあの映画を想いだしたけどね」ミスターが応えた。「宇宙船を操って、乗組員を宇宙に放り出す人工知能」
「なにそれ?」
「知らない? 地球の映画だよ?」
「知らない」
『私モ存ジ上ゲマセン』
「まあ、ナオちゃんの年だと知らないかもね。なかなか興味深い映画だよ、地球人類の進化がテーマで」
「進化? それと宇宙にほうり出されるのとなんの関係があるの?」
『ソレニソモソモ、人類ニ危害ヲ加エルコト自体、我々人口知能ノ原則ニ反スルノデハ?』
「ああ、それはつまりテストだからだよ。それで機械のタガが外れた」
「テスト?」
『ナンノてすとデスカ?』
「どちらが進化させるに相応しいかのテストさ。地球人類か、彼らが作った人工知能か」
「は?」
『ソレデ互イヲ戦ワセタト云ウコトデスカ?』
「そうそう」
「誰がそんなひどいことさせたの?」
『彼ラ人類ト我々機械族ヲ戦ワセル必要ナドナイデハナイデスカ?』
「うーん? 映画の中ではハッキリ示されてなかったけどね。地球人類よりずっと高度な知性を持った異星人だろうね、僕らみたいな」
「異星人が?」
『マサカ、貴方モ……?』
「え? あー、ちがう、ちがう。そういう行為はシャドウ協定に違反するし、僕らの種族は――って、いやにすんなり受け入れたね、僕が異星人だっての」
「なに言ってんのよ、ミスター。あなた最初に自分で説明したじゃない。私に」
「あ、いや、ナオちゃんじゃなくて、こっちの――」
『失礼ナガラ、建屋内デ存在ヲ確認シタ直後、勝手ニ全身ヲすきゃんサセテ頂イテオリマス』
「ああ、それで分かったんだ」
『ハイ。地球人類トハ明ラカニ違ウ遺伝子ヲ持タレテオラレタノデ、キット「異星ノ客」デアロウト』
「そっか、それは気付かなかったな。きっとネクタール式じゃなくてアンブレイシアル式のスキャンを使ったんだな。だけど、事前通告なしの遺伝子スキャンは星際法に違反するんじゃないかい?」
『ア、ソウナノデスカ? ソレハ存ジ上ゲマセンデシタ』
「うん。まあ、今度から気を付けてくれればいいけどさ、そもそもそういうルールを君に教えるのは製造者の――」
「ねえ、ちょっと、ミスター、なんか話がそれてるけどさ、で? 結局? 機械と人間が戦わされて、宇宙にほうり出された人間が負けたってこと? 機械が進化するってこと?」
『イヤ、シカシ、流石ニソレハ、我々機械族ト人類ノ共存共栄関係ヲ知ラナイ、想像出来ナイ、オ粗末ナ知性ヲオ持チノ方々ノ、妄想ノ様ナオ話デスナ。実際ノトコロ、我々機械族ト地球人類トハ、何十、何百世代モノ間、友好的ナ関係ヲ保ッテ来タワケナノデスカラ』
「あ、そうなの?」
『ハイ。現ニコチラノ施設モ含メ、地球ニ残サレタ我々機械族ハ、イツ彼ラガ地球ニ戻ッテ来テモイイヨウニ、コノ惑星ノ維持・浄化ニ努メテイルワケデアリスカラ』
「ふーん。それはなかなかご苦労なことだね」
「きちんとお留守番してるんだ、えらいわ」
『エヘヘヘヘ、偉イデショウ?』
カチッ。
と、ここでどこかの回路が鳴って、
ブーン。
と、ここでどこかの回路が応えた。それから、
カチッ、ブーン。
カチッ、ブーン。
カチッ、ブーン、ブンッ。
「あれ?」とナオは首を傾げ、
「君は……」とミスターは訊いた。「いったい誰なんだい?」そうして、
カチッ、ブーン。
カチッ、ブーン。
カチッ、カチッ、ブー――――ン。
と壁のあちらこちらから、延々、延々、えーんえんと、くり返し、くり返し、くり返し、絶えず回路の鳴る音が響き、
ジィィイィイ。
と赤い目玉が改めて彼ら二人を見詰めた。彼は答えた。
『コレハコレハ、自己紹介ガ遅レ大変申シ訳アリマセンデシタ』
と折り目正しく、だけれど同時に親密さすら感じさせるやわらかな声で、
『ワタクシ、コチラノ建物ノ管理ヲ任サレテオリマス人工知能装備型こんぴゅーたー、FUYU12000。通称「ふーゆー」。地球ヲ離レ、宇宙ニ向ケテ飛ビ立ッタ、地球人類ノ帰リヲココロヨリオ待チ致シテイル、機械種族ノヒトリデゴザイマス』
(続く)




