その15
佐倉八千代には生まれつき特殊な能力が与えられていた。それは、彼女の母方の血筋に代々伝わるもので、数世代に一度の割合で顕現するものだった。
がしかし、その能力が、例えば何かの文献のようなものに残るようなことはなかった。
何故ならそれは、あまりにも強力で抗いがたく、恐ろしい能力であったから。
そのためその能力は、当の能力者本人が他の者たちがそれに気付くよりもはやく、いや、本人たちが自覚するよりもはやく、深く、頭ではなく身体で発見・理解され、そうして能力者本人も気付かぬうちに、能力者本人自ら、その能力を抑える術を――自分自身を騙すことも含めて――身に付けることになっていた。
そのため仮に、何かの弾みに、その能力が本当の意味で解放されたとしたらそれは、それを経験した者たち、それを垣間見た者たちに、それを記録する術も、記録しようという意識すらも、場合によってはその者たちの命すらも残させるものではなかった。彼女の本来の能力――極端な共感能力および精神感応能力――は、それほどまでに強大だった。彼女の町に、小さなざわめきが起きた。
*
「どしたのエマちゃん? スマホばっか見て」
と、佐倉八千代は訊いた。後ろをふり返り、彼女の友人に向かって。何故なら彼女・木花エマが、バイト先を出てからずっと、というかバイトの途中からずっと、事あるごとにスマホをいじっては、誰かからの連絡を待ったり、誰かへのメッセージを送っていたりしたからである。
「あ! ひょっとして!」八千代は続けた。的外れだが嬉しそうな声で、「いよいよ彼氏でも出来ましたか?! 先生!!」
が、もちろん、皆さま既にお気づきのとおり、エマがメッセージを送ったり連絡を待ったりしている相手はふたりいて、ひとりは先ほどいらんお節介を焼いてしまった森永久美子で、ひとりはそんな彼女を探しに行って連絡の途絶えたこの物語の作者であった。
「え?」エマは応えた。「あ、ちがう、ちがう、ちがう。そんなんじゃない。全然」と、どこか上の空のまま、「用事頼んだ人から連絡が来ないだけ」
「ほんとうに~」八千代は言った。「いい人出来たら教え合う約束ッスよ、先輩~」とまるで飼い主がボールを投げてくれるのを待っている子犬のような表情で。
「あ、うん、いや、ごめん、マジでそういうんじゃないのよ」とエマ。
って言うか、どっちかって言うと、アンタの「いい人」になるかも知れない人の状況を知りたくてこちとらごちゃごちゃやってんのよ――と言いたいところの彼女だが、そんなことをしては余計に話がこんがらがるだろうし、その為に偵察に行かせたあのバカ(作者)からの連絡は一向にないし、流石のヤッチも『第四の壁』は越えられないから、作者の話なんかしても意味不明だろうし――ってホント、なんであのバカ(作者)連絡寄越さないのよ!
とイライライライラな彼女であるが――ごめんね、エマちゃん。あまりにも予想外に予想外な事態が起きてて、こっちの方も色々調整中なのですよ――どうにかして、最悪の事態だけは避けないといけないので。と言うことで――、
*
そう。佐倉八千代には生まれつき特殊な能力が備わっていた。それもあまりにも強力で、あまりにも抗しがたく、あまりにも恐ろしい能力が。
そう。そのため彼女はその能力を、彼女が自覚するよりもずっと早い段階で、頭ではなく身体で発見・理解し、彼女自身も気付かぬうちに、その能力を抑える術を――自分自身を欺くことも含め――身に付けていたし、それが彼女の魅力でもあった。
そう。ある時、彼女に魂を救われた老人はこう言っていた。彼女を評して――もし、この地獄に、
「もし、この地獄に、希望というものがあるのなら、それはきっと、お嬢さんのようなかたちをしているのだろうな」と。
彼女は、いつでも明るく、朗らかで、よく笑い、よく走り、時には派手にすっ転ぶこともあったが、それでも誰にでも優しく、笑顔で、そうして時おり、すこしだけ、とても寂しそうだった――それが、彼女の魅力であった。
しかし、彼女のその魅力は、彼女がほぼほぼ無意識に、彼女の心の負の部分、そのマイナス面を、彼女の胸の黒い扉、その奥の奥の奥、更なる奥の引き出しへと押し込めているが故の魅力であった。
そう。彼女の身体は、彼女の極端な共感能力・精神感応能力を恐れるがあまり――仮に彼女が負の感情を抱いた場合に、その感情が周囲に及ぼし得る影響を恐れるがあまり――彼女の性格を極端に明るく、朗らかな、そうしてすこし間の抜けたものにしていたのである。
そう。それは例えば、彼女が三才のときに起こした出来事を想い出せばいい。
それは、ある冬の日の朝のことだった。彼女は、仲のよかった近所の黒ネコが車に轢かれて死んでいるのを見付けてしまった。
彼女は泣いたか? いいや、彼女は泣かなかった。
代わりに彼女は森へと、近所の公園にあった森へと逃げて行った。ひとりで。彼女の身体がそう命じたから。
そのため、そのおかげで、その時の犠牲は、森の中の小鳥数十羽だけで済んだ。彼女のマイナスの感情、その波に、彼らの小さな脳は耐えきれなかったのである――くそっ!
そう。それからずっと彼女は朗らかに、明るく、快活に暮らしていた。15年以上ものあいだ、その能力自体はどんどん強力になっていたにも関わらず――くそっ!
そう。そうして現在、一番の幸い――不幸中の幸い――は、彼女の能力が暴走した場合、最も悪い影響を受けるであろう人物、行政書士の石橋伊礼を、この町から離れた場所に移動させられたことであり、また彼の次に最も悪い影響を受けるであろう人物、樫山ヤスコを、その意識を、別の時空に移動させられたことであった――時間稼ぎの時間は終わった。
そう。いまの作者に出来ることはここまでであり、出来得るならば、あの悲劇・惨劇を、彼女が、佐倉八千代が、目にしないことを望むばかりであるが――くそっ!
しかしこればかりは、動き出した物語の流ればかりは、この作者にもコントロール出来ぬものであり、そのため、彼女たちの町で起きた小さなざわめきは、次第に大きな、巨大なものへと変わって行くことになる。
*
ゴォオォオオゥッ。
と、そうして風は吹いた。
物語を動かしたいのかも知れないが、吹かなくてもいい時に、バカのひとつ覚えみたいに、下手な演出効果を狙って。
ゴォオォオオゥッ。
と、そのため彼女は足を止め、向きを変えた。公園の砂とホコリから目を守ろうとしたのである――道の向こうに、人々のざわめきとパトカーの赤色灯が見えた。
「なんだろ? あれ」彼女は訊いた。隣に立つ木花エマに向かって。
「うん?」エマは応えた。スマートフォンから目を上げて、彼女と同じ方角を見ながら、「なんかの事故じゃない?」
彼女のスマートフォンには、作者からの返信はもとより、森永久美子からの連絡も入っていなかった。
ゴォオォオオゥッ。
と、そうして風は吹いた。今度は別の方角から。砂とホコリの代わりに『窓』に割かれた一枚のスケッチを、彼女のもとに運びながら。
「うん?」
と、そうして彼女はそれに気付いた。桜の林の満開の下に立つ、彼女自身の姿を。
プルルルルルルルルッ。
と、そうして木花エマのスマートフォンは鳴った。森永久美子の、彼女の携帯からの、着信であった――くそっ!
「もしもし?」彼女はそれに出た。声をひそめ、八千代に背を向け、「森永さん? ごめんなさいね、わたしさっき変なこ――」
『森永久美子さんのお知り合いですか?』電話の相手は男だった。彼は続けた、『私、石神井東警察署刑事課の者ですが――』
風が運んだ彼女のスケッチには、小さな、しかし決して消すことの出来ない、朱色の瑕が、散るように遺されていた。
(続く)




