その12
「お願いします! ほんと、一生のお願いですから! その結果を見て、私もどうするか考えますから!」
と、言うことで。
泣く子とフィクションの壁を破るキャラには勝てない創作者の悲しさか、木花エマの希望に従い、プロットを若干修正、次のシーンに行く前に、先ほど『シグナレス』を出た森永久美子の後を追いかける作者であった――が?
あれ?
とここで作者は立ち止まる。
森永久美子の住むアパートは、アシスタント先であるカトリーヌ・ド・猪熊のマンションから石神井川沿いに東石神井駅に向かう途中にある。今日は『シグナレス』に寄ったのだから、公園通りや団地の横を通って戻ればよいはずで、街灯や人通りの多いところを選ぶとその帰宅ルートは限られる――と言うか、彼女の性格を考慮すればひとつに絞られるはずなのだ――が?
あっれえ?
とふたたび作者は立ち止まる。
なにか奇妙な――いや、たしかに先ほど、“あいつ”を書くには書いた――が?
ブゥォオン。
とここで音が聞こえた。
車やバイクや冷蔵庫や、その手のものに似ているが、まったく違う音――が?
ブゥォオン。
うん。小さいが確かに聞こえる。マリサ・コスタや山岸富士夫が見たような、あの光のなにかに似た音――が?
ブゥォオン。
大きな通りを離れ、音のする方向へと進む。いや、“あいつ”は今日、森永くんを観察に来ただけなのだ――が?
ブゥ……ォン。
とここで音は消えた。光の、『窓』の、なごりが一瞬見――ウソだろ?
そこには静かな暗闇と、半分に割かれたトートバッグ、それに、さっき森永くんが使っていたスケッチブック――八千代ちゃんを描いていたあのスケッチブック――が、ただ、ぽつり。と置かれていた。そうして――、
*
実は樫山ヤスコには、前回のミスターとの再会で不満だったことがひとつだけあった。
とここで作者は突如シーンを切り替える。何故なら、あまりにも予想外であまりにも恐ろしい事態が起こったから。状況を整理し対応策を考える時間が欲しかったから――が?
「あれ?」とここで樫山ヤスコがこちらを向いた。いつもと違う難しい顔の作者に、「どうしたんですか? なんだか難しい顔して」と。
あ、いや、別に――と作者は答える。ヤスコ先生に相談出来る話じゃないし、仮に誰かに話してしまえば、そこで事象は確定してしまう――ごめんごめん、なんだっけ?
「私がミスターに不満があるとかなんとか」とヤスコは言い。
ああ、そう、そうでしたね――と作者は続ける。とにかくいくらか時間を稼いで、その間に最悪の事態だけは避ける方法を考えないと――まあ、ミスターへの不平不満ならたくさん持たれてるんでしょうけれど――そう続けてお話をヤスコの下へともどす作者。するとヤスコも、
「もうね、ほんとね、それはもう」とこちらの動揺に気付かぬ様子で会話へと、彼女の物語へと戻って行く。「だってこのひとさあ」と、云々かんぬん。
前回だけに限らない、毎度毎度のミスターへの不平不満を他にもいっぱい言いそうになったのだが、この辺は大体いつものことなので、スルッとスルーさせて頂くこととして、問題となっている不満とは、いつもの彼なら必ず言うこと、すること、ヤスコに絶対お願いしてくること――それこそ九才の時に初めて会ったときからずっと、言ったりしたりお願いしたりして来たこと――を、言わず、やらず、要望して来なかった、という不満であった。そのため――、
「それで……ムシャムシャムシャムシャ……そこの経理部長……ガリガリガリ……ってヤツが……ガリガリ……これまた変わっ……モグモグモグモグ……変わっていて……モーグモグモグモグモグモグモグ……仕方がないから……クッチャクッチャ……“コリン”に頼んで……クーチャクチャクチャ……そいつのアグラマレイトをアーキマンドライトにエイグレットしてやっ……あっ、この漬け物おいしいね」
と、お口いっぱいに食べ物を詰め込んでミスターは喋っていた。樫山家の台所に座って。ヤスコは答えた。
「でしょ? 編集の人が出張先のお土産にって持って来てくれたのよ」
と、自分もそのキュウリの古漬けをひと切れつまみながら。
「うん……バリバリバリバリバリ……この塩っけがなんと……ムーシャムシャムシャムシャムシャムシャ……やっぱりこの頃……クッチャクッチャクッチャ……この頃の日本が一番……ガーリガリガリガリガリガリガリ……ごはんがおいし……あ、麦茶お代わり」
「はいはい。ごはんどうする? おにぎりにでもする?」
「あっ……ガリムシャ、ガリムシャ、ガリムシャムシャ……いいねえ……パクパクパクパクパク。塩を効かせて、海苔もいっぱい巻いてちょうだい」
「はいはいはいはい」
と、言うことで。
いまや樫山ヤスコのミスターに対する不満はすっかり解消されていた。
と言うのも、いま、ここ樫山家の台所では、お米が炊かれ、麺が茹でられ、冷蔵庫の大掃除とばかりに目一杯の料理がテーブルへと並べて置かれ、ミスターはミスターでその冬眠明け灰色グリズリー並みの食欲をおおいに発揮し、ヤスコはヤスコで、そんな彼のお腹を自身の手料理で満たせる喜びを感じていたからである。
そう。彼、ミスターは、その薄っぺらで貧相な見た目からは考えられないほどの大食漢であり、ヤスコと会うと必ず、
「お腹すいた」とか、
「あ、あそこの○○美味しそうだよね」とか、
「頼むよ、なにか食べさせてくれないかい? お腹が空いて死にそうなんだよ」みたいな?
そんなことを言うのが常であり、なので彼女は今回も、
厚切りハムにハムエッグ、焼いた鶏肉、茹でた鶏肉、昨夜の残りのポークチョップに冷凍していたハンバーグ、生のキュウリにチンしたキャベツ、茹でホウレン草にはたっぷりおかかをドサッとかけて、作り置きのキンピラだって出しちゃうし(ゴボウと大根葉)、具材たっぷりおみそ汁もたーっぷり作っては、たーっぷり彼に提供していた。
「あっちちちちちちち」と炊き立てごはんをおにぎりにしながら、「それで? そしたら今は、その“コリン”ってひとと一緒なの?」
「ひと?」ミスターは答えた。お味噌汁をゴクゴク飲んで、「あー、いや、“コリン”はそこの会社のインターフェース用ロボットさ。防犯用ネットワークに侵入するのに必要だったからちょっと友だちになってもらったんだよ」
「ふーん?」と応えるヤスコだが、ミスターの話は相変わらずよく分からなかった。
と言うのも、どうやら今は、どこかの巨大企業に忍び込んでそこの悪事? 重大な秘密? を暴露した時の話をしているようなのだが、このすこし前までは、
「ヴェネチアには久々に行ったけどやっぱり美しいね。狼男さえいなければ完璧だった」
みたいなことを言っていたし、そのすこし前は、
「その図書館は東銀河じゃ最大で、ありとあらゆる書物がそろってるんだけど、そこにやつらの予告状が届いたってワケさ」
と、その筋じゃ結構有名らしい怪盗団のお話なんかもしていたし、かと想えば、
「それがもう、空も地上も車、車、車の大渋滞! そんな中でネコを一匹探して欲しいって言われたんだから大変さ」
と、どこかのおばあさんの迷いネコ探しを途中ではさみ込んだりもするワケで、内容の突飛さも去ることながら、前後の文脈や時系列もムチャクチャ。なのでヤスコもついつい、
「え? 狼男って実在するの?」とか、
「なんでガチョウが図書館にいるのよ」とか、
「ちょっと待って。その“コリン”ってのは、おばあさんの飼い猫の方の“コリン”で、あなたがお友だちになったロボットの“コリン”は――え? そっちの“コリン”もネコ型だったの? 青ダヌキとかじゃなく?」みたいな?
そんな質問、ツッコミ、お問い合わせをすることになるのだが、これらに対するミスターの回答も回答で、
「そうそう、それで裁判だよ。“狼男”ってのは差別的蔑称だって言われてさ」とか、
「なに言ってんだよ、ガチョウにガーネットってのは、君たち地球人のお約束だろ?」とか、
「だからー、ふわっふわでころっころのまっ白い方がおばあさんの“コリン”で、カクッカクで、ヴぅ―ンと浮いてて、色が茶色いのがロボットの方の“コリン”。で、背が高くてブロンドで、水着みたいな鎧にハイヒールのブーツにバズーカ持って戦いを挑んで来たのは……あれ? あの子は一体だれだったっけ?」みたいな?
どうにもこうにも意味不明。あるところで話が繋がったかと想えばまた別のところへ話はズレたりスキップしたりする。これまでもずうっとそうだったのだろうが、いまの彼の時空間移動はいよいよもってランダム的、痙攣的、行き当たりばったり的になっているようで、
「例の修道士? だっけ? いまの話も、彼らとの契約の中で行ったり来たりした結果ってこと? なんか前よりひどくなってない?」
というヤスコの疑問ももっともで、現在進行している(らしい)全宇宙的規模の混乱の中、ミスターも、彼を色んなところへ飛ばす『修道士たち』も、その影響を受け、いよいよ混乱に混乱を重ねている様子であった。ミスターが言った。混乱した口調のまま、
「そうそうそうそう、そうだった」とようやく何かを想い出したかのように、「“リスト”だよ、“リスト”」
「“リスト”?」ヤスコは訊き返した。「“リスト”ってなんのリスト?」
「そろそろ君が手にするって聞いたんだ」ミスターは答えた。「それを見せて欲しい」
「え?」ふたたびヤスコは訊き返した。先ほど見ていたパソコン画面を想い出しながら、「ひょっとしてお父さんの?」
「いや、そこまでは聞いていない」ふたたびミスターは答えた。「君がパソコンでアクセスするってことくらいしか聞いていない」
「だったら多分あれだけど――」とヤスコは答えようとして、そうして訊いた。「あれっていったい、なんのリストなの?」
「“守るべきもの”のリストさ」ミスターが答えた。
「“守るべきもの”?」
「あるいは、“転生者たち”って言った方がはやいかも」
「へ?」ヤスコは戸惑った。やっと話がつながりかけたと想ったら、また奇妙な言葉がそれを断ち切った。「“転生者たち”? ってなに? それを守るの? あなたが? というか誰から?」
「もちろん僕だけじゃ守り切れないさ」とミスター。ひき続き話はよく分からなかったが、「だから“リスト”がいるし、そこから誰か、あるいは何から守ればいいかが分かるかも知れないし、そのための仲間、協力者、コンパニオンだって見付かるかも知れ――」
「ちょ、ちょっと待って」とヤスコ。彼の話をさえぎりながら、「たぶん、あれがその“リスト”だと想うけどさ」と席を立ち、彼を二階の書斎まで連れ戻そうとして――とここで、
ピッ ピッ ピッ ピッ。
と奇妙な電子音――ミスターの腕時計のアラーム――が鳴り始めた。
「え? なに? もうかい?」ミスターは言った。どうやら彼は彼でそろそろ次の時間と空間に移動しなければいけないようだ。「ヤスコちゃん、そのリストは? すぐ持って来れるかい?」
ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ。
「に、二階の私の書斎に――」
「だったら一緒に行った方が早いな」と言ってこちらもテーブルから立とうとするミスターだが、
ピピッ ピピッ ピピピピッ。
ピピッ ピピッ ピピピピッ。
と、時計の鳴る間隔もどんどん短くなって行き、
「ああ、もう、ちくしょう」とミスターは毒づいた。「いいかい? ヤスコちゃん」二階に上がるのはあきらめながら、「そのリストがあの“リスト”なら、その中に君たちの子供や、例の姪御さんの名前もあるはずだ」
ピピッ ピピッ ピピピピッ。
「子供?」と、引き続き戸惑いながらのヤスコ。「姪? って例の殺されるかも知れない?」
ピピッ ピピッ ピピピピッ。
「そう。子供の方は僕がどうにかするから」と、腕の時計を確認しながらのミスター。「君たちは先ず、姪御さんを見付けて、彼女を助けてあげてくれ」
ピピッ ピピッ ピピピピッ。
「それが世界を救うこ――」
ピピッ ピピッ。
「ちょっと待ってよ! ミス――」
ピ――。
と、こうして彼はふたたび、何処とも何時とも分からない、別の空間、別の時間へと飛ばされて行くことになるのであった。そうして――、
(続く)




