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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第八話「エジプト人のようにあるこう。」
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その5


「そうそう、たしかにこんな感じでしたよ」と佐倉八千代は言った。給仕用の丸盆を胸に抱き、森永久美子の肩越しに、彼女が描いているスケッチブックを眺めながら、「あのときは大変でしたけど、でも逆によかったですよね、道にまよって」


 と、言うことで。


 カトリーヌ・ド・猪熊の化け物っぷりを説明してたらやたらと長くなってしまい、更新をまたいでしまったこちらの連載ですが、ここで場面は切り替わり、カメラはふたたび、町の小さな喫茶店、青い扉の『シグナレス』へともどって来ます。


 前にも書いたとおり、本日現在の『シグナレス』は、なんだかほぼほぼ開店休業。いつもなら客たちの熱気とお喋りと笑い声で埋め尽くされる店内も、いまはお客は森永久美子を除くとふたりだけ。厨房の木花エマも、ウェイトレスの佐倉八千代も、ヒマでヒマでヒマでヒマで仕方がないといった感じで、なんと八千代に至っては、森永のうしろの席にすわって、延々彼女とお喋りをしていたりします。


「ほんと私、初めてでしたよ、あんなきれいな桜の木を見たの」


 みたいな感じで。ひき続き森永の肩越しに、彼女が描く絵を眺めながら。森永も応えます。


「枝も細くて、まだ若かったんでしょうね。いわゆるソメイヨシノじゃない……多分、オオシマザクラで」とスケッチの手は止めぬまま、「八千代さんが、ここに、こんな風に立っていて」と、その桜の木の下に、八千代の姿を入れながら、「とってもキレ……似合っていて、ステキでしたよ」


 彼女がいま描いているのは、今年の春、ちょっとした用事で八千代とふたり調布の町へと出かけ、道に迷い、ある山寺の近くを通り過ぎた時に見た山桜の林、その風景であった。


「こんな格好でしたっけ? わたし」八千代が訊いた。


「ええ、八千代さんには珍しいロングスカートで」森永は応えた。「帽子の上に花びらが三……いや、五枚のっかって」


 と、まるでいま、その場面を見ているかのように語る彼女でありますが、実はこれが、前回更新分で言い掛けた、『彼女の中に眠っていた、ある特殊能力』の一部であります。


 と言うのも、いま、実際彼女には、その場面が目の当たりに見えているのでした。その時の風の匂いや八千代の笑い声なんかと一緒に。墓地の外れにひそやかに、しかし賑やかに咲く、若いが満開の色をにじませた、満開のさくらの林が。


「こんな感じに、あかく照った葉の隙間から、白い若木の花たちが――」と。


 そう。彼女、森永久美子がカトリーヌ・ド・猪熊のアシスタントをするうちに目覚めさせた能力、それは極端な直観像記憶――これまでに彼女が見たものすべてを、その細部に至るまでのすべてを、はっきりと想い出せてしまう、そんな能力であり、そうして、そのため、その能力のせいで、


「とても、キレイでしたよ、八千代さん」


 と彼女はつぶやき、奥の席の男に見詰められることになるのでもありました。そうして――、


     *


「だれが、こんな、僕の母さんに」


 と戸柱恵祐がつぶやき、彼の手の中の写真――上下に別れた母の写真――が燃えているのに気付いた瞬間、右京海都は、それが、遠い昔に見た映画の一場面と不思議に結び付いていることに気付いた。右京の記憶はさかのぼる。


 そう。それは、その映画の中で主人公は、うす暗い地下の貯蔵庫にいて、そこには、牛や馬や羊や豚といった生肉が数頭、鉄の鉤に吊らされ並んでいる記憶だった。もちろん鉤は何千とあったが、戦争も終盤戦で、主人公のまわり以外、他には何も吊らされてはいなかったが。


 ドン、ドン、ドン。


 と彼の頭上では、巨人が足を踏み鳴らすような音が続いていた。


 ドン、ドン、ドン、ドン。


 と戦争も終わりに近付き、連合国側は、大量に集めた重爆撃機から大量に集めた爆弾を、彼が捕らえられている枢軸国側の都市に無差別的に投下しているところであった。


 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。


 と、この爆撃で都市の85%が破壊され、死者の数は10万人以上となるのだが、彼が今いる地下貯蔵庫は非常に堅牢強固で、天井から時折り雪のような白い塗料が落ちて来る以外、これと言った影響を受けてはいなかった。


「おい」警備兵のひとりが右京に言った。彼の国の言葉で、「一緒に来い」


 彼は連合国側の捕虜だったが、祖先はこの国の人間だった。なので右京は警備兵の言葉が分かったし、警備兵は、地上の様子を見るのに彼について来て欲しがっていた。


 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。


「***は?」地上への階段を上りながら右京は訊いた。***とは、また別の警備兵の名前である。


「爆撃が始まる前に家に帰った」警備兵は答えた。彼は彼の友人であり恋人でもあった。


 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。


 連合国側の爆撃は続いていた。その都市には、右京を含め、彼らの国の捕虜たちが何百人といたはずだが、それでも、とにかく、誰彼構わず爆弾は落とされた。もちろん無差別に。


 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。


 天井扉を開け、そこから覗いた地上は火の海、火の嵐であった。街はひとつの巨大な炎、生きとし生けるもの全て、そこにあるあらゆる燃えるもの全てを焼き尽くす炎であった。


     *


「右京!」と彼のとなりで警備兵が叫んだ。「小張さんを外へ!」


 いや、彼の目の前で左武文雄が叫んでいた。


「応援! いや! 消防! いや! 消火器かなにかを持って来い! はやく!」


 と、ここで彼・右京海都は現実へ、自身が勤める警察署へと戻っていた。そこのせまくうす暗い、取調室へと。


「戸柱! 落ち着け!」続けて左武は叫んだ。戸柱恵祐の母の写真は、彼の手の中で真っ黒な消し炭になっていた。しかし、


「だれが、なんで、こんな」左武の声に恵祐は応えず、ひとり念仏のような言葉をくり返すだけだった。テーブルの上のノートや資料がゆっくりと燃え始めていた。天井の空調は既に動きを止めていた。


「こ、小張さん、外へ」右京はそう言うと、イスに座ったまま動かない小張千秋の手を取り彼女を立たせようとした。が彼女は彼女で、


「え? でも、これって被害者の燃え方とちが――」となにやらつぶやき立とうとしない。仕方がないので右京も、


「小張さん!」大きく叫ぶと、彼女の肩をつかみ、彼女を無理やり立てらせた。取調室のドアを開けた。


 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。


 と爆撃の音が聞こえるようだったが、この部屋の中は先ほどの貯蔵庫よりも熱く、戸柱恵祐のこころの怒り、炎は、先ほど覗いた地上のそれと同じかそれ以上のようであった。


「左武!」部屋を出ながら右京は叫んだ。


「いいから!」こちらを向かず左武も叫んだ。「ここは俺が!」すこし戸惑い、「なんとかする!」


 と彼はこう言いたかったのかも知れないが、結局その言葉は口の中にしまわれた。


 と言うのも、彼がそこに残った本当の理由、それは、もっともっと単純に、ただただ彼がそこから動けなかった――というものであったから。


 どうして?


 そう。それは彼が、戸柱恵祐のこころの声を聴き、その怒りに、炎に、巻き込まれていたからである。

 最後に母を抱いた時の感触、炎、窓の外に見えた光、怒り、遠くに聴こえる赤ん坊の泣き声、炎、炎を燃やしつつ目を細め、そこに見えたひらひらと舞う雪。と、怒り。


 それは子ども時代の想い出であった。父は登場しない。家を飛び出し、街灯のあかりを見上げていた想い出である。怒り。母は来ないかも知れない。怒りが必要だった。すべての雪を溶かすだけの怒り、いや、この街を、この地上を、この世界を焼き尽くし、溶かし尽くすだけの怒り、炎、怒りが。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、愛せないのならば、なぜ、産んだのか、炎を、怒りを、そう。怒りを、ひかりを、怒りを謳え――、


「あのう、すみません」


 とここで左武は――恵祐の想念に捕らえられ動けなくなっていた左武は、彼の記憶の中に、見覚えのある顔、聞き覚えのある女の声を見い出していた。


「こちら、お隣、よろしいですかあ?」


 その記憶の中で女は、気さくに、言ってみれば好意を持っている相手に対するようなトーンで、恵祐に声を掛けていた。


 が、もちろん、そんな彼女の気さくさに恵祐は戸惑うばかりであり、彼は下を向き、目も合わせられなければまともな会話も出来ない様子であった。が、それでも女は喋り続けた。


「ここの公園、よく来られるんですか?」とか、


「あ、あのネコちゃん、おなかに変な模様ありますね」とか、


「私も船なら乗ったことありますよ、一度。沈んじゃいましたけど」とか、


 そんな取り止めのない会話を、延々延々だらだらだらと、まるで会話の内容よりも、自身の声を彼に聞かせるのが目的でもあるかのように。


「まったく、よくしゃべる女だな」


 と左武文雄は想い、恵祐の記憶が女をちらりと見たとき、彼はようやく想い出していた。この女とどこで会ったかを。女は、とてもきれいな脚をしていた。


「あのー、お隣り、よろしいですかあ?」


 そう。それはこの数日前、ある居酒屋で出会ったあの女、彼が記憶を消される直前に出会ったあの女、あの問題の女であったし、彼も恵祐も彼女の名前を知らないので私が代わりにネタバレすると、彼女の名前は深山千島、祝部ひかりの父・優太の部下であり、またこちらも奇妙な力を持つ、あの、彼女であった。



(続く)

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