その2
承前。
「ぜんぶー、死ぬまでにー、ちゃーんと読むからさー、置いてていいでしょー、詢吾―」
と、前回更新分の最後で樫山ヤスコは言ったが、もちろん、こんな約束が守られるはずもないことは、彼女の弟・詢吾には十分過ぎるほど十分に分かっていた。
と言うのも、今回送られて来た亡き父の遺品・段ボール数十箱分の書籍類は、これもこれでほんとどーかと想うのだが、それ以前に、それ以上に、彼らの住むこのオンボロ一軒ホーム・スイート・マイホームには、もう既に、そんな本を置くスペースなぞは残されていなかったからである。一冊も。
いや、まあ、正確に言えば、例えば、階段とかベッドの上とか下とか、リビングソファやキッチンテーブル等々などの上も空いてると言えば空いてるし、なんなら床や廊下に直置きなんて手もないことはないのだが――自分が許すとこの姉は必ずやる、絶対にやる――それは流石に自身の美意識が許さないし、ただでさえ狭い生活空間をこれ以上狭くするわけにはいかない。
それにそもそも、「死ぬまでにー」とかすっとろいことをぬかしてやがるが、この姉も自分も、貧乏暇なしを地で行く三文小説家と貧乏マンガ描きである。朝から晩まで仕事をしては、資料を読むのですらギリギリ。財布と銀行の預金残高に余裕があれば老後の楽しみとしての読書を考えることも出来るだろうが、先述のとおり我が家は、働けど働けど我が暮らし的自転車操業、宵越しの金は持つことすら怪しい火の車である。そのため、
「なあ、おい、お前、未来のプランとかあるか?」と友人に訊かれても、
「さあ、未来があるかどうかも分かんねえよ」
と答えるのが関の山。老後があるかもよく分からない。なので、
「いつ読むんだよ! この書籍の山をよ!」
と叫びたくなるのも仕方ないことだと想いませんか? 想いますよね? ……って、流石に、叫んだりはしませんけれどもその代わり、
「だーめ、さすがに今回のはあきらめろ」と姉を諭すことになります。「せめてここの物置きか、あんたの部屋に収まる量に絞れよ」
「あんたの部屋は?」
「ダメ。これ以上は俺の資料が置けなくなる」
「私の部屋、床まで浸食されてるし、ここの物置きだって」とここでヤスコ。うしろをふり返ると、「置けても2~3箱分?」と、今にも倒れそうな本の山を見上げながら言う。「……残りはどうするの?」
「買い取ってくれるなら乙葉さんのところ」と詢吾。「中には高そうな本も……いや、貰ってくれるならタダでもいいか」
「えーーーーーーーーーーーーー」
「乙葉さんのところなら大事にしてくれるだろうし、あそこなら貸し出しにしてくれるかも知れないし」
一応補足しておくと、ここで言われている「乙葉さんのところ」とは、祝部ひかり&清水朱央のパートでちょくちょく出て来るあの古書店兼貸本屋『ウィリアム書店』のことであり、なんだかんだでこの姉弟もちょくちょく通っては、店主の小林乙葉とも顔見知りになっているのであった。なので――、
「まあ……、乙葉さんのところなら……」と、しぶしぶヤスコも詢吾の案に賛成することになるのだが、「本の選択は?」
「それはアンタに任せるけど――」と詢吾。そう言ってから「あ、」とうしろをふり返り、「でも流石に、親父のノートとかは無理だろうからさ」と廊下に置きっ放しの段ボールを見詰めた。「その辺だけでも2~3箱分にはなるんじゃないか?」そうして――、
*
「なるほど。流石にその量だと、樫山先生も困られているでしょうね」
とここで時間は前後して、場面も切り替わり、いまのセリフは、『お告げ行政書士』こと不思議な預言の能力を持つ石橋伊礼のものである。そうして、
「ええ、樫山部長――あ、ヤスコさんのお父さまの昭仁さんですが――はとにかく、よく本を読み、また買われてもいた方で、方々にそれを置いているのは聞いていたのですが――」
と、こう返す男は、長身で、なで肩で、砂糖の代わりに蜂蜜がたっぷり入れられたカフェラテのような声で話す、小紫かおるであった。彼は続けた。
「はたして、あのお宅に入り切るかどうか」と伊礼に訊ねながら、「――あちらのお宅に行かれたことは?」
彼らはいま、石橋伊礼行政書士事務所の中にいて、六話の最後、『樫山ヤスコさまのことで一度会ってお話したいことが』と掛けて来たかおるの話を受け、ようやく本日夕方、こうして会って話しているところであった。であったが、
「契約書類の関係で何度か」と伊礼は応え、
「その契約書と言うのは?」と続けてかおるは訊いた。
「出版に関する契約書です」伊礼は応えた。
「なるほど。向学館との?」
「猪熊先生からのご紹介で」
「猪熊? あの漫画家の?」
「はい。カトリーヌ・ド・猪熊」
「確かに。アドレス帳にあった」
と話は続いて行くものの、なにやら行政書士の秘密保持義務を忘れたかのような伊礼の口ぶりであり、
「契約書類以外の相談は?」
「亡くなられたお父さまの」
「相続関係か。家以外に?」
「あそこの土地と銀行預金」
「どの銀行? いくら位?」
「※※銀行に***万ほど」
「それだけ? ほかには?」
「調べたところ有価証券が」
この辺りまで来ると流石に「忘れた」どころか明確な秘密保持義務違反となっていた。が、しかしそれでも、伊礼の言葉と態度にためらう様子はなく、まるで機械のように滑らか且つ自動的、このままいくらでも、行政書士として調べた内容をそのままかおるに伝えそうな雰囲気ですらあった。であったが、
「それら以外でやり取りは?」
とかおるも訊くとおり、この辺りは、“会社”に頼めばいくらでも調べて貰える範囲の事実だし、実際知りたいことはその辺りにはない。伊礼が訊き返した。
「これら以外のやり取り?」
「個人的なお付き合いは?」かおるは続けた。
「…………」
「石橋さん?」
「あ、はい。猪熊先生のご紹介で――」
「契約関係の仕事でお知り合いになった?」
「…………」
「石橋さん?」
「あ、はい。あ、いえ。あ、その――」
が、しかし、ここで伊礼は下を向き、口を閉ざすことにもなった。
*
さて。
既に皆さまお気づきのとおり、右に上げた奇妙な会話は、小紫かおるの特殊な能力――声と言葉で人を操る能力――を使用し、石橋伊礼から、彼とヤスコが電話で話していた奇妙な内容――未来の予知やヤスコの姪、それに“ミスター”なる何者か――について、その意図するところを聞き出そうとするものであった。であったが、
「石橋さん?」とかおるはくり返し、
「あ、いえ、あ、その、あ、でも、しかし――」と伊礼は伊礼で、頭の半分はかおるの質問に答えようとしているのに対し、もう半分の頭と残りの身体全体が、彼の質問を拒否あるいは無視しようとしているところでもあった。
「うん?」とかおるはつぶやき首を傾げた。
と言うのも、これまで様々な人間にこの能力を使って来たかおるだが、こんな反応は初めてだったからである。大抵の者は彼の言うまま訊くままに命令に従う、あるいは問いに答えて来たし、一部の者は、力に抵抗するため自らを傷付けたり、あるいはそのまま発狂する道を選んだりしていた。が、しかし、この石橋伊礼なる人物は、確かに力を拒否しようとしてはいるものの、自傷や発狂に繋がったこれまでの人々の、所謂『抵抗』ともまた違う様子で回答を拒否、あるいは無視しようとしているかのようにかおるには見えた。
「問いの問題か?」彼はそう考えると、もう少し踏み込んだ、具体的な問いを伊礼に向けることにした。
「石橋さん?」かおるが訊いた。
「あ、はい。なんでしょうか、小紫さん」伊礼が応えた。
「数日前、樫山先生と電話をされましたか?」
「はい。数日前に、樫山先生と電話をしました」
「それは、どのような内容でしたか?」
「…………」
「それは、樫山先生の姪御さんに関するお話でしたか?」
「……それも、ありました」
「樫山先生に姪御さんはいませんよね?」
「はい」
「なのに、なぜ、そんなお話に?」
「ミスターさんが言われたそうで」
「ミスターさんとは、誰ですか?」
「…………」
「石橋さんと樫山先生の、共通のお知り合いですか?」
「はい」
「その人のお話は、信用出来るのですか?」
「……はい」
「それはどうして?」
「…………」
「それは、どうして?」
「…………」
「……“ロミオとジュリエット”?」
「?」
「ジュリエットが殺される。それも“ミスター”さんが?」
「……あ、はい。あ、いえ、あ、……」
「どちらですか?」
「ミスターさんが言いましたし、私も見ました」
「見た? まだ殺されていないのでは?」
「……私も、見ました」
「それは……未来予知のようなものですか?」
問いつつかおるは苦笑した。まるで安手のSFドラマだな、とそう想いながら。そうして、しかし続いて、いま使っている自身の能力のことを想い出し、もう一度今度は、クッと声に出して苦笑した。
「予知?」伊礼が応えた。そんなかおるの苦笑には気付かぬ様子で、「あ、いや、預言? です」
「預言?」かおるはくり返した。みたび苦笑しそうになったが、下を向いていた伊礼の顔がこちらを向いたこと、その声と目がウソ吐きや狂人のそれではないことに気付くと、「ふー」と息を吐いてから、「なるほど」とこう続けた。
「なるほど。それでは、その預言の中で石橋さんが見たことを、私にお話頂けますか?」
(続く)




