その15
承前。
と、言うことで。
前回お約束したとおり、例の赤毛の長ったらしい講釈をすっ飛ばしつつお話を続けていきたいと想うのですが……、取り敢えず憶えておいて頂きたいのは、熱力学の第一法則と第二法則のことになります。
そう。
先ずは熱力学の第一法則ですが、これは『エネルギー保存の法則』とも呼ばれ、ザクッと書くと、
「閉鎖された空間では、外部とのやり取りがない限り、内部のエネルギー総量に変化はない」
ということを示した法則であります。そうして次に、熱力学の第二法則ですが、実はこの法則からは様々な原理を引き出すことが可能なのですが、取り敢えず今回知っておいて頂きたいのは、
「どんな種類のエネルギーも最終的には熱に変換される」
という点と、
「熱はどんな種類のエネルギーにも変換・再利用することが出来ない」
という点であります。
「そう。それがつまり、さっき言った、“エントロピーは必ず増大する”ってことだね」とここで赤毛、突然話に割り込もうとするが、「もちろんそれは、時間が不可逆的だって前提に立ってのことなんだけどさ、これについては星団歴1209年のマチス・マテマス翁の論文、『はたして神も二度寝をするのか?』が子どもにも分かりやすくて良いので、すこし長いが引用させて頂くと――」
うん。
下手に聞いてやると話が脱線し続けるので、彼のセリフはも少しミュートで進めますね。
そう。
つまり、先ほども書いたとおり、「閉鎖された空間内のエネルギーは常に一定」であるワケなのだが、これは例えば、我々がいま住んでいるこの宇宙にもそれを当てはめることが出来ると言うことでもあります。何故なら本来個々の宇宙は、『閉鎖された空間』、もう少し正確に書くと、『他の宇宙から完全に独立した孤立系』になっているからなんですね――取り敢えず、本来は。
なのでそのため、前回更新分で赤毛も言っていたとおり、我々の記憶や魂みたいなものも消えることはない――何故なら情報だってエネルギーだから――他の種類のエネルギーに変換されることはあるかも知れないけれど、けっして消え去ることはない。絶対に。この宇宙が続く限りは、どこかに必ず残っている。最悪ブラックホールの奥深くなんかに熱の形で取り込まれたりするかも知れないけれど、それでも、消え去ることだけはあり得ない――あり得ないんだけど、これだけだと少し困る。
と言うのも、これも先ほど書いた、「熱はどんな種類のエネルギーにも変換・再利用することが出来ない」という法則があるためで、いちど熱まで変換された記憶や魂は、ふたたび記憶に戻ることは出来ないからってことなのだけれど……って、ここまではいいですかね? よければここで、そろそろ赤毛に話を返したいんですが……いい? いいかな? そしたら……、ねえねえ、ミスター。
「――そこで僕は訊いたんだよ、『だったらなにかい? 宇宙の膨張速度よりも君が感じる“虫の知らせ”の方が速いとでも言うのかい?』すると彼、マックスはこう答えたね。『もちろんその為には、産まれた瞬間生き別れになった――うん? ごめん。なにか言ったかい? いま」
あ、うん。取り敢えず、読者の方々には、「この宇宙は孤立系」で、「エネルギー保存の法則」が適応され、「熱は他のエネルギーには変換されない」ってところまで理解して頂きました。
「時間の可逆性と、多元宇宙の孤立性が脅かされているって話は?」
あ、そこはあなたから言ってもらった方がいいかな、と。まだ説明していません。いま現在の地球の物理常識からは離れ過ぎちゃうし、このお話の本筋とも絡んで来るし、山岸のおばあちゃんも不破さんも、なんか半分寝ているようなので。
「え?」とここで赤毛、ふたりの方をふり返ると、「あーっと、ごめんごめん。ちょおっと寄り道が過ぎたようだね」そう言って彼らを揺り起こす。「ってことで、そろそろ本題です」
先ず。今回ここでミスターがしようとしていることは、いま現在、この家の一階リビングで眠ってもらっているあるふたり――山岸まひろと樫山ヤスコ――のここ半年の記憶を熱エネルギーへと変換、彼特製の装置――時間の可逆性が保たれている装置――の中に保管しておくことと、その穴埋めとなる虚偽の記憶を彼らや彼らの関係者に刷り込ませておくことで、
「もちろん。お目付け役のお二人の記憶はいじらないし」ミスターの技術では記憶改竄が出来ない一部の人たちについては、「緘口令と口裏合わせをお願いすることになるけどね」
そうしてその後、時が来たら、こちらから改めて彼女たちに接近、それぞれの“役割り”を担ってもらうことにする。
「“役割り”?」不破が訊いた。「それは一体?」
「“ネタバレ禁止”」ミスターが答えた。人差し指を口に当て、「って言うか、詳細はまだ分からないっていうか、これから作るんだけど」
「はあ?」と不破は呆気に取られ、
「だけど」とここで山岸の家の祖母は訊いた。「だけど、まひろの望みは叶うんだろ? ヤスコ先生との」
「もちろん」ミスターは答えた。「っていうか、そうしないと、この“開いてしまった宇宙たち”の崩壊を止めることが出来ないからね」
そう。
困ったことに実は現在、我々の――だけではなく――その周辺宇宙たちも『孤立系』ではなくなりつつあり、その影響が他の宇宙たち、ほとんどすべての多元宇宙にも拡がり始めており、それが各々の宇宙のバランスを崩し、壊し、崩壊させ始めているのであった。
「やれやれ」と赤毛のミスターは言った。「ほんと、なんど救ってもなくならないね、この“宇宙の危機”ってヤツは」と。
(続く)




