その13
「とおっても美味しかったわよ、お嬢さん」
そう言って老婆は店を出て行った。よっぽど『濃厚抹茶蜜プリン』が気に入ったのか、お土産用にと追加で四つ買って帰った。「きっと孫が喜ぶわ」とかなんとか言いながら。
それから彼女は、窓の向こう側からこちらを一度ふり返ると、佐倉八千代と木花エマに軽くそれぞれ手を振った。そうして、その流れのまま何故か、窓辺にすわる男性のうしろ姿に手を合わせながらお辞儀した。多分に目の錯覚だろうが、彼の周囲が、なんだかぽわっと光っているように見えたからである。もちろん、手を合わされた男の方は、お辞儀をされたことにも、自分がなんだか光っていることにも、まったく気付いていない様子だったけれど。
「ノコギリ山? ってどこだっけ?」佐倉八千代は訊いた。糖蜜付きパンケーキをテーブルの上に置きながら。
「ずっとずうっとむこうだよ、千葉よりずうっと向こうの方」アーサー・ウォーカーは答えた。よっぽどお腹が空いていたのだろうか、先に出された丸パンにこの店特製のジャムをたっぷり付けながら、「石で出来たこわい人たちがたっくさんいて、太った神さまみたいな人がドンッてすわってたんだ」
ペトロ・コスタとその甥アーサー・ウォーカーが、奇妙な『窓』の力により、千葉県安房郡は鋸南町と富津市との境界にある日本百低山のひとつ鋸山(正式名称:乾坤山)に着の身着のまま飛ばされたのは前にも書いたとおりだが、サイフもなければスマホもなく、彼らの妻であり伯母であるマリサ・コスタへの連絡も躊躇っていた彼らが、どうしてこの町、東京練馬区上石神井まで無事もどって来られたのかというと、
「そしたらおじさんがね、海の上――じゃなかった、海の中に飛び込んで、おぼれてるその子を助けたんだよ」
と今度は、厚切りハムのハムエッグにがっつきながらのアーサーも言うとおり、
「その子のお父さんとおじいちゃんにすっごく感謝されちゃって、おうちに泊まってけって言われたんだけどさ」
さすがにそれは遠慮して、代わりに事情を説明、お金と着替えを貸してもらい、フェリーとバスと快速特急を乗り継ぎどうにかこうにか、町まで帰って来たということだった。
「それは大変だったわね」とここで八千代、甘いミルクと熱々コーヒー、それに例の『濃厚抹茶蜜プリン』を彼らに出しながら、「でもなんだか、すっごく楽しそう」と。
内容的には色々ツッコミどころと云うか引っ掛かりどころのある彼の話ではあったが、きっといつもの特殊能力が働いたのだろう、彼の言葉にウソのないこと、ずっと黙っているペトロも含め、彼らがまったくの悪人ではないことをその身体で理解すると彼女は、
「それでなんだか光ってるのね、君のおじさん」と、先ほど聞いたアーサーのウソも見破りながら彼に耳打ちした。「光の上を歩くなんて、ミズ・ナントカってアニメのヒーローみたい」ともちろんこれも無自覚のまま、「あ、でも、水の上を歩いてたのなら、どこかの大工か漁師さんかしら」
*
「大工か漁師か、海のそばだとは言っていましたがね、生まれたのは」
と言って不破友介は電気を点けた。窓の外では夜が拡がり始めていたし、そんな闇の中、自分の顔を見せるのは相手もあまり気持ちよくはないだろうと考えたからである。彼は続けた。
「父親も母親も居らず、育ての祖父は家を建てたり魚を獲ったりしていたそうですが、それもどこまで信じてよいか」
彼はいま、まひろの問いに答える形で、件の高利貸し兼不動産王・天台烏山とまひろの祖母・咲子の関係を――今のまひろに話して問題のない範囲で――彼女に教えているところであった。
「が、まあ、それでも、その祖父も亡くなり、ながれ流れてこの町に来たのは間違いないようでしたし、そんなアイツを咲子さまが不憫に想ったのも――ま、いつもの通りで」
山岸の家の祖母には不思議な魅力と能力があった。それは例えば、その辺のこころない人々にさえ彼女は優しい人間であると想わせるような魅力であり、また例えば、こころ傷付いたあなたが、無性に泣きたい夜を迎えた時でも、あの家に住む彼女に会えば、なぜだか笑顔になってしまう、そんな能力でもあった。
そうして、その不思議さの理由は、普通の人が想像する以上に、彼女が誰にでも親切にしていたことと関係があるかも知れないし、ひょっとすると彼女が、ずうっと昔に、最初の家族を奪われたことと関係があるのかも知れな――あ、いや、あるいは、ただただ、そんな皆の笑顔の代償として彼女が、皆が帰った後ひとりで、皆の代わりに涙を流してくれていたからなのかも知れない。
「アイツの他にもガキが三人、子分ってワケでもないんでしょうが、似たような境遇とかでつるんでて、四人そろって居られる場所を探しているとか言っていました」
丁度その頃、鉄スクラップ業界で台頭し始めていたある男が、将来の業務拡大を考え、自分よりも若く、野心があり、養成するに足る人間を求めていたそうで、
「天台のガキはその点、頭の回転だけはいいですからね。それに目端も利くってんで、咲子さまの紹介でそいつに会わせて、すぐに気に入られてましたよ」
そうして、残りの三人とともに男のもとへ行くと、鉄屑のことを学び、業界のことを学び、どうすれば男の会社をより発展させられるかを学び、それが十分理解出来た上で、男自身のことや、男の家族、友人、知人、弱点などを学んだのだという。そうして、
「“軒を貸して母屋を取られる”ってのは、まあ、まさにあのことですな」
実際男は、若い天台の(ウソかホントか分からない)身の上話に共感し、同情し、必要以上の援助や好意を彼に掛けてやったのだが、
「あのガキとうとう、そいつの会社を乗っ取ってしまいましてね」
男は、家も家族も尊厳も、健康な肉体すら奪われ、失意のままにこの町を去ったのだという。
「すると怒ったのは咲子さまで」
自分の顔を潰されたからというよりは、拾ってくれた恩人に対してしてよい仕打ちではないだろうと、彼に苦言を呈しに行ったのだが、
「会うには会うがあの野郎、まったくの聞く耳持たずで、よっぽどどうにかしてやろうかと想いましたがね」
しかしそれは咲子に止められ、そんなことを数回くり返すうちに彼女もまた、彼はもう変えられない、そう諦めることになったのだという。
「で、まあ、その後もいろいろ、あいつの悪いうわさが流れて来ることもありましたが、他にもわらわらわらと、助けたり面倒をみなくちゃいけないヤツらがいましたからね」
そのため咲子も彼に干渉することがなくなり、彼は彼で、その会社を足掛かりに勢力を拡大、暴力組織との関係も深めながら、いまのような『帝国』を築き上げた、ということだった。
「うーん?」とここでまひろが訊いた。「父さんがあいつと付き合いのあったことは? それもおばあちゃんは知ってたの? それを兄さんが引き継ごうとしていることも?」
「もちろん」不破はうなずき、うなずいてからどうウソを吐けばよいかを考えた。「しかしその頃すでに、互いに無視出来ないほどヤツの仕事もお父さまの仕事も大きくなっておりましたからね」左目の目ヤニを取った。「あまり近付きすぎないよう、事あるごとにお父さまには忠告されていましたし、きっと富士夫さまにも、同じように忠告されるおつもりだったのでしょう」
(続く)




