その12
最初に気付いたのは、左手薬指に出来た奇妙な水ぶくれだった。
いや、見た目に奇妙とかではなく、そこに出来た理由がよく分からなかったという意味で、虫に刺された感じはしなかったし、なにかウイルス性の感染症にでもかかったのかと心配したが、そう彼が心配し出した頃には既にそれは消えていた。そうして、
「あれは一体、なんだったんだろう?」と彼が想うか想わない内に、今度は右手の中指と薬指に大きさはちがうが似た感じの水ぶくれは出来ていた。
「なんだと想う? これ」と似たようなことが数回くり返されたある日の午後、戸柱恵祐は、母の機嫌がよい時を見計らい、彼女に相談した。ひとりで病院に行くタイミングなどはなかったし、またこれくらいのことで病院に行くのも母親の手前難しかったからである。
「ふーん」としかし母は、あまりそれには興味をおぼえず、「火傷っぽいね」とだけつぶやいて布団へと潜って行った。薬の副作用か低気圧のせいかは知らないが、「ほっときゃ治るんじゃない?」とあるいは恵祐がそんな質問をしたせいでもあるかのような言いっぷりで。
そうして、それからしばらくすると、彼の両手に水ぶくれが出来ることはなくなった。が代わりに彼は、近所のネコ屋敷のおばあさんからこんな話を聞いた。
「うちの子たちに水ぶくれが出来ちゃってさあ、同時に。何匹も」猫風邪や天疱瘡だと怖いのですぐに病院へ連れて行ったが、「なんかただのヤケドらしくてね、お薬もらってそれで終わり」だけれど不思議だったのは、「毛が焼けたり肌が赤くなったりはしてないんだよ」とまるで身体の内側から熱を加えられた感じだったことだそうだ。「それも、みんながみんなね」
「へえ」と戸柱恵祐は首を傾げると、「変なはなしですね」とだけ言って家に帰った。が、その後、夜、寝る前に、「あれ?」と想うことにもなった。
というのも、ネコのヤケドが見付かる数日前、彼は、ネコ屋敷から聞こえる彼らの鳴き声と彼らに優しく――まるで実の子どもに接するように優しく――声をかけ世話をするおばあさんの姿に、嫌悪と羨望と反感を同時に感じていたからである。「クソッ、ネコのくせに」――と、そうして彼は夢を見た。
*
その夢の中で彼は、どこかの村の、どこかの広場のようなところにいて、なにか火あぶり用の乾いた茅と薪を準備し積み重ねているところであった。とにかく高く、山のように高く、広場の中心にある木の柱と、そこに縛り付けられる予定の女を、すっぽり覆い尽くせるだけの量を高く、とにかく高くへと。
茅と薪と柱のまわりには、既に村の者たちが適切な距離を取って集まっていた。老いも若きも男も女も、どいつもこいつも、目をキラキラさせながら、なんだか楽しそうなお喋りまでをもしながら。
するとそこに若い女――奥の山に住むわかい女――が引き回しを終えて運ばれて来た。女は背が高く、妖艶と言ってもいい美しさを持っていた。
「キレイな人だ」夢の中で戸柱恵祐は想った。「なんで彼女が火あぶりに?」
実際理由はなんでもよかった。キリシタンだったのかも知れないし、最近あった寺火事の犯人だったのかも知れないし、それともただただ、彼女が美しかったせいなのかも知れないが、要はただただ、この閉鎖された村にも娯楽――失礼。ガス抜きの生け贄が必要だったのである。
そのため女は、そのまま柱に縛り付けられると、燃え落ちないよう結び目に泥を塗った縄で後ろ手にされ、恵祐が用意した茅を周りに積み上げられて行った。薪は足もとに、いまや見えているのは彼女の顔だけであった。
薪に火がつけられた。
女はふくみ声でなにかぶつぶつ話し始めた。それはまるで念仏のようにも聞こえたし、讃美歌のようにも聞こえたし、あるいは天に坐しますあのクソ野郎への異議申立てのようにも聞こえた。
村人たちは耳をすませてその内容を聞こうとしたが、結局よくは聞きとれなかった。
突然女が、夢の中の戸柱恵祐へ語り掛けた。
「これは、お前の運命にもなるぞ」と、彼にだけ聞こえる声で、「せいぜい炎に焼かれて苦しむがいい」
ごぉおぉおぉぉおぅ。
とこうして女は火にかけられ、夢から覚めた戸柱恵祐は、自身の能力を悟ったのであった。それから――?
*
そう。それから最初に試したのは、自身の左の手のひらだった。右手の中指と薬指を軽く重ねて、それをそのまま左の手のひらのまん中へ持って行き――、
「あっつ!」
すぐに水に手を入れたが、既にそこは赤黒く腫れ、あたりには人の肉の焦げる匂いがしていた。
「やっぱり」
彼はこれを喜ぶと、今度は右の手のひらに、重ねた左手の中指と薬指を持って行き、
「あっつ!」
とくり返し叫ぶこともなく、静かにゆっくり、水に手を入れると、そこに出来た烙印・聖痕・スティグマに小さくひとりハハハ。と笑った。そうして――?
*
そう。そうして後は、テストと評価、評価と改善のくり返しだった。
自身の身体はもう止めて、夕飯用の鶏肉やグラスに注いだミルク類、公園の棕櫚の木や郵便ポストのチラシなど、なにを燃やせて、なにを燃やせないのか、燃やせるとしてどれくらいの時間が必要なのか、両手以外の部位では出来ないのか、これは熱を与えているのか、それとも熱を取り出しているのか、生きている動物にも有効なのか? 自分以外の生きている動物にも有効なのか? とか、まあ、色々。
*
「原理的には、電子レンジみたいなもんなんだと想います」そうして彼はこう言った。
我々が日ごろ目にする電子レンジは、各種食品にマイクロ波を当てることでその中にある水分子を振動、熱を発生させ食品を温める。そのため、
「固く凍った氷は溶かし難かったですし、グラスに注いだミルクは突沸を起こしました」と戸柱恵祐は続け、
「金属は?」とよこに座る小張千秋が彼に訊いた。ここはまだ、草地広場のベンチの上である。「金属は試してみましたか?」
電子レンジに金属を入れてはいけない理由。それは、金属に含まれる電子が振動・放出されるとレンジ内の壁やドアに当たり、跳ね返り、いわゆる『放電』と呼ばれる現象を引き起こすからであり、そこで生まれた静電気が発火の原因になる場合もあるからである。
「もちろん試してみましたよ」恵祐は続けた。すこし嬉しそうに、誇らしそうに、「案の定、鉄や銅などの電気を通しやすい素材の方が放電はさせやすかったですね」と。
それから、力のコントロールを覚えた彼は、先ほどの疑問のひとつ、「自分以外の、生きている動物にも有効なのか?」について、「ずっと試してみたい」そう想っていたという。答えは既に出ているはずだったが、それでも、「軽いヤケドくらいなら許されるんじゃないか」と。
「が、出来なかった?」とここで今度は、左武文雄が彼に訊いた。彼はひき続き、こんな恵祐のこころの声も同時に聴き取っていたのである。「例のネコたちで試そうとしたよな?」
「え?」恵祐は訊き返した。顔を上げ、左武の方を見て、「どうしてそれを?」手は小さく震え、右の手には小さな光も見えていた。
「あ、いや」急いで左武は答えた。「ちょっと、そんな風に想っただけだ」恵祐に親近感あるいは同族意識のようなものを持ちかけていたのだろうか、「刑事の職業病みたいなもんだ、続けてくれ」こちらの能力をバラすのは、やはりまだまだ危険だろう。
「たしかに」恵祐は続けた。それでも少し不審がりつつ、「たしかに。彼女たちが丁度よい実験体に見えたのは確かです」数は多いし、人にも慣れているし、告げ口も出来ない。それになにより、「おばあさんからの愛情を、一心に受けていましたから」
が、もちろん、最後の言葉は、恵祐の口から出ることはなかったし、その言葉を聴いた左武文雄も、その言葉の意味は分からなかった。彼は続ける。
「ま、要は、気が変わっただけなんですが」と左武からは目を離し、となりに座る小張に向かって、「それで何もせず、家に帰りました」
*
家に帰ると母がいた。いつもと同じように。
母は先ずは、恵祐の帰りが遅かったので心配した旨を彼に伝え、ついで自身の身体の不調と世界のあらゆるものに対しての愚痴や不満、呪詛の言葉を口から吐いた。これも、いつもと同じように。
そうして、彼が彼女の薬だとか食事だとかマッサージだとかをしてくれることにひと通りの感謝を示してから、彼に罵声を浴びせ始めた。これも、いつもと同じように。
それから彼は、彼女の手を取ると、抱き締め、それが終わるのを待った。いつもと同じように。彼女の負の感情が静まるのを、これもいつもと同じように。
すると彼女は、これもいつもと同じように、彼に救いを求め始めた。身体が動かない、頭がまわらない、手が痛い、足がしびれる、どうしてこんなことになったのか? 私はなにも悪いことはしていない。そう。これもいつもと同じように。これはお前のせいだ、きっとお前のせいだ、お前なんか産まなければよかった、いや、どうしてお前は生きているんだ? いや、どうして私は生きないといけないんだ? こんな地獄のような場所で。頼むよ恵祐、私を救っておくれ、と。しかしこれはいつもと違った。彼女は確かにこう言った、「あんたなら、出来るんだろう?」と。
*
「え?」とここで小張が声を漏らした。が、すぐにその口を閉じると、一瞬左武の方を見た。彼は無言で首を縦に振った。
「どうしてバレたか分かりませんが」恵祐は続けた。小張の声には気付かぬふりで、「病院では治せない。きっと誰も救えない。運命? がなにか僕には分からない。でも、母さんの痛みは分かった。親子ですからね、他に方法なんてなかった。でも、僕なら出来た。だから、」
*
そう。だから彼はそれをやった。はじめは臭いもなく、母親は口を閉じ熱さに耐えている様子だった。彼女は彼を抱きしめ続け、彼も彼女を抱きしめ続けた。つよく。愛情があったかどうかは分からない。長いながい闘病生活の中では憎悪の方が増していたような気もする。要は、彼女を燃やすためには、つよく抱きしめる必要があっただけなのかも知れない。
そうして、それから彼は、母親を抱きしめておく必要がなくなったタイミングで――母親の中に彼女を燃やし殺すだけの熱が溜まったタイミングで――彼女の手を解いて家を出た。服を替え、帽子を被り、冷蔵庫のミルクを一杯だけ飲んでから、「じゃあね」と母親にちいさく声をかけてから、「ちょっと、警察に行って来るよ」
*
カキンッ。
とうしろの野球場から金属バットの音がして、彼らの上を白いホームランボールが飛び越えて行った。太陽は沈み始めており、戸柱恵祐の話はここで終わった。「信じて貰えるとは想えませんが」と彼は、口には出さず表情だけで彼らに言った。小張たちは声もなくしばらく黙っていた。いたのだが――、
「そいつは」と、左武が慰めの言葉を探し始めた瞬間、
「え? でも待って下さいよ」と、小張が彼の言葉を止めた。「それじゃあ誰が?」と恵祐の方に身を乗り出して、「誰がお母さまを半切りに?」と。
(続く)




